第2章

 通信機をマットレスの隙間に押し込むのがやっとだった。血の滲む縫合跡の手当てをする間もなく、ドアが乱暴に蹴り開けられた。

 武装した二人の見張りが、血に飢えた闘犬のように出入り口を塞ぐ。「雪奈様が温室でお呼びだ。今すぐ来い」

 郷田邸において、雪奈の言葉は龍之介に次いで絶対的な権力を持っていた。

 精神病院での日々は、無駄な抵抗を呑み込む術を私に骨の髄まで教え込んでいた。口の中に広がる鉄の味を感じながら、私は満身創痍の体で廊下を引きずるように歩いた。一歩踏み出すたびに、骨盤が粉々に砕けるような激痛が走る。

 温室のガラス越しに突き刺さる秋の陽射しは、目が眩むほどだった。雪奈は籐の椅子に優雅に腰を下ろしており、その身を包む純白のシルクのローブには染み一つない。

 彼女の傍らには、玲央が立っていた――彼女の「完璧な後継者」。寸分違わず仕立てられた子供用のスーツを着こなすその姿は、どこからどう見てもマフィアの王子だった。

 そして、私は琉佳の姿を捉えた。

 生まれてまだ二十四時間も経っていないというのに、裸の新生児は冷たい錬鉄のテーブルの上に無造作に転がされていた。その小さな手足は病的な赤紫色に染まり、か細く弱々しい産声を上げている。

「この子の泣き声を聞いていると頭痛がしてくるわ」雪奈はパールに彩られた自身の爪を眺めながら、うんざりしたように溜息をついた。

「あなたの狂気がこの子にも遺伝したのかしら? 触れる気にもならないわ」

 ここで取り乱せば、必死に作り上げてきた仮面が崩れ去ってしまう。それは分かっていた。だが、冷たい隙間風が吹き込んだ瞬間、母としての本能が私の麻痺した感情を瞬時に打ち砕いた。

 喉の奥からせり上がるパニックのまま、私は反射的に前へと飛び出していた。

「せめて毛布で包んであげて! 凍え死んでしまう!」

「下がれ」

 骨の髄まで凍りつくような冷酷な響き。だが、それは間違いなく幼い子供の声だった。

 六歳になる玲央が、鉄のテーブルを庇うように私の前に立ち塞がった。チャキッという鋭い金属音とともに、黒曜石の柄を持つ小型の飛び出しナイフが弾き開かれる。龍之介が彼の六歳の誕生日に贈ったものだ。剃刀のように鋭利な切っ先が、私の喉元にピタリと向けられた。

 彼は私の最初の子供だ。このお腹の中で九ヶ月間も育んだというのに。それなのに、今の彼は私をまるで腐臭を放つゴミでも見るかのような目で見下ろしていた。

「僕の弟に、お前の病気をうつすな。跪け。母さんが怖がっているだろう」

 母さん。

 そのたった一言が、喉元に突きつけられた刃よりも深く私の心を抉り取った。私は凍りつき、思考は完全に停止して、ただ真っ白なノイズだけが頭の中で響いていた。

 立ち尽くす私に苛立ったのか、玲央は護衛たちに向かって鋭く顎をしゃくった。

「押さえつけろ。もう一歩でも動いたら、両脚をへし折っていい」

 膝裏に容赦のない蹴りを入れられ、私は鋭い砂利の上に激しく引き倒された。肉が裂けるのは一瞬だった。まだ生々しい縫合跡が完全に弾け飛ぶ。熱い血が太腿を伝い落ち、灰色の敷石の上に赤黒い花を咲かせた。

「何の騒ぎだ」

 龍之介の低く、凄みのあるバリトンボイスが空気を切り裂いた。彼が温室へと足を踏み入れる。その広い肩には、ダークカラーの仕立ての良いスーツが纏われていた。私の心臓が冷たく跳ねた。

 ほんの少しでも、彼が息子からナイフを取り上げてくれるのではないか――そんな哀れでちっぽけな希望を、私はまだ捨てきれずにいたのだ。

 だが、彼の無関心な視線は、血だまりの中に跪く私を一瞥しただけだった。そして、その節立った大きな手を伸ばすと、愛情を込めて玲央の髪を撫で回した。

「よくやったな、玲央」龍之介は父親としての誇りに満ちた声で囁いた。

「郷田の男たるもの、母と弟を守るため、いかなる脅威に対しても常に警戒を怠ってはならない」

 ――いかなる脅威。彼らにとって、私はただそれだけの存在だった。

 三人の子供を産んだ母親ではなく――いつ爆発するかも分からない狂気の時限爆弾。息子がわざわざナイフを向けて追いはらうべき、ただの汚物。

 息が詰まるほどの絶望の波が押し寄せ、失血による吐き気を催すような眩暈となって私を呑み込んでいく。

 早鐘のように打っていた心音が、ふっと途絶えた。世界が大きく傾き、私は氷のように冷たい石畳の上に崩れ落ちた。そしてそのまま、底なしの暗闇へと全身を沈めていった。

 意識が這い上がるように戻ってきたとき、ぼやけた視界を埋め尽くしたのは、息が詰まるほど薄暗い自室の光景だった。

 洗面台の傍らには龍之介が立ち、濡れたタオルで自身の手に付着した私の血を、苛立たしげにゴシゴシと拭き取っていた。

 彼の顔のあらゆる皺から苛立ちが滲み出ていた。

「死んだふりなど通用しないぞ。雪奈が繊細なのは分かっているだろう。なぜ狂ったように彼女に飛びかかった? お前のせいで、あわや玲央があのナイフで怪我をするところだったじゃないか!」

