第2章
反応する間もなく、ルーシェンがいきなり私のうなじを掴み上げた。
信じられないほどの力。半死の獲物でも持ち上げるみたいに、私はずるずると前へ引きずられる。膝が地面に叩きつけられ、そのまま――あれの中へ押し込まれた。
封鱗籠。
竜骨で組まれた狭い檻。身を縮めることすら許さないほど窮屈で、檻の壁には竜族の気配を押さえつける刻印がびっしり彫り込まれている。いったん閉じられれば、中の竜族は呼吸さえ弱められる。
闇が落ちた、その瞬間。
私の頭の中で、何かが爆ぜた。
四年前の光景が、濁流みたいに押し寄せてくる……。
人族の国境で治癒をしていたとき、私は狩竜者に生け捕りにされ、鉄の檻へ放り込まれた。三日三晩、檻の中に毒煙を流し込まれ続けた。私は腐りかけた同族の骸と、頬と頬を貼りつけるほどの距離で押し合いへし合いしていた。鱗は粉みたいに砕け、腐液と混じって私の顔にべったり張りつく。生臭さが内臓の奥まで染み込んで、吐き気が止まらなかった。
それでも、感じてしまう。
骸に残ったわずかな竜息が、私の頬の上で一筋ずつほどけていく感覚。まるで、誰かの手がゆっくりと握りを緩めていくみたいに。
あれ以来。
闇と、狭い空間は――私にとって墓だった。
「出して……! お願い、出して!」
私は狂ったように檻を掻いた。爪が竜骨の継ぎ目に食い込み、一本、また一本と折れてはめくれ上がる。指先から血が伝い、刻印の溝をどす黒く染めた。
それでも檻は、びくともしない。
叫びで喉が裂け、やがて声の形すら失った。残ったのは、息みたいな懇願だけ。踏みつけられた幼獣の、か細い鳴き声。
「ルーシェン……私が悪かった……お願い、私、死ぬ……!」
どれほど経ったのか分からない。
ようやく、檻の扉が引き開けられた。
光が一気に突き刺さって、痛みで目を細める。涙と血で顔はぐしゃぐしゃで、目の前の人影すらろくに見えない。それでも本能で外へ這い出し、ルーシェンのローブの裾にしがみついた。身体を丸め、震えが止まらない。ざらざらと歯が鳴る。
「もう閉じ込めないで……お願い……本当に、あの中で死ぬ……!」
ルーシェンが私を見下ろした。
差し出しかけた手が一瞬止まり、そして、引っ込められる。
「いい加減おとなしくできないのか?」
苛立った声。駄々をこねる子どもをあしらうみたいに冷たい。
「可哀想なふりはもういい」
「おまえに治癒を頼む客は、全員俺が選んでいる。ただの訓練だ。おまえを本気で痛めつける気なんてない」
私は床に貼りついたまま、固まった。
頭の中で、何かがぷつり、ぷつりと切れていく。弦が一本ずつ、ほどけるのではなく、断ち切られる音がする。
「……全部、あなたが仕組んだの?」
私に犬の真似をさせ、股下を這わせた蛇族の商人も。
強烈な毒液を三壺飲ませ、「竜晶の報酬を上乗せしてやる」と笑った獣人の武将も。
ルーシェンは当然のように頷いた。眉ひとつ動かさない。
「だから何だ?」
彼は言う。
「おまえにも、他人の立場で考えることを覚えてほしかっただけだ。シルヴィは蛇族で育って、どれだけ苦労したと思ってる? 竜族で不自由なく暮らしておきながら、あいつを虐めた。底の暮らしの味を知らなきゃ、本当にあいつを思いやれるはずがない」
馬鹿げた理屈に、笑ってしまいそうだった。
でも、笑えない。
思い出すのは、あの夜、あの夜、あの夜――痛みで床を転げ回った夜のたびに、私は自分に言い聞かせていたのに。
もう少しだけ耐えろ。全部、ルーシェンを救うためだって。
私が耐えてきたものは、因果なんかじゃない。彼が丁寧に組み上げた、刑罰だった。
「それと」
ルーシェンが話を切り替える。まるで家事の段取りでも告げるみたいに。
「今夜は五族祭典だ。シルヴィは竜族の二小姐として正式に受封される。おまえが出るんだ」
私はゆっくり顔を上げた。
「おまえみたいな竜息者が口にして認めなきゃ、各族は本当の意味では納得しない。あの老いぼれどもは、すぐ余計なことを言い出すからな」
彼はしゃがみ込み、上から私を覗き込む。声には、妙に言い含めるような響きまで混ざっていた。
「全族に、おまえ自身を証明する機会だ。今夜さえ協力すれば……今までのことは、水に流してやる」
私は何も言えなかった。
背後から、ケールの気だるげな声が落ちてくる。
「おまえ、ずっと正式な聯姻儀式が欲しいって言ってたよな?」
洞窟の石柱にもたれ、彼は獣骨の小片を弄んでいた。そこには聯姻の刻印が刻まれている――本来なら、私たちのものだったはずの。
「シルヴィのために、もう一匹竜息の子を産んだら……王后の冠くらい、考えてやってもいい」
聯姻儀式。
月明かりの下で、彼が私にくれた約束。五族の前で冠を授け、この大陸の誰もが、私が彼の妻だと知るようにする、と。
今やそれは、餌をつけた釣り糸に変わっていた。
施しだ。
私がいちばん大切にしていたものをぶら下げて、従順になれと迫ってくる。
視界の端に、カウントダウンの文字がちらついた。
【カウントダウン:12時間】
十二時間後、私はここを出られる。
私は目を伏せ、喉元までせり上がった憎しみを、少しずつ押し戻した。折れた爪の指先から、まだ血が落ちている。
もう一度顔を上げたとき、私の表情からさっきの崩壊は消えていた。
「……分かった」
私は言った。
「行く」
ルーシェンは満足したらしい。立ち上がり、もう私を見ようともしない。
ケールも気だるげに身を起こし、私の脇を通り過ぎるとき、わずかに顔を背けた。何かの匂いを避けるみたいに。
鱗が腐る匂い。
二人が去ると、洞窟には私ひとりだけが残った。
折れた爪と血まみれの手を見下ろしていると、妙に静かだった。
これまでは、傷つくたびに思ってきた。もう少しだけ耐えろ、と。ルーシェンのために、帰るために。
もう、考えなくていい。
