第5章
「わあ!佐藤先輩と田中先輩がまたツーショット上げてる!」
漫画研究会の活動室で、数人の後輩たちがスマホの画面を囲んで騒いでいる。
夏美は自分の画材を整理している最中に、その言葉を耳にした。彼女の手はわずかに止まったが、すぐにまた片付けを再開した。
「見てくださいよ、ネットで公開してる合作漫画、タイトルが『技法と理論の完璧な融合』ですって!」
「先輩すごい!先輩の彼女もすごい!」
「お二人って、まさにお似合いのカップルですよね!」
夏美は思わずスマホを取り出した。
佐藤一郎と田中優のアカウントは、ほとんど毎日更新されている。ツーショット写真、創作過程、技法を教える動画……二人は恋愛関係を、まるで学術研究のように専門的にパッケージングしていた。
最新の写真では、二人がドローイングデスクの前に並んで座り、田中優が佐藤一郎の肩に寄り添っている。テーブルの上には分厚い「プロ用コンテ稿」が置かれていた。
コメント欄は称賛の声で溢れている。
『アカデミックな恋愛、羨ましい!』
『漫画の天才カップル!』
『もっと合作が見たいです!』
夏美は見れば見るほど違和感を覚えた。田中優の最近の画風は、あまりにも変化が著しい。またしても彼女は、魂を込めずに、ただ技術だけで他の漫画家のスタイルを模倣している!夏美は素早く検索し、田中優が模倣しているのが、著名な少女漫画家である川端美雪の表現手法であることを見抜いた。
構図からキャラクターの表情に至るまで、ほとんど完全な盗作だ!
夏美は怒りにまかせてスマホの画面を消した。
「今日の創作検討会、佐藤一郎と田中優はまた欠席か」漫画研究会の会長が、諦めたように首を振った。「これで三週連続だぞ」
検討会では、先生が商業漫画のプロット構築術について解説している。最も実践的な授業の一つだ。
「あの二人、今じゃ恋愛にかまけて、サークルの活動には全然参加しなくなったよな」とある部員が小声で愚痴をこぼす。
「なんでも、毎日校外のカフェでデートして、いわゆる『高度な理論』とやらを研究してるらしいぜ」と別の部員が言った。
夏美は先生の解説に集中し、ノートに要点を一つ一つ真剣に書き留めていく。先生の最後のまとめの言葉に、夏美の目が輝いた。
「技法はあくまで基礎です。本当に勝負を決めるのは、物語の訴求力と、キャラクターの深みですよ」
「訴求力……それこそが、私の強み」彼女は心の中で自分を奮い立たせた。
授業の後、夏美は新人コンテストの準備に全精力を注ぐことを決意した。
彼女はスマホを開くと、迷うことなく佐藤一郎と田中優の全てのSNSアカウントをブロックした。
今日から、彼女は自分の道をひたすら進むのだ。
二ヶ月後のある午後、夏美は帰り道の桜並木を歩いていた。
「夏美!」
聞き覚えのある声に、彼女は足を止めた。
振り返ると、一人の若い男が桜の木の下に立ち、穏やかな笑みを浮かべていた。
この人……佐藤一郎に似ているけれど、雰囲気が全く違う。彼の眼差しはより深く、言いようのない成熟した空気を纏っている。
「あなたは……」夏美は戸惑いながら尋ねた。
「僕は佐藤一郎。2080年から来た、佐藤一郎だ」男は自己紹介した。
夏美の心臓が激しく脈打つ。
この人こそ、展示ホールで佐藤一郎の漫画集を破り捨てた、あの謎の男!
「何が目的?」彼女は警戒して一歩後ずさった。
「君に一つ、質問がしたい」自称未来の一郎の表情は真剣だった。「たとえこの世の漫画家が全員消えたとしても、君は今の僕と一緒に創作はしないか?」
夏美はためらうことなく答えた。「絶対にしない!」
意外なことに、自称未来の一郎はその答えを聞くと、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「それでいい。それが僕の欲しかった答えだ」
「私が先月の新人賞予選で何位だったか、知ってる?」夏美は探るように尋ねた。
自称未来の一郎は頷いた。「三百二十五位だ」
夏美は驚いて目を見開いた。この順位は指導してくれている先生にしか話していない。一番の親友だって知らないのに!
「じゃあ、今月は?」彼女は続けた。
「二百九十二位」自称未来の一郎は正確に答えた。「三十三位アップ。悪くない」
夏美の頭は混乱を極めた。どうしてこの人は、こんなに詳しく知っているのだろう?
