第6章

詩織は動かなかった。

伏し目がちに、卓上に残る乾ききっていない酒の染みへと視線を落とし、蓮が口を開くのを待った。

個室の空気が凍りついたようだった。星野は杯を手に、商売人特有の面白がるような笑みを口元に浮かべ、二人の間を交互に見遣っている。

蓮は詩織を一瞥し、次いで瑠璃に目を向けた。

瑠璃は両目を赤くし、まつ毛を微かに震わせていた。その瞳には依存と哀願の色が満ちている。

彼は胸中で計算を巡らせた。

詩織は酒に強い。それはよく分かっている。今夜すでに三杯を飲み干しているが、まだ耐えられるはずだ。しかし瑠璃は違う——卒業して間もなく、こうした場も数えるほどしか経験していない。酔い潰れられればその後始末をしなければならず、かえって面倒なことになる。

当然のように、彼は自分の前の杯を手に取り、言い回しを変えた。

「秘書は業務が立て込んでおりますゆえ、後日改めて私からお詫びを。今夜はまず、私が社長にお付き合いいたします」

星野は笑みを漏らし、それ以上は強要しなかった。ただ、意味ありげな視線を詩織へと向けた。

詩織はそのすべてを静かに見届けていた。

何も言わず、蓮を見上げることもなかった。ただ静かに視線を卓上から外し、どこか焦点の合わない虚空へと移した。胸の奥で、何かが底へと沈んでいく。怒りでも、無念でもない。ただ鈍く、息の詰まるような痛みだった。

彼が瑠璃のために酒を断るのを見つめる。

彼のすることにはすべて理由があり、論理が通っていて、付け入る隙がない。

だからこそ、余計に絶望を誘うのだ。

夜が更けていく。瑠璃は蓮の肩に寄りかかり、タイミングを見計らって眉をひそめ、額に手を当てて囁いた。

「蓮さん、少し頭が痛くて……」

蓮は彼女の髪を撫でつけ、詩織に向き直った。

「彼女の具合が良くない。先に外へ連れて行く。君は少し酒を控えて、アシスタントについていてもらえ」

彼は片手で瑠璃を支えながら、個室の襖を閉めた。

アシスタントは隅に立っていたが、星野の随行員に酌を命じられ、すぐにこちらに構っていられなくなった。

酒席には四、五人の中年男たちが残された。

蓮が退出すると、場の空気は微妙に弛緩した。

体面を保つべき上位の存在が消え、男たちの態度にもだらしなさが滲み始める。席を移動する者も出始め、酌のペースも速くなった。話題はプロジェクトの提携から、よりくだらない方向へと滑り落ちていく。

詩織は元の席に座ったまま、半分ほど残った杯を手に、視線を卓上のどこかに落としていた。聞いているだけで、口は開かない。

「浅宮秘書」斜め向かいに座る中年男が真っ先に口を開いた。声には酒気が混じっている。「今夜はご苦労だったな。社長の代わりに場を持たせてくれて。さあ、この杯を」

なみなみと注がれた清酒が、彼女の前に押しやられた。

「ありがとうございます」詩織は杯を手に取り、軽く口をつけた。「大したことではありません」

「一口じゃ駄目だ、駄目だ」男は声を上げて笑った。「こういうのは、飲み干すのが筋ってもんだろう」

詩織は杯を見つめ、顔を上げた。

「今夜はすでに随分といただいております。これ以上は粗相をしてしまうかと」

「まさか」男は手を振った。「浅宮秘書ほど有能な人が、二杯や三杯で潰れるわけがない。九条社長も、どうやってあなたを秘書に選んだのやら」

周囲の数人もつられて笑い声を上げた。

詩織はその言葉には応じず、ただ杯の酒を一気に飲み干し、静かに卓へ戻した。

だが、杯を置いた途端、次の一杯が押しやられてきた。

「いいぞ!」男は卓を叩いた。「その心意気だ。さあ、もう一杯」

詩織は膝の上で指をきつく握り込み、すぐに緩めた。

彼女は飲んだ。

今夜六杯目、あるいは七杯目だった。胃の奥が熱を帯び、中で何かが焼けるように熱い。彼女は表情一つ変えず、その込み上げてくるものを押し殺し、平静を保った。

別の男が横から口を挟む。

「浅宮秘書、星野のプロジェクトは最初、あなたが担当していたと聞いたが? どうして後になって、あの若いお嬢ちゃんが契約することになったんだね?」

世間話のような気楽な口調だが、的確に急所を突いてくる。

詩織は彼を一瞥した。

「業務上の調整です。特別なことは何も」

「ほう——」男は語尾を伸ばし、薄ら笑いを浮かべた。「それなら我々の勘繰りすぎか。ただ、今日のお嬢ちゃんは席で一言も話せないくせに、九条社長にすり寄るのだけは上手かったな」彼は一拍置いた。「浅宮秘書、ここで我々の相手をさせられて、惨めだとは思わんのかね?」

「思いません」詩織は平坦な声で答えた。「これが私の仕事ですので」

「仕事、ねえ」別の男が言葉を継いだ。「九条社長の秘書とは、確かに特殊なお仕事だ」

数人が再び笑い声を上げる。その笑い声に含まれる何かが、詩織の背筋を微かに強張らせた。

その笑い声が何を意味するかは分かっている。

社内の人間が彼女をどう見ているか、知り尽くしていた。この地位に就いて五年。名分も実務的な役職もなく、対外的には常に『九条社長の私設秘書』だった。そうした噂は嫌というほど耳にしてきた。最初は一瞬の痛みを覚えたが、やがて麻痺し、タコのように硬くなっていった。

