第3章
エレベーターの扉が開いた瞬間、ほのかな香りが私を包み込んだ。
拓海のプライベート香水工房の中、温かみのある琥珀色の照明が、張り詰めた神経を少しだけ和らげてくれる。だが、亮介が言い放った「俺の捨てたものを拾うなんて」という言葉は、未だにナイフのように私の心をえぐっていた。
「目を閉じて」
柔らかな光の中で響く拓海の声は格別に甘く磁力を帯びていて、私の心臓を高鳴らせる。
「こんなの、慣れてなくて……」
私の声は震え、無意識のうちに両手をぎゅっと握りしめていた。これまでの人生で、こんなに優しく扱われたことなど一度もなかったから。
「あいつが君について言ったことなんて、忘れて」
拓海がゆっくりと近づき、その指先が優しく私の頬を撫でる。
「本当の自分を感じるんだ」
黒いシルクの布で目隠しをされると、他の感覚が驚くほど研ぎ澄まされた。彼の温かい感触、微かに漂うシダーウッドの香り、そして今まで経験したことのない不慣れな優しさ。
亮介とはまるで違う。あんな人は、私に対してこれほど我慢強く接してくれることなんてなかった。
「さあ、どんな香りがするか教えてくれ」
手首にアロマオイルが一滴落とされ、瞬く間に香りが立ち上る。
「ジャスミン……それに、サンダルウッド?」
「正解だ」
彼の声が耳元で聞こえる。
「君は誰よりも特別なんだよ、綾香」
目頭が熱くなり、涙が滲んだ。
「私……こんな扱い、されたことない……」
三年間、私が知っていたのは、無視され、踏みにじられることだけだった。それなのに今、この男が私の世界を再構築しようとしている。
「これからは」
拓海の唇が耳元に近づき、蜂蜜のように滑らかな声が鼓膜を震わせる。
「俺がどう君を扱うか、それだけを覚えていればいい」
目隠しのシルクが外され、鏡を覗き込んだとき、私は自分の目が信じられなかった。
鏡に映る女性の瞳には光が宿り、唇には笑みが浮かび、かつて見たこともないような自信に満ち溢れている。これが、本当に私?
「これが本当の君だ」
拓海が後ろに立ち、私の肩に優しく手を置いた。
「息を呑むほど美しい」
初めて、彼の言葉を信じることができた。
それから数日間、私は何度も鏡を見つめ続けた。そのたびに、自分の中の新しい変化を確認することができた――外見だけではない、内側から溢れ出る自信。拓海の言う通りだった。これが本当の私なのだ。
「準備はいい?」
金曜日の夜、拓海が私に腕を差し出した。今夜は、私たちが初めて二人で公の場に出る機会だ。私は彼の腕をしっかりと掴み、高まる緊張を鎮めようと努めた。
「エリュシオン・クラブ」の大ホール入り口に姿を現すと、あらゆる視線が私たちに集中するのを感じた。昔の私なら逃げ出して隠れたくなっていただろう。だが今は、背筋を伸ばし、紅い唇の端を持ち上げ、そのすべての視線を受け止めることができた。
「嘘でしょ……あれ、香水師の綾香?」
「まるで別人じゃないか……」
周囲でざわめきが波紋のように広がっていくが、もう怯えることはない。
「聞こえるか?」
拓海が耳元で囁いた。
「みんな、君を称賛しているんだ」
私は微笑んだ。今度は心からの笑顔で。
「ええ、聞こえるわ」
ホールを歩きながら、視界の端に見慣れた人影を捉えた。亮介だ。隅のボックス席で友人たちと談笑していたが、彼の視線が時折こちらに漂ってくるのに気づいた。
その瞬間、彼の瞳に驚愕の色が走るのを私は見逃さなかった。
復讐心にも似た、暗い喜びと優越感が身体を駆け巡る。見たでしょう、亮介? これが、あなたがかつて踏みにじった女よ。そして今、私はもう、あなたがちらっと見ただけで舞い上がったり落ち込んだりするような愚かな女じゃない。
「何を考えているんだ?」
拓海が私の心ここにあらずな様子に気づいた。
「大したことじゃないわ」
私は意識を彼に戻した。
「ただ……昔の私がどれだけ愚かだったか、考えていただけ」
