第2話 記憶の欠片

震える手でスマートフォンを掴んだ。

渡辺絵美。

どこで会ったのか、今なら思い出せる。

あれは約半年前。陸が、救急隊員の言うところの『深刻なパニック発作』を起こし、救急外来に緊急搬送された日のことだ。クリニックにいた私は知らせを受けるなり、全てを放り出して彼のもとへ駆けつけた。

その時の記憶が、靄のかかったフィルムのように、今になって鮮明に蘇ってきた。

病院に到着した時、陸は待合室の椅子にぐったりと座っていた。顔は青白く、ひどく動揺している様子で、その手は小刻みに震えが止まらない。もっと酷い発作もあったけれど、あんな姿の彼を見るたび、彼のPTSDが最も深刻だった初期の頃にいつも引き戻されるような気がした。

「どうしたの?」

彼の隣のプラスチック椅子に滑り込むように座り、私は尋ねた。

「わからない」彼の声は掠れていた。「ジムにいたら、急に息ができなくなった。まるで、カンダハルにいるような気分だった」

初期診断を担当する看護師が、診察のために彼の名を呼んだ。心臓に問題がないことを確認するための、パニック発作における標準的な手順だ。私は殺風景な廊下で、スマートフォンのメールを意味もなくスクロールしながら、心配を押し殺して待っていた。

陸が戻ってくると、白衣を着た若い女性が私たちに近づいてきた。ブロンドのポニーテールに、人懐こい笑顔。おそらく二十代前半だろう。

「小林さん?」彼女は陸に手を差し出した。「本日は見学をお許しいただき、本当にありがとうございます。この症例研究は、私の卒業論文にとって、信じられないほど貴重なものになりますので」

私は混乱して、二人を交互に見つめた。

「何の症例研究?」

陸は、苛立ちを隠そうともせずに彼女をあしらった。

「自分の研究に集中しろと言ったはずだ」

若い女性の顔が曇った。

「でも、臨床の観察時間が足りないと、課程の修了要件を満たせないんです」

「俺の問題じゃない」

陸はそう吐き捨てると、もう立ち上がってその場を去ろうとしていた。

その日、病院まで私を車で送ってくれたのは、同僚の中島葵だった。彼女の車へ向かって歩いていると、葵が不意に私の腕を掴んだ。

「あの子について、何か気づかなかった?」

「どうかした?」

葵は病院の入り口の方を振り返った。

「あなたに似てる。ほら、あなたの二十代の頃に」

その時は笑って聞き流した。葵が大げさなだけだと思っていた。それでも、自動ドアのそばにぽつんと一人で立っている若い女性の姿を、私は思わず振り返って見てしまっていた。

あれが、渡辺絵美だったのだ。

陸は彼の症状に対する標準的な措置として、経過観察のために一晩入院した。翌日の夕方、彼は街中にある私のお気に入りのコーヒーショップの袋を手に帰ってきた。

「君が好きなエチオピアの豆、買ってきたよ」彼はそう言って私の頬にキスをした。「二十分も並んだんだ。シャワーを浴びている間にでも楽しんで」

その時は、なんて優しいのだろうと思った。今となっては、その二十分の間に彼が他に何をしていたのかを考えてしまう。

陸がバスルームに消えた後、私は気づけば予備の車のキーを手に取っていた。この時間、建物の駐車場は静まり返り、蛍光灯の唸る音と、頭上から聞こえる遠い交通の音だけが響いていた。

彼の車はシミ一つなく綺麗だった。最近洗車したのだろう、埃ひとつ付いていない。助手席はいつも私が座る位置に調整されていたが、それだけでは何の意味もなかった。陸はそういう細部にこだわる男だ。

私は運転席に滑り込み、彼のスマートフォンのナビ履歴を呼び出した。彼はそれを消そうとしたことすらない。まさか私が見るとは夢にも思わなかったのだろう。

昨日のルートがすぐに目に飛び込んできた。松雲大学心理学部。彼はそこに六時間以上も滞在していた。午後の遅い時間から、深夜近くまで。今日の日付でも同じ場所への移動履歴が示されている。今度は二時間。

