第292章

「知りたくない」

 そう言うと、小林絵里は羽のように軽い口調で、それだけを落とした。

 立田芳子は信じられないというふうに目を見開く。「あんた……あんたが、実の親のことを知りたくないなんて。今回戻ってきたのは、そのためじゃなかったの?」

 絵里は彼女を見た。澄んだ水のような瞳は冷えきっている。

「あなたに、わたしを思いどおりにできる隙は渡しません。それにその話、もう本当に知りたくないんです」

 ――やっぱり、そうだ。

 昔は必要だった。けれど今は、もう要らない。

 安町に来た目的がその件だったのは確かだ。でも、しがみつくほどでもなかった。むしろ彼女は、坂田和也から逃げたかっただ...

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