「なら、今は君がどれほど素晴らしいか、全員に見せつけてやる時間だな」
拓海は私の手を引いて展示ホールへ向かいながら、不敵に微笑んだ。
「俺の兄さんも含めてね」
プライベート展示室の中、クリスタルのシャンデリアが優雅なソファに腰を下ろしたクラブの重鎮たちへ、柔らかな光を投げかけている。私は展示台の中央に立ち、精巧なクリスタルの小瓶を手にしていた。
この瞬間、私はかつてない自信を感じていた。
「皆様、今夜ご紹介するのは『リバース』と名付けた私の作品です」
私の声は澄んでいて力強く、以前のような臆病さは微塵もない。この香りは私が一週間かけて作り上げたもので、その一つ一つのノートが、私の生まれ変わりの物語を語っている。
「これは、蝶が繭を破って羽ばたく姿を表現しています」
ボトルのキャップを開けると、複雑で魅力的な香りが瞬時に空間を満たした。トップノートのフェンネルが表す苦味と試練、ミドルノートのアンバーが醸し出す温かな希望、そしてラストノートのサンダルウッドが表す、再生を遂げた揺るぎない強さ。
「これは……」
年季の入った香水愛好家が息を呑んだ。
「この香りのレイヤーは、まさに芸術品だ!」
「素晴らしい! 十本予約させてくれ!」
「いや、私は二十本だ!」
称賛の声が部屋中に響き渡り、私の笑みはより一層輝きを増した。これこそが私の真の価値、私の才能、そして私の独自性なのだ。
私は集まった人々を見渡し、そして部屋の隅にいる亮介に視線を定めた。
彼は、私を見ていた。
その瞬間、部屋越しに私たちの視線が交差した。彼の瞳の中に驚愕の色が見えた。そして、今まで見たこともない何かが――。
あの夜の彼の言葉が脳裏をよぎる。「お前はただの香水師だ。俺が抱きたい時に呼び出せる、ただの道具に過ぎない。この香水も、お前と同じだな――安くて、どうでもいい存在だ」
今はどう? まだ私が「安くて、どうでもいい存在」と思う?
「埋もれていた才能だと言っただろう」
絶妙なタイミングで拓海が私の隣に現れ、その腕を私の腰に回した。
「これで全員が理解したはずだ」
彼の腕から伝わる力強さと、その独占欲が私に心地よい安心感を与えてくれる。
「私の価値を真に理解してくださる皆様に感謝します」
私は展示ホール全体に声を響かせた。再び亮介に視線を流し、唇に意味深な笑みを浮かべる。
「そして……私の本当の価値を悟らせてくれた、過去の『経験』にも感謝を」
あの屈辱について直接触れたわけではない。だが、その言葉の裏にある深い意味を、その場の全員が理解したのが分かった。
亮介の顔色が、みるみるうちに青ざめていく。
そんな彼の姿を見て、言葉にできないほどの優越感が私を満たした。
拍手が沸き起こったとき、亮介さえもが手を叩いているのに気づいた。だが、彼の視線は私に釘付けになったままだ。その眼差しは……以前とは明らかに違う。
彼の表情の中で、何かが変わり始めていた。
そして初めて、私は「主導権」を握るとはどういうことか、理解したのだった。
展示会が終わり、私と拓海は会場を後にした。駐車場へと向かう道すがら、背中に焼けつくような視線を感じた。
振り返ると、ロビーの床から天井まで続く大きなガラス窓のそばに、亮介が立っていた。夜の闇を背景に浮かぶそのシルエットは、とりわけ孤独に見えた。
その瞬間、かつてないほどの胸のすく思いがした。
「ようやく後悔し始めた人がいるみたいだな」
拓海も私の視線を追い、その唇に意味ありげな笑みを浮かべた。
「だが、もう手遅れだ」
そう、手遅れなのだ。
彼の一瞥だけで胸を高鳴らせていた少女は、もうどこにもいない。今の私はただ、彼が失ったものの大きさに気づき、ゆっくりと打ちのめされていく様を眺めていたいだけ。
「明日もクラブで集まりがある」
拓海が私の手をぎゅっと握りしめた。
「さらなる称賛を浴びる準備はいいか?」
