第3章
電話を切ると、私はスマホを傍らに放り投げ、再び横になった。
秋倉拓はベッドのヘッドボードに寄りかかり、煙草に火をつけた。その煙が、暗い和室にゆらりと漂う。
「あの藤原成俊のどこがいい」
秋倉拓は、侮蔑を滲ませた声で口を開いた。
「血の契りを結ぶ前からどれだけの女とぐちゃぐちゃやってるんだ。お前と儀式を終えたところで、お前一人に忠実でいるはずがない。奴はお前に相応しくない」
私はすぐには応じなかった。カーテンの隙間から、東京の夜空に瞬く数少ない星が見える。
「組織同士の縁組と言うなら、秋倉会は藤原組に劣らない」
彼の提案は、静寂の夜にことさら鮮明に響いた。
私は眉をひそめる。
「何を提案しているのですか、秋倉会長?」
「俺たち二人が血の契りを結び、共に東区を掌握すれば、ずっと容易になる」
彼はまるで普通のビジネス提携でも話すかのように、平然と言った。
私は鼻で笑う。
「秋倉会の実力は、単独で東区を手に入れるには足りないとでも?」
秋倉拓は唇の端を微かに上げた。
「あるいは、お前にただ乗りされたくない、とか?」
その言葉に、私は思わず噴き出してしまった。
「そういうことでしたら、秋倉会長。協力、楽しみにしています」
私は静かにそう言った。
四十分後、私たちは神社の内室から出てきた。手首の血の契りの印がまだじんじんと痛む。
繁華街に隠されたこの古い神社は、ヤクザが秘密の儀式を行うための伝統的な場所だ。私は手首に刻まれた真新しい血の痕に目を落とし、一瞬、現実感が薄れた。
まさか自分が、目の前のこの男と、両親にすら知らせずに私的な血の契りを結ぶことになろうとは。
「行くぞ。盟約の儀式を済ませる」
秋倉拓の声が、私の思考を遮った。
北海道のプライベート温泉は、厚い雪に覆われ、立ち上る湯気が冷たい空気の中で薄い霧を成していた。私たちは雪景色に囲まれた露天風呂で誓いを交わし、互いの縄張りと名誉を共に守ることを約束した。
「上を見ろ」
秋倉拓が唐突に言った。
見上げると、北海道の夜空には無数の星が散りばめられ、漆黒の天幕の上で格別に輝いていた。
「雪の中の星空だ」
彼は静かに説明した。
「こういう場所でしか、最も純粋な星の光は見られない」
部屋に戻ると、スマホに大量の未読メッセージが溜まっていることに気づいた。組織のメンバーが、ずっと通知が鳴っていたと教えてくれた。画面を開くと、着物、伝統儀式、一族の帯に関するメッセージが何件も届いている。なぜこんなプライベートな連絡先が漏れているのか、私は眉を顰めた。
まさにその時、再びスマホが鳴った。着信表示は藤原成俊だった。
「どこにいる?」
彼の声は氷のように冷たく、怒りに満ちていた。
「あなたには関係ないことです」
私は平然と答えた。
「俺が小林詩織のために結盟式を執り行ったからって、拗ねてるだけだろう?」
藤原成俊の口調が少し和らいだ。
「お前のためにも正式な式をやり直してやれる。彼女の十倍は盛大にな」
「気でも狂ったの」
私は冷笑した。
「私たちの血の契りは、もう解除されたわ」
電話の向こうで数秒の沈黙があった後、藤原成俊の声が険悪なものに変わった。
「チャンスはくれてやった。それを自分で断ったんだ。後悔するなよ」
電話を切り、振り返ると、秋倉拓が戸口に立っていた。彼の表情は、何か考え込んでいるようだった。
「藤原成俊か?」
と彼が訊いた。
私は頷き、思わず愚痴をこぼした。
「私、どうしてあんな男を認めるなんて、どうかしてたんだわ」
秋倉拓はその言葉には乗らず、ただ微かに笑うと、自身の腕にある龍の刺青を指でそっとなぞった。
それからの日々、私たちは伝統的な盟約の旅を完遂した。北海道の雪景色の温泉から沖縄の海底神社まで、あらゆる場所に私たちの誓いと血印を残した。沖縄で最後の儀式を終えた時、私はかつてないほどの安らぎを感じていた。
今回、私は、敬意というものを知る盟友を選んだのだ。