 私は天井に這うカビを見つめていた。喉は紙やすりで削り取られたように痛み、声は崩れ落ちる灰のように弱々しかった。

「彼女は琉佳を裸のまま、凍えるような鉄のテーブルに放置したのよ。それに玲央……玲央は私を刺そうとした。龍之介、あの子は私の息子よ。あなたは彼に、実の母親にナイフを向けるように教えたの?」

「あいつの母親はただ一人、雪奈だけだ!」

 私の言葉を残酷に断ち切り、龍之介は吠えた。嵐のような深緑の瞳に、明らかな嫌悪の炎が燃え上がる。

「七年前、お前が雪奈の飲み物に薬を盛って彼女から子供を産む体を奪い、俺のベッドに潜り込みさえしなければ、お前のような毒婦をこの家に一歩でも入れると本気で思っていたのか? お前は借りを返すための、ただの繁殖用の器にすぎない!」

 耳鳴りが、ふっと止んだ。

『彼女の飲み物に薬を盛っていなければ。』

 その言葉が息苦しい部屋の中に響き渡り、この七年間、私が辛うじて息を繋ぐ理由となっていた唯一の幻想を、無惨にも打ち砕いた。

 雪奈が私の名誉を失墜させるためにあの惨劇を仕組んだとき、誰もが私を恩知らずの毒蛇だと罵った。龍之介、ただ一人を除いて。

 彼は真夜中、激しく震える私の体を抱きしめ、涙にキスをしながら囁いてくれたのだ。

「君がそんなことをするはずがない。俺は君を信じている」と。

 その「信頼」のためなら、私は喜んで地獄へと歩を進めた。彼らに自分の体を差し出し、従順でさえいれば、彼がいつか必ずこの悪夢から救い出してくれると本気で信じていたのだ。

 しかし今、彼の緑の瞳に浮かぶ、何の修飾もない剥き出しの嫌悪を見つめていると、胸の悪くなるようなパズルのピースが、ついにピタリとはまった。

 彼は私を守ってなどいなかった。絶望し、壊れかけた少女を操り、雪奈が失ったものを補うための従順な子宮に仕立て上げただけだったのだ。

 何度も何度も私の赤ん坊を奪い去ったのは、単なるマフィアの残酷さからではなかった。彼にとって、私は決して子供たちの母親などではなかったからだ。私はただ、彼の真の妻に毒を盛った怪物にすぎなかったのだ。

「あなたはずっと……」ひび割れた唇が引きつり、骨の髄まで冷えるような乾いた笑いが漏れた。私はゆっくりと首を巡らせ、死んだように空虚な瞳で彼を真っ直ぐに見据えた。

「本当は、私のことなんて一度も信じていなかったのね?」

 私の眼差しに宿る、底知れぬ圧倒的な虚無に動揺したのだろう。龍之介の体が強張った。氷のような仮面に亀裂が走り、無意識のうちに滅多に見せない焦燥の光が走る。

「そういう意味じゃない――」彼の喉仏が上下に動いた。不気味なほどに、声に潜んでいた殺気が和らいでいる。

 だが、甲高い着信音が突如としてその緊張を打ち砕いた。彼は画面に目を落とす。

 そこには、永遠に絶対的な最優先事項として君臨する名前が点滅していた。雪奈だ。

 龍之介は至上命令を受けたかのように電話に出た。先ほどの焦燥感は跡形もなく消え去り、瞬時に、虫唾が走るほどに深く、甘い優しさへと取って代わった。

「雪奈? 怖がらなくていい。深呼吸をするんだ。すぐに君のところへ行くから」

 私には二度と一瞥もくれることなく、彼は踵を返し、足早に出て行った。外側からかけられたデッドボルトの鍵の音が、恐ろしいほどの決定打となって響き渡る。

 私は息の詰まるような薄暗がりの中で、長い間横たわっていた。目の奥が焼けるように痛む。それでも、頬に触れた私の肌は、カラカラに乾ききっていた。

 ふと、理解した。この地下牢のような場所で魂が完全に腐り果てたとき、流す涙すらも本当に枯れ果ててしまうのだと。

 カウントダウンは始まった。

 首領である源蔵が約束した書類がこの部屋に密かに持ち込まれたその瞬間、私は一瞬の躊躇いもなく、自分の名前をサインするだろう。

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