第4章

「もう一度でも嘘をついて俺の伴侶を呪ってみろ。今すぐ地獄へ叩き落とすぞ!」

 サイモンの眼に、剥き出しの殺意が宿る。喉の奥から絞り出すような低い声だった。

「アルファ!」医師は血でぐっしょり濡れた手術書類を取り出し、絨毯へ叩きつけた。

「アルファ! 地下へ……地下室を見てください! そこで何が起きたのか、ちゃんと見ろ!」

 暗赤色の血の手形。それは鉄槌みたいに、サイモンの頭へ振り下ろされた。

「どけ!」

 彼は突然、狂犬みたいに扉へ突進した。私は冷え切った目でその背中を追う。サイモンは転げるように走り、真っ赤な眼で地下室へなだれ込んだ。

「バン!」

 蹴り飛ばされた扉が爆ぜる。私は手術台の真上に漂い、彼が来るのを待っていた。

「はっ……はっ……」

 サイモンの喉が荒い息を漏らす。手術台には、壊れ果てた私の身体。機械の心臓が胸に屑鉄みたいに噛み込み、周囲の肉はウルフズベインに侵されて黒く変色していた。

 そして、垂れ下がった冷たい右手の脇に、ステンレスのトレイが置かれている。中には、手のひらほどの肉塊。

 サイモンは私の傍へ崩れ落ちるように膝をついた。

「ゼラ……」

 震える両手で私の頬を包み、狂ったように口づける。下唇を噛み、舐め、引き裂くように。ベッドの上で、私がいちばん好きだった彼の仕草――けれど今の私は、もう何ひとつ返せない。

 サイモンは振り返り、看護師の襟首を掴み上げた。血走った目で、唸る。

「答えろ。あのトレイの中身は何だ」

 看護師は怯えきって叫ぶ。

「こ、子どもです! ゼラ様のお腹の中で死んでしまった、二か月の子ども……!」

 サイモンは手を離し、冷たい壁にもたれた。

「子ども……二か月……」

 呟いた瞬間、二か月前の光景が脳裏を刺す。ゼラが避妊薬を入れ替えるのを、彼は細めた目で――たしかに見た。サイモンは自分の血に染まった両手を見下ろし、恐怖で顔を歪めた。

「サイモン……!」

 ライラーが息を切らして駆け込んでくる。ベッド一面の血を目にして、口元を押さえ、大げさな声を上げた。

「なんてこと……お姉さま、どうしてこんな……!」

 涙が一気に溢れ出す。

「きっとお姉さま、最近また変な薬草を飲んでいたから……サイモン、悲しまないで。わたしが、お姉さまの代わりにあなたのそばに――」

「黙れ!」

 先ほどの医師が飛び込んできて、分厚い検査結果の束をライラーの顔へ叩きつけた。

「まだ芝居を続ける気か、この売女!」医師は指を突きつけて怒鳴り散らす。

「生体血液の照合をした! お前の心臓はぴんぴんしてる! ウルフズベインに侵されていたのはゼラ嬢だ!」

 ライラーの顔色が一気に崩れる。

「な……何を言ってるの! わたしは五年前にアルファを救ったのよ、ずっと体調が悪くて――」

「ふざけるな!」

 医師は彼女の肩を掴んで引きずり、サイモンの前へ突き出した。

「五年だと? その五年、お前はその恩を盾にして、ゼラ嬢の滋養薬へ毎日少量のウルフズベインを混ぜてきた! 身体はもう、徹底的に壊されていたんだ!」

 サイモンが固まる。ゆっくり顔を上げた氷のような青い瞳は、ぞっとするほどの赤い血管で埋め尽くされていた。

 ――思い出したのだ。

 私が妊娠のことを伝えようとするたび、ライラーは「持病」がぶり返して彼の腕の中へ倒れ込んだ。毒のことを訴えようとするたび、廊下で大げさにうめき声を上げ、彼の注意を奪った。

 数時間前。私は床に膝をつき、許してと懇願した。

 そして彼は、私と子どもを、自分の手で天へ送った。

「お前は病気じゃない」

 サイモンの声は軽い。だが、狂化の直前にしか出ない危険な低さを帯びていた。彼は一歩、また一歩とライラーへ近づく。

「だ、だめ……サイモン、話を聞いて!」ライラーは後ずさる。さっきまで弱々しく見せていた身体が、今は驚くほど機敏に逃げた。

「医者はあの女に買収されてるの! お姉さまがわたしを陥れようとして――」

 サイモンは右手を伸ばし、一瞬でライラーの喉を挟み込んだ。

「げほっ……!」

 ライラーが狂ったようにもがく。

「嘘だ」サイモンの眼が真紅に染まる。

「毒女め。俺の夫人と子どもを殺した」

 唇の端から狼の牙が突き出る。彼はライラーを壁へ叩きつけた。鈍い音。ライラーは血を吐き、崩れ落ちて意識を失った。

 サイモンは私の前へ、もう一度膝をつく。

 胸に食い込んだ機械の臓器を見つめ、涙が私の青白い額へ落ちた。

「ゼラ……目を開けてくれ」

 彼は私の胸を両手で覆い、氷のような亡骸を温めようとする。

「信じる。もう疑わない。お前は、嘘なんかついてない」

 返事はない。そこにあるのは、彼が自分の手で壊した肉の塊だけ。

「心臓を戻せ! 今すぐその機械を取り出せ!」サイモンは医師の襟を掴み、理性を失った咆哮をぶつける。

「もう一度切れ! 急げ!」

「アルファ……無理です……!」

 医師は泣きながら首を振った。

「もう完全に……身体機能が全部、落ちている。心臓を戻したところで、死人は生き返りません!」

「ある」

 サイモンの目が裂けるほど赤い。彼は医師を突き放し、乱暴に自分の服を引き裂いて鍛え上げられた胸を晒した。

 躊躇はなかった。右の爪が、自分の左胸へ突き立つ。

「ぐちゃっ!」

 温かい血が一気に噴き上がる。

「アルファ! 正気か!」

 医師が腰を抜かして床へへたり込む。

「ゼラ……俺の心は、ずっとお前のものだ……」

 喉の奥で苦悶の呻きが潰れる。サイモンは自分の心臓を引き抜き、トレイへ置いた。血が半身を真っ赤に染め上げる。

 そのとき――。

 半メートルはある壁が、爆ぜるような音を立てた。

 サイモンは血塗れの胸を押さえ、はっと顔を上げる。

 銀色の重装甲をまとった王家の戦狼が、砕けた石を踏み、地下室へ踏み込んできた。

 続けて、絶対の威圧を放つ狼人士兵の一隊が雪崩れ込む。最高王廷でしか感じられない純血の威圧が、その場にいる狼人全員の膝を強制的に折らせた。

 先頭を歩く巨躯の男は、肩に純黒のマントを掛けていた。

 彼はまっすぐ手術台へ進み、最高権力の象徴である黒いマントを外すと、壊れきった私の遺体を、信じられないほど優しく包み込む。

 男は私を抱き上げた。トレイの中の、サイモンの心臓ごと。

「離せぇぇっ!」サイモンが怒りで掠れた声を張り上げる。威圧に抗い、立ち上がろうと身体を震わせた。

「彼女は俺の女だ!」

 巨躯の男がわずかに顔を横へ向ける。

 狼王のものだと一目でわかる暗金の双眸が、氷のようにサイモンを射抜いた。

「その女は――こんな汚れた屑溜めにいるべき存在ではない」

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