第2章

「殺そうとしてるの?」私は小首をかしげた。

「あれは翔太の家の家宝よ。まるで生きたまま食い殺されるみたいに怯えて、どうしたの?」

 理沙は自分の指をむしり取るように引っ張った。黒い金属はびくともしない。

 客たちは食事の手を止めた。長いテーブルの上を、ひそひそ声が蛇のように這っていく。

「それに」私は声の高さも温度も変えずに続けた。

「先週は私の桐島理沙ネックレスが大好きだったじゃない。これも盗む手間を省いてあげようと思ったの」

「外して!」濃い化粧の上を涙が筋になって流れた。

「あんたの呪われたゴミなんていらない!」

 私は理沙が必死に引きはがそうとするのを見つめた。理沙はこの金属が何をするのか知っている。だが、目の前の恐怖でたった一つのルールを忘れていた――宿主が自分の意思で願いをかけたときにしか、あれは働かない。

「呪い?」私は胸に手を当てた。

「理沙、あなたっていつも私の相続が羨ましくて仕方ないのね。でも、夫からの贈り物を呪いだなんて言うの?」

 理沙は最後に荒々しくひと引きした。指輪がぽん、と外れ、食卓に当たってからからと音を立てた。

 赤く擦りむけた指の関節をさすりながら、首筋まで赤みがじわりと上がっていく。盗みの恥が、否応なく露わになったのだ。

「あんたの安物なんかいらない。役立たずの信託資産の令嬢と違って、私は自立した女よ。くだらない小物は自分で持ってなさいよ」

 翔太が皿の間を越えて身を乗り出した。指輪をひったくり、酸化して黒ずんだ金属を、壊れ物の赤子でも扱うみたいに目を凝らして確かめる。

「触るな!」彼は理沙に噛みつくように言った。

 欠けていないと分かると、今度は私に向き直った。顎が強く噛みしめられている。

「桜子」彼は私の左手をつかんだ。

「これは神聖な遺物だ。外の人間に気軽に投げていい玩具じゃない」

 反論の余地など一切与えず、彼は指輪を私の指の付け根までぐいと押し戻した。

「さあ」翔太はカメラ向けに声を作った。

「この指輪は我が家の富を呼ぶ器だ。願い事をしろ、桜子。みんなに俺たちの未来を見せてみろ」

 私は肩の力を抜いた。柔らかな笑みの形に顔を整え、目を閉じ、揺れるケーキの上で両手を重ねる。

 翔太がろうそくの向こうから身を寄せた。息が耳にかかった。レンズには拾えない囁き。

「うちの土地を早く買い叩いてもらえるよう願え」彼は低く吐き捨てた。「十億円」

 私の唇は、音のないリズムで動いた。

 目を開けても、私は炎を吹き消さなかった。

 翔太はテーブルに縫い付けられたように前傾のまま動かない。

「やったのか?」息が荒い。

「その一千万――」

 私はまっすぐに彼を見た。

「いいえ」

 椅子が床を引っかき、悲鳴のような音を立てた。彼は跳ね起き、両拳を食卓に叩きつける。

「この馬鹿!」唾を飛ばしながら怒鳴った。

「今、お前が捨てた現金がどれだけの額か分かってるのか!?」

 食堂が凍りつく。銀食器が落ちる音がした。

「翔太! 正気か?」役員の一人が鋭く言った。

「奥様にそんな口を利くものじゃない」

 私はその怒りも非難も無視した。身を乗り出し、ろうそくの火を吹き消す。細い煙が、私たちの間でくるりと巻いた。

「一千万?」私は小さく笑った。その音だけが、死んだような静けさを真っ二つに裂く。

「あなたの家宝が本当に富を呼ぶ魔法の指輪なら、どうして最低ラインで止めるの?」

 赤く脈打つ彼の顔を見上げる。

「私は、プレミアを付けて売れるように願ったの。百億円。現金で」

 翔太の頬から、怒りの深紅が一瞬で引いた。むき出しの欲が、その目に火を点ける。役員たちが睨みつけているのに気づくと、彼は慌てて椅子に沈み込んだ。

