第143章 彼はただの元夫にすぎない

三十分後。

坂東補佐は腕時計に目を落とし、それから恐る恐る顔を上げてルームミラーを覗いた。

後部座席には伊沢赤司が座っている。薄暗さのせいで表情までは読み取れない。ただ、車内の空気だけが重く沈んでいた。

坂東補佐は息を吸い込み、腹を括って口を開く。

「伊沢社長……綾部の旦那様に、ご挨拶に伺いましょうか」

後ろの男は答えない。身じろぎひとつしない。

圧が、肌にまとわりつく。坂東補佐は唾を飲み込み、それ以上は言葉を継げなかった。

数分後、綾部家の門から北条一臣が出てきた。見送りに出た綾部栞が、玄関先までついてくる。

一臣の腕の中には妃奈がいた。小さな体を大人しく預けたまま、それで...

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