第1章
和栄と激しく罵り合った末、私はあの息の詰まるような家から逃げ出した。
外は土砂降りで、私は吸い寄せられるように、明かりの灯る小さな店へと飛び込んだ。
絶望と寒さで震える私に、店員はタオルを差し出し、あの静謐な瞳を見開いて問いかけた。
「お客様、当店には最後の一つとなる『忘却カプセル』がございますが、いかがなさいましょうか?」
彼は背後の引き出しを開け、深い黒色のベルベットの箱をカウンターの中央へと滑らせた。
箱が開かれる。中には二つのカプセルが静かに横たわっていた。
一つは深海のような、どこまでも深い蒼。もう一つは目が痛くなるほどの透明で、中には白い粉末が封じ込められている。
「こちらの深い蒼は『忘却』です。服用後七十二時間以内に完全に作用し、貴女の記憶から苦痛の部分だけを正確に切除いたします」
「そしてこちらの透明なものは『後悔薬』。もし、忘れたくないと思われたなら、これを飲み込んでください。全てが元に戻ります」
私はその蒼いカプセルを見つめた。それが唯一の救済であるかのように。
「でも、急いで出てきたから、持ち合わせが……」
「お代は結構です」彼は私の言葉を遮った。
「当店は、物々交換のみ承っております」
交換?
私は無意識に腹部を押さえていた。
「もし……」私の声は、吐息のように頼りなく震えた。
「私が未来に授かるかもしれない子供。それを対価にして、足りますか?」
取引成立。
私は蒼いカプセルを掴み取り、水もなしに喉の奥へと流し込んだ。そして透明な解毒剤の入った箱をコートのポケットの奥深くに押し込み、ロンドンの深夜の雨霧の中へと踵を返した。
雨脚は、さらに強まっていた。
路地の入り口に停まった見慣れたシルバーのジャガーへと歩み寄ると、静かに窓が下がった。
街灯の昏い光が、中城和栄の端正で彫りの深い顔を照らし出す。
彼は眉間に深い皺を刻み、極めて不機嫌そうに私を見ていた。
「乗れ」
彼は私を見ようともせず、短く命じた。
「この区画を何周したと思ってるんだ? 佳代子、今の君の行動は極めて非合理的で、幼稚すぎる」
私はドアを開け、助手席に身体を滑り込ませた。
車内は暖房が効きすぎていて窒息しそうだったが、骨の髄まで染み込んだ寒気は消えそうになかった。
後部座席では、七歳の息子・真悠がうつむいてSwitchに夢中になっていた。私が乗り込んだのに気づくと、わざとらしく身体を反対側へ縮こまらせ、聞こえよがしに「フン」と鼻を鳴らした。
「ママとなんか話したくない」
真悠の甘ったるい声には、大人から学んだ悪意が満ちていた。
「ママは悪いママだ。叔母さんのこと、愛してないんだもん」
私はいつものように機嫌を取ろうとはしなかった。
謝りも、哀願もしない。
ただ静かに、窓の外を流れる街並みを見つめていた。
家に戻り、玄関のドアを開けた瞬間、私の視線はテラスへと吸い寄せられた。
そこは本来、色彩に溢れた場所だったはずだ。
一年前、私が自ら植え替えた高価なダマスクローズと、希少な青い紫陽花。激務の弁護士業の合間、この息苦しい家の中で唯一、私だけのものである聖域。私はそれらに水をやり、枝を整え、まるで我が子のように慈しんできた。
だが今、床には泥水の跡が点々と残るのみ。そこは空っぽだった。
「清掃業者に処分させた」
和栄は私の視線に気づき、高価なカシミヤのマフラーを解きながら、恐ろしいほど淡々と言った。
「緑が今日の午後来た時、咳き込んでいただろ? 彼女は白血病で治療中なんだ、匂いに敏感なんだよ。たかが花だ、捨てたってどうってことないだろう」
私は何も言わない。
その沈黙が、和栄をさらに苛立たせた。
「たかが鉢植えじゃないか。何だその態度は。家族の健康のために、それくらいの犠牲も払えないのか? 緑の病気が治ったら、また買ってやる。十倍でも買ってやるさ、それでいいだろ?」
真悠が父親の横に立ち、まるで正義のヒーロー気取りで大声を張り上げた。
「そうだよ! 叔母さんがあんなに具合悪いのに、ママは枯れかけの花のことばっかり! 叔母さんが僕のママならよかったのに。叔母さんなら、こんな下らないことでパパを怒らせたりしない!」
空気が数秒、凍りついた。
もし昨日までなら、この言葉は鋭利なナイフとなって私の心臓を突き刺していただろう。
私は泣き崩れ、なぜ子供にこんないい草を許すのかと和栄を問い詰めただろう。
ママがどれほど真悠を愛しているか必死に説明しようとし、その結果、父子からのさらなる冷ややかな視線と、和栄の決まり文句を引き出していただろう。『君がそうやって神経質だから、子供までそんなことを言うんだ』と。
しかし今、それらの感情は、薄い紗の向こう側にあるようだった。
久しぶりに感じる、身軽さ。
私は振り返った。
怒りも、悲しみもない。まるで赤の他人を見るような目で、二人を見た。
「捨てたなら、それでいいわ」
私は穏やかに言った。
声は平坦で、震え一つなかった。
カフスボタンを外そうとしていた和栄の手が、空中で止まった。
彼は責任について、大局について、姉としての義務について、あるいは私の「情緒不安定」がいかに彼の仕事を妨げているかについて、長大な説教を用意していただろう。
私が泣き出した時に向ける、あの見下すような慰めの言葉さえ準備していたはずだ。
だが、彼の一撃は空を切った。
「何だって?」彼は眉を顰め、聞き間違いだと言わんばかりだった。
「あれは……苦労して育てた品種じゃなかったのか? 先週、清掃員が葉を一枚落としただけで、半日も落ち込んでいたくせに」
私はコートを脱いでハンガーにかけながら、流れるような動作で応えた。
「貴方の言う通りよ。私は姉なんだから、もっと弁えなくちゃ」
私は振り返り、驚愕に顔を歪める大小二人の男たちを見て、口元を微かに綻ばせた。
「これが、貴方たちがずっと望んでいたことでしょう?」
和栄は私の瞳を覗き込んだ。彼はそこに涙を、あるいは怒りを探していた。だが彼が見つけたのは、理由のわからない不安を掻き立てるような、虚無だけだった。
「もちろん分かっている。ただ、奇妙だと思っただけだ」
奇妙?
私は黙って窓の外へ視線をやった。
奇妙なんかじゃない。ただ、これら全てが私にとって、もうどうでもいいことになっただけ。