「じゃあ……佐藤一郎は?」彼女は思わず尋ねてしまった。
自称未来の一郎の表情が、少し複雑なものに変わった。「彼は四百位台から五百位台に落ちた。技法は洗練されたが、アイデアが急速に枯渇している」
「えっ?」夏美は信じられなかった。「彼の技術はあんなにすごいのに……」
「技術が優れているからといって、作品に訴求力があるとは限らない」自称未来の一郎は軽くため息をついた。「それに、田中優の理論知識は豊富だが、彼女は将来、有名な漫画理論家になる。創作者にはならない」
夏美はますます訳が分からなくなった。「理論家?」
「ああ。漫画の技法と、紋切り型の創作方法を専門に研究するようになる」自称未来の一郎の口調には、わずかな皮肉が滲んでいた。「だが、理論家は決して、真に人の心を打つ作品を生み出すことはできない」
「俺はもうすぐこの世界を離れる」自称未来の一郎は舞い落ちる桜を見つめた。「これが、俺たちにとって最後の出会いだ」
夏美は名状しがたい名残惜しさを感じた。「どうして、私にこんなことを?」
「君に、自分の創作理念を貫き通してほしいからだ」自称未来の一郎は背を向け、去ろうとしたが、ふと何かを思い出したように振り返った。「そうだ。コミックマーケットへの参加を検討してみるといい」
「コミックマーケット?」夏美は眉をひそめた。「あれって、アマチュアのお祭りじゃないの?」
「むしろ逆だ」自称未来の一郎は微笑んだ。「多くの優れた漫画家が、同人誌から発掘されている。あそこの編集者は、凝り固まった技法の基準よりも、アイデアや感情表現を重視する」
「あそこなら、君の作品を本当に理解してくれる人に出会いやすいはずだ」
その言葉を最後に、自称未来の一郎は背を向けて去り、桜が舞う小道の先へとすぐに姿を消した。
夏美はその場に立ち尽くし、心の中に強い衝動が湧き上がるのを感じていた。
もしかしたら、本当にコミックマーケットを試してみるべきなのかもしれない。
二ヶ月後、東京のとある展示センターは、人、人、人でごった返していた。
コミックマーケットの会場には、数千ものブースが所狭しと並び、空気は興奮と創作の熱気に満ちている。
夏美は自分の小さなブースの前で緊張しながら立っていた。テーブルには、彼女が心を込めて制作したオリジナル同人誌『ときめき』が置かれている。
少女の成長を描いた、彼女ならではの表現が詰まった物語だ。
「これは、君が描いたのかい?」
眼鏡をかけた中年男性が彼女のブースの前で足を止め、『ときめき』を手に取った。
「は……はい」夏美は緊張して答えた。
男性は注意深くページをめくり、その表情は次第に真剣になっていく。
「人体の比率はまだ改善の余地があるし、パースも正確じゃないな」彼は率直に問題点を指摘した。
夏美の心は一気に沈み、また批判されるのかと身構えた。
だが、男性の次の言葉は、彼女を驚喜させた。
「しかし!君の物語は、訴求力が桁違いに強い!」男の目には興奮の光が宿っていた。「この感情表現の深みは、私が長らく見ていなかったものだ!」
「キャラクターの内面描写が実に素晴らしい!特にヒロインが苦境に立たされた時の心理の変化、その層が厚く、実にリアルで胸を打つ!」
夏美は自分の耳を疑った。
「私は『ちゃお』編集部の田村です」男は彼女に名刺を差し出した。「予言しよう。君は必ず、唯一無二の漫画家になる!」
「技術はまだ磨く必要があるが、君が持つこの天性の感情表現能力は、後天的に学べる類いの才能じゃない!」
田村編集長は熱心に彼女を誘った。「うちの雑誌に、有望な新人の作品を掲載する新人コーナーがあるんだ。投稿してみないか?」
夏美は感激のあまり言葉も出せず、ただ力強く頷くことしかできなかった。
この瞬間、彼女は自称未来の一郎の言葉の意味を、ようやく理解した。
ここで、彼女は自分の作品を本当に理解してくれる人に出会えたのだ!
時は流水のごとく過ぎ去り、瞬く間に十年が経過した。
二〇三五年の国際漫画展で、夏美は授賞式の壇上に立ち、その手には「年間最優秀漫画賞」のトロフィーが握られていた。
客席は満員で、フラッシュがあちこちで焚かれている。
「私の作品を評価してくださった皆様に、感謝申し上げます」夏美はマイクに向かって語りかけた。「十年前、ある人は私の感性的な創作は商業市場では決して通用しないと言いました。今日、私はこう言いたい。本物の芸術に、正解などないのだと」
会場から、雷鳴のような拍手が沸き起こった。
夏美の連載作品『心の画家』は、三年連続で売上ランキングの首位を独占し、十数カ国語に翻訳されて世界中で発行されている。
彼女は「アイデアだけで技術がない」と批判された学生から、国際的に著名な漫画家へと成長を遂げたのだ。
その一方で……。
佐藤一郎は、自分の狭い仕事部屋で、パソコンの画面を前に呆然と座っていた。
彼のネット連載『技法の達人』は三ヶ月も更新が止まり、わずかにいた数千人のフォロワーも減り続けている。
昨日、小さな出版社の編集者からメールが届いた。
『佐藤さん、貴方の作品は技術こそ見事ですが、訴求力に欠け、読者の反応も芳しくありません。つきましては、提携を一時中断させていただきたく……』
田中優の状況は少しマシだった。彼女はとある漫画評論雑誌で、技法分析のコラムニストを務めている。だが、「有名な理論家」になるには、まだ程遠い。
田中優は時折、夏美のニュースを目にしては、複雑な思いに駆られていた。
運命とは、自分たちが想像していたものとは、まるで違うものになってしまったようだ。







