第172章 ただの他人

音が、ぷつりと途切れた。

パァン――

乾いた平手打ちの音が、夜気を裂く。

温井知夏はじんと痺れる掌を軽く振り、九条司を氷のような目で射抜いた。

「また付きまとったら、会うたびに叩く。覚えといて」

男は呆然と立ち尽くす。

まさか彼女が手を上げるとは――そんな顔だった。

九条司が掠れた声で呟く。

「知夏……おまえ……」

かつての彼女は、彼を愛し、敬い、言うことはすべて聞いた。まして殴るなんて、あり得なかった。だが今、彼女の瞳にあるのは露骨な苛立ちだけ。向けられる視線が冷たすぎて、胸の奥がひゅっと縮む。

心臓に裂け目を入れられたみたいに、冷たくて、痛い。

――本当に、もう俺を...

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