第1章 コメントが明かす運命
アリサ・ローシルが王宮庭園の最後の結界を通り抜けた時、空はすでに黄昏に染まっていた。彼女は胸に、三日三晩徹夜して完成させた魔法学の講義ノートの写しをしっかりと抱きしめている。
「エリモンは熱で欠席していたから、きっとこの資料が必要になるはず」
彼女はそう小さく呟いた。指先が微かな青い光を放っている。それは魔力が尽きかけの兆候だった。
王宮の階段に足を踏み入れた、その瞬間。アリサの眼前に、半透明の文字が一列、ふわりと浮かび上がった。
『まさにこの夜、悪役令嬢は王子に誘導されて魔力を供給し、最終的に魔力枯渇で死亡する』
アリサはその場に凍りつき、瞳孔が収縮した。このような奇妙な「コメント」を目にしたのは初めてではないが、これほど直接的に死に言及されたことはなかった。
「悪役令嬢?魔力枯渇?」彼女は心臓の鼓動が速まるのを感じ、困惑して首を振る。「これって、私のこと?」
また一つ、コメントが流れていく。『うわあ!またこのシーンか。毎回アリサが可哀想で見てられない。でも、定められた犠牲者なんだよね』
「ローシルさん、王子様が三階西側の寝室でお待ちです」
王宮の侍従の声が、彼女の思考を遮った。
アリサは胸中の不安を無理やり押し殺し、侍従に従って華麗な宮廷の廊下を歩いていく。
「アリサ!やっと来てくれたんだね」
エリモン・オリバー王子はベッドにもたれかかり、金色の髪は乱れ、青い瞳は熱のせいか僅かに混濁していた。
アリサは正式な宮廷の礼をすると、ノートをベッドサイドのテーブルに置いた。
「殿下、授業のノートをお持ちしました。お役に立てれば幸いです」
「本当にありがとう。君がいなかったら、どうすればいいか——」
エリモンの言葉は途中で途切れ、彼はそっとアリサの手首を引いた。驚くアリサを、王子はそのまま腕の中へと抱き寄せていた。
「アリサ、僕の魔力がひどく欠乏しているんだ。来週の試験、どうしたらいいか全く分からなくて……」エリモンは彼女の肩に額を押し付け、低く弱々しい声で囁く。「アリサ、今夜ここに残って、僕に魔力を融通してくれないか?」
その瞬間、さらに多くのコメントが雪のようにアリサの眼前に舞い散った。
『また王子がアリサを利用する重要シーンだ!』
『この悪役令嬢、バカすぎる。王子のためなら命も惜しまないんだから』
『この茶番、もう見飽きたわ。いつもアリサが必死に魔力供給して、最後は魔力が尽きた狂人扱いされて捨てられる』
アリサは目の前が眩み、コメントはますます多く、速くなっていく。
『悪役令嬢は魔法の天才から呪われた婚約破棄対象に転落し、最後は無惨に死ぬ!』
『魔力枯渇のシーン、悲惨すぎる。なのに王子は公爵の娘と結ばれるんだよな』
『王子と公爵の娘は運命のパーフェクトエンド。悪役令嬢は自業自得!』
『今回のアリサは真実に気づくかな?』
アリサははっと我に返り、エリモンの腕から身を引いて距離を取った。心臓は太鼓のように鳴り響き、指先が震える。
「アリサ?」エリモンは目に一瞬戸惑いを浮かべたが、すぐさままた弱々しい表情に戻る。「僕を助けられるのは、君しかいないんだ。僕のそばを離れないでくれないか?」
アリサは一歩後ずさり、幼い頃から共に育ったこの王子を、初めてじっくりと観察した。
彼女は、自分がコメントで言われている「悪役令嬢」なのかもしれないと、ふと気づいた。
「殿下、殿下の問題解決には、もっと専門の魔術師が必要です」アリサは声が震えないよう必死に努めた。「私はただのしがない魔法見習い。殿下に魔力を供給する資格などございません」
エリモンの表情が一変し、アリサを掴もうと手を伸ばす。
「そんなことを言うな、アリサ。君の魔法の才能は学院の誰よりも優れている。僕が信頼しているのは君だけだと知っているだろう」
アリサの脳裏に、無数の光景がよぎった。徹夜でノートを写した夜。魔法試験でエリモンのために危険を冒してカンニングした時のこと。エリモンとヴィクトリアがデートしている時、王室の衛兵に見つからないよう幻術で彼らを隠した危険な瞬間。
これだけ尽くして、得られたものは何だったのだろう?