 彼は手を伸ばし、親指で私の指の関節を強引に撫で回した。

「ああ、ダーリン……本当にすまない。僕はただ、僕たちの未来にとって一番いいことをしたいだけなんだ」

「財産を最大化しないと、僕はひどくストレスを抱えてしまうんだ」彼は息をするみたいに嘘を重ねた。

「さっきのこと、許してくれるか?」

 私はうなだれた彼の頭を見下ろし、微笑んだ。

 欲しいのは謝罪じゃない。欲しいのは、こいつの命だった。

 一時間後、息が詰まるような晩餐がようやくお開きになった。私は夜気の中へすり抜け、砂利道を踏みしめながら、薄暗い厩舎へ続く小道を歩く。

 生け垣の近くで、言い争う声が足を止めさせた。

「黒澤様、お願いします!」掠れた声が懇願する。

 屋敷の清掃係の恵美が、重い扉枠にしがみついていた。足の悪いほうを引きずりながら、扉が閉まるのを必死で塞ごうとしている。

「娘の熱が、もう二日も下がらないんです」恵美は喉を詰まらせ、顔の汚れを涙が切り裂いた。

「夜間診療は前金がないと診てくれなくて……五千円だけでいいんです。まだ六歳なんです。今月ずっと、倍のシフトで働きます、誓いますから!」

 彼は彼女を突き飛ばし、恵美はよろめいて後ろへ倒れた。悪い脚ががくりと折れ、彼女は冷たい泥へ強く叩きつけられる。

 扉口には執事頭が立ち、落ち着き払って袖口を整えていた。

「給料日は三十日です」彼は彼女を見下ろし、露骨な嫌悪を滲ませる。

「この屋敷は慈善団体ではない。ガキを生かしておく金もないなら、最初から産まなければよかったんだ」

 重い鋼の扉が叩きつけられ、鍵がかちりと鳴った。

 恵美は泥の中で膝を折り、丸くなる。青あざの浮いた手に顔を埋め、裂けるような、喉を潰した嗚咽が闇に響いた。壊れきった母親の泣き声だった。

 私は影から歩み出た。

 ヒールが砂利を砕く音に、恵美がびくりと震える。殴られると思ったのか、彼女は慌てて後ずさりし、両手を反射的にかざした。私の顔を見た瞬間、頬から血の気が引いていく。

「奥様!」泥で重たくなった制服のまま、彼女は這い上がろうとした。

「すみません。揉め事を起こしたわけじゃ……すぐ仕事に戻り――」

「恵美」私は彼女の目の前で足を止めた。

「痛みから、完全に逃げ出したい?」

 恵美は固まった。焦り混じりの謝罪が喉の奥で途切れ、腫れた目で見上げてくる。困惑がむき出しだった。この屋敷の金持ちは彼女の痛みなど気にしない。与えるのは痛みだけ。

 迷いを見て取って、私はゆっくりと指から黒い古びた指輪を外した。重たい金属がほのかな光を受け、差し出した私の手の中で鈍く光る。

「娘さんを助けたい?」私は静かに問うた。

 その一言が急所を抉った。恵美は息を止め、酸化して黒ずんだ金属を見つめた。防壁が崩れていく。醜い代物だ。けれど今の彼女に差し出された唯一の命綱でもあった。

「こ……これは、何ですか、奥様?」声が震える。雇い主への染みついた恐怖と、母親の必死の希望の間で引き裂かれている。

「持って」私は囁いた。

「目を閉じて、娘さんが生きるために必要なお金を願って」

 恵美はごくりと喉を鳴らした。残酷な鋼の扉――鍵のかかったそれを振り返り、次に、膝を濡らす凍える泥へ視線を落とす。

 社会は彼女を見捨て、腐らせるだけだった。六歳の子が熱に灼かれている光景が、最後に残っていた恐怖さえ消し去る。

 ゆっくりと、震える泥だらけの手が前へ伸びる。

 恵美は指輪をつかんだ。

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