緊急の治療でもなければ、一晩の経過観察でもない。ただ、松雲大学の心理学部を訪れているだけ。

震える手で、私は車の内蔵ナビゲーションシステムをスクロールした。走行履歴は、残酷なほど明確な事実を物語っていた。昨日、大学を出た後、彼は車で十分ほどの距離にある大学院生用の居住施設へ向かっていた。車は昨夜の九時から今朝の十時まで、そこに駐車されていたのだ。

全てを閉じようとしたその時、スマートフォンが震えた。医療関係の共通の友人である高橋裕太からのメッセージだった。

『どこにいる? コンサルテーションにはもう一時間も遅れてるぞ』

メッセージは私宛ではなかった。陸に送るはずのものだ。裕太が連絡先を間違えたに違いない。

ほとんど間を置かずに、私の電話が鳴った。

「結月さん? ごめん、陸に送るつもりだったんだ。彼は一緒にいる?」

「上の部屋にいるわ」私はなんとか声を絞り出した。「何のコンサルテーション?」

「八時から症例検討会を予定していたんだ。連絡もなしに遅刻するなんて、彼らしくない」裕太は少し間を置いた。「まさかとは思うが、またあの大学院生と一緒にいたなんて言わないでくれよ」

胃が、ずしりと重くなった。

「大学院生って?」

「渡辺絵美とかいう……なあ、俺が言うべきことじゃないかもしれないが、陸は松雲大学の学生の卒論指導をしてるんだ。最初は仕事上の付き合いだったんだが、最近は……」裕太は言葉を濁した。

「最近、何?」

「わからないんだ、結月さん。彼の様子がおかしい。上の空というか。仕事のストレスかと思っていたが、今は何か他に理由があるんじゃないかと思ってね」

電話を切り、私は暗い駐車場に座り続けた。点と点が、一本の歪んだ線で繋がっていくようだった。

遅い帰宅。無言電話。急に増えた『コンサルティングの仕事』。そして、若い頃の私にそっくりだという、大学院生。

ようやく上の階に戻った時、陸はすでにベッドに入っていた。彼は裕太に、体調が悪いという言い訳のメッセージを送っていた。増え続ける嘘の山に、また一つ、新たな嘘が積み重なった。

その夜、私は眠れなかった。代わりに、寝室の窓辺の椅子に座り、眠っている陸の寝顔を見つめながら、どうしてこうなってしまったのかを考えていた。

彼に出会った時、彼は二十七歳だった。軍を除隊したばかりで、言葉にできないトラウマに溺れていた。兄の勧めで私のクリニックを訪れた彼は、セラピーに抵抗を示しながらも、藁にもすがる思いだった。

彼の心の壁を突き崩すのに数ヶ月かかった。彼が異国の地で経験したことを整理する手助けをするために、慎重な作業を何ヶ月も続けた。その過程のどこかで、専門家としての境界線が曖昧になっていった。私は患者に恋をしてしまい、彼の治療が終わった時、私たちはクリニックの外で会うようになった。

『年齢なんてただの数字だよ』初めての本格的なデートで、彼は私に言った。『結月、君は俺の命の恩人だ。他のことはどうでもいい』

だが今、どうやら私の年齢は問題になったらしい。

彼が九歳も年下の誰かを探し求めるほどには。私に似ているけれど、三十六歳という『新鮮味』がない誰かを。

私は見ていた。窓ガラスに幽霊のように映る自分の姿を。この街のどこかで、渡辺絵美は大学院生の寮で目を覚まし、私の夫との次の一手を計画しているのだろう。

皮肉な話だ。私はこれまで、裏切りやトラウマから人々が立ち直る手助けをキャリアとしてきた。今や私はその方程式の反対側にいて、これまでの専門的な訓練は、胸を締め付ける生々しい痛みに対しては何の役にも立たないように感じられた。

だが、それでも私は心理学者だ。人間の行動とその動機を理解する専門家だ。もし陸が、渡辺絵美にしたように私をも操れると思っているのなら、自分がどれほど見当違いか、すぐに思い知ることになるだろう。

私には、やるべきことがあった。

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