彼女は杯を手に取り、もう一口飲んだ。

それを見た卓の男は眉を跳ね上げ、露骨に話題を変えた。

「それにしても、今夜はもう九条社長も帰ったというのに、浅宮秘書はまだここで何を待っているんだ? 誰か別のお相手でもいるのかな。ははは」

隣の男が身を乗り出す。

「決まってるじゃないか。秘書の仕事は、最後まで席の相手をすることなんだから」

「違いない」男は詩織を見つめた。その視線は先ほどよりもずっと無遠慮なものに変わっている。「さあ、相手をするならとことん付き合ってもらおうか。浅宮秘書、この杯を干したら、我々も身内ということにしようじゃないか」

またしても、なみなみと注がれた杯が前に押しやられた。

詩織はうつむいてその杯を見つめた。

頭はすでに重くなり始め、喉の奥から微かな苦味がこみ上げてくる。今の自分の状態も、これ以上飲み続ければどうなるかも、痛いほど理解していた。だが、この卓上に彼女の退路はない。蓮は彼女をここに残し、守られるべき人間を連れて去った。彼女は、彼に代わってこの尻拭いをしなければならない。

彼女はその杯を手に取った。

男は笑いながら手を叩いた。「いい飲みっぷりだ!」

だが、その一杯を飲み干しても、男が手を引くことはなかった。

「浅宮秘書」彼らは席を移動し、一人の男が彼女のすぐ間近に座り込んだ。声のトーンが下がる。「あなたほど優秀な人が、ずっと秘書としてくすぶっているのは惜しい」男は手にした徳利から、彼女の杯へ酒を注ぎ足した。「ここらで一つ、外へ飛び出すことも考えてみては?」

詩織はバッグを手に取り、立ち上がった。

「ご厚意に感謝いたします。夜も更けましたので、私はこれでお暇させていただきます」

「おいおい、何を焦っているんだ」男も立ち上がり、ふざけた笑みを浮かべて彼女の前に立ち塞がった。「九条社長も帰ってしまったのに、一人でこんな場を持たせるなんて、さぞかし疲れるだろう? 私がその疲れを癒してあげようじゃないか」

「まだ業務が残っておりますので」

「業務、ねえ」男は低く笑った。「どうせ、ただの平の秘書だろう」男は一言一言、ねっとりと言い含めるように言った。「九条社長があの娘を連れて帰ったのは、あの娘にそれだけの価値があったからだ。分かるか?」

詩織の指が、バッグの持ち手をきつく握りしめた。

「分かっております」彼女は口を開いた。声は平坦だった。「ですので、私はお先に失礼いたします」

彼女は体を横にずらし、男を避けてドアの方向へ歩き出した。

男の手が、彼女の手首を掴んだ。

力はそれほど強くないが、的確に関節を押さえ込んでいる。どこか見下したような、下劣な感触があった。

「そんなに急ぐなよ。今夜最後まで付き合ってくれたら、少しばかり小遣いを弾んでやる」男は顔を近づけ、彼女にしか聞こえない声で囁いた。「慰謝料代わりだ」

詩織の喉が引きつった。

腕を振り払おうとしたが、男は手を離さない。

個室にいる他の数人は目を伏せたまま、誰一人として彼女を見ようとはしなかった。仲居はとうに退出しており、廊下からは何の音も聞こえてこない。

その絶望は、突如として押し寄せてきたわけではない。窪地に水が染み込むように、音もなくゆっくりと浸透し、気づけば足元を冷たく濡らしていた。

彼女は力任せに腕を後ろへ引いた。肩が椅子の背もたれにぶつかり、その一瞬の隙を突いてドアへと向かう——。

平手打ちが、何の前触れもなく飛んできた。

頬に焼けつくような痛みが走り、耳の奥で耳鳴りが反響する。足元がよろけ、ドアの枠にしがみついて辛うじて転倒を免れた。目頭に薄く涙が滲む。泣いているのではない。鼓膜が衝撃を受けたことによる、生理的な反応だった。

体勢を立て直した彼女の手首を、男が無造作に掴み、廊下へと引きずり出す。

廊下の突き当たりは薄暗かった。

その一瞬、彼女の頭の中は真っ白になった。

酒が回っているせいで、足取りは普段よりも鈍い。必死に後ろへ逃れようとしたが、振り解くことはできなかった。パンプスのヒールが床に擦れ、細かな摩擦音を立てる。

叫ぼうとした——

分厚い掌が、彼女の口を乱暴に塞いだ。

廊下の向こうから、足音が近づいてくる。

曲がり角から数人の人影が現れた。皺一つないスーツに身を包み、足取りは落ち着いている。彼女は横目で、必死に視線で彼らを引き留めようとした。だが、その一行は彼女の横を通り過ぎ、真っ直ぐ前を見据えたまま、一度も振り返ることなく歩き去っていく。

絶望が潮のように押し寄せ、喉元まで満ちた。

その瞬間。

一行の先頭を歩いていた男が、足を止めた。

彼はゆっくりと振り返った。

廊下の照明が彼の横顔を照らし出し、端正な顔立ちの輪郭を浮かび上がらせる。冷ややかな目元。すべてを掌握することに慣れた者特有の、静謐な表情。

そして、彼の視線が詩織の上に落ち、釘付けになった。

その顔が、急激に冷酷なものへと変わる。

表情を消したのではない。急降下だ。何かが完全に零下へと沈み込んだかのような、鋭く音のない、息が詰まるほどの冷気が放たれていた。

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