「ですが、殿下はすでにブライトン公爵の娘と婚約されていらっしゃるのでは?」アリサは探るように尋ねた。「ヴィクトリア様の才能は学院でも随一と評判ですわ。今から人を遣って、彼女に魔力供給をお願いしてはいかがでしょう」
エリモンの表情は瞬時に複雑なものとなり、彼は慌てて首を振った。
「いや、ヴィクトリアを煩わせる必要はない。夜に王都を横断するのは彼女にとって危険すぎる」
『うわ!アリサが王子の頼みを即答しなかった!シナリオが変わった!』
『王子のあの顔、婚約者に他の女と二人きりなのがバレるのを心配してるだけだろ?』
『アリサが、王子はただ自分の魔力を狙ってるだけだって気づけばいいのに』
コメントの内容が、アリサの心をナイフのように切り裂いた。彼女は、エリモンは自分に特別な感情を抱いていて、政略結婚という使命があっても、彼の心の中で一番大切なのは幼馴染の自分なのだと、そう信じていた。
しかし今、すべてがはっきりと見えてきた。
彼はヴィクトリアには細やかな配慮を見せるのに、自分に対しては気遣い一つない。
「私もただの学生です。魔力の蓄えにも限りがございますわ」アリサは顔を上げ、エリモンの瞳をまっすぐに見つめた。「それに、明日は法術実践授業も控えておりますの」
エリモンはアリサが断るとは思ってもみなかったらしく、声を荒らげた。
「アリサ!君の助けがなければ、僕が来週の試験を突破できないかもしれないと分かっているのか!」
「婚約者様が喜んでお力添えくださるかと存じますわ」アリサは冷静に応じると同時に、テーブルに置いたノートを手元に呼び戻した。「魔力回復薬をお忘れなく。ごきげんよう、殿下」
『なんてこと!アリサが王子を拒絶した!これ、元のシナリオじゃない!』
『アリサに拍手!ついに貢ぐ女を卒業した!』
『マジか、今回のアリサは魔力枯渇死の運命から逃れられるのか?』
コメントの驚嘆の声を背に、アリサは踵を返して王宮を後にした。その足取りは来た時よりもずっと軽やかだったが、心の中では疑問と痛みがまだ渦巻いていた。
王宮の門を出ると、夜はすでに更けていた。アリサは家路を一人歩き、冷たい夜風に思考を散らしてもらう。
ローシル邸は煌々と明かりが灯っていたが、両親はとうに寝入っていた。アリサはこっそりと浴室に忍び込み、あの男が自分の身体に残した匂いを洗い流すように、シャワーの湯を浴び続けた。
浴室の湯気が晴れた時、彼女は声もなく涙を流していた。エリモンの偽りのためではない。長年、盲目的に尽くしてきた自分の愚かさに対してだった。
「もう二度と、あんな偽善者の男に振り回されたりしない!」
新しいコメントが、ゆっくりと流れていく。『アリサの日々の魔力供給がなければ、エリモンはどうやって魔法試験をパスするんだ?ヴィクトリアとの王国魔法研究所入りの夢も、おじゃんになるんじゃないか!』
アリサの目に冷たい光が宿り、口元に自信に満ちた笑みが浮かぶ。
「エリモンがヴィクトリアと一緒に王国魔法研究所ですって?」
彼女は手のひらを広げた。すると、一輪の青い炎がその上で揺らめいた。
「私がいる限り、そんなことは絶対に起こりえません」






