第3章 新しい始まり
「アリサさん、この後、実践授業に一緒に行きませんか」
低く、それでいて優しい男性の声が背後から聞こえた。アリサが振り返ると、そこには深いブラウンの瞳があった。
セバスチャン・フレデリックが彼女の前に立っている。質素だが清潔な学院の制服を身につけ、襟元には銀色の徽章が留められていた。その表情は落ち着いているものの、どこか見え隠れする緊張の色を帯びていた。
アリサは一瞬、呆気に取られた。この平民出身の学生のことを、彼女は覚えていた。一年生の魔法試練の際、魔力が尽きて魔獣に襲われそうになった彼女を、前に飛び出してシールドで守ってくれたのが彼だった。
『うわあああ!本物の王子様がついに登場した!』
『こっちが真の男主だったのね。あの白々しい王子よりずっといい!』
『貴族の魔法使いと守護者、私の推しカプきた!』
「ええ、いいわ」アリサは微笑んだ。「ちょうど実践授業のパートナーを探していたところなの」
まさか承諾されるとは思っていなかったのだろう、セバスチャンの目に驚きの色が浮かんだ。「本当ですか?てっきり……」
「平民のパートナーは断ると思っていた、とでも?」アリサは眉を上げた。「家の地位をひけらかすことしか能のない、時代遅れの貴族たちと一緒になさらないで」
セバスチャンは気まずそうに頭を掻いた。「すみません、偏見を持つべきではありませんでした。実は、ずっとあなた様の制御系魔法に感心していたんです」
「あら?」アリサは興味深そうに彼を見た。「ほとんどの人は、制御系魔法なんて低級で役に立たないと思っているのに」
「それは、その精妙さを理解していないからです」セバスチャンは真剣な口調で言った。「あなた様の魔法制御は学年でも一、二を争うほど。魔法を単なる攻撃手段としか見ていない者たちには、それがどれほど得難いものか全く分かっていないんですよ」
アリサは彼の見識に驚き、心に温かいものが込み上げてくるのを感じた。「こちらこそ、よろしくお願いするわ。制御魔法のことなら、いつでも私に聞いてちょうだい」
「では、たくさん学ばせていただきます」セバスチャンは微笑んだ。
二人は肩を並べて教室を出ていく。その場に残されたエリモンとヴィクトリアは、それぞれ異なる表情で立ち尽くしていた。
魔法実践授業が終わり、アリサは教室に戻ってノートを整理していた。セバスチャンとの連携は順調で、二人の術は意外なほど相性が良かった。彼女の制御系魔法が精密なコントロールを提供し、彼の防御系魔法が安定した保障をもたらすのだ。
突然、教室のドアが押し開けられ、エリモンが大股で入ってきた。戦闘訓練を終えたばかりなのか、背後のマントにはまだ魔力の揺らぎが残っている。
「アリサ、やはりここにいたか」エリモンの口調は傲慢な親しみに満ちており、まるで先ほどの口論などなかったかのようだ。「私を待っていたのだろう?」
アリサは顔も上げずに答える。「王子様とお約束した覚えはございませんわ」
「そう水臭いことを言うな」エリモンはアリサの机のそばに腰を下ろした。「今日は機嫌がいい。三十分ほど指導してやろう。その代わり、来週の理論課題を代わりにやってくれ」
アリサはついに顔を上げ、その表情には嘲りの笑みが浮かんでいた。「王子様、その自信はどこからいらっしゃるので?」
エリモンは呆然とした。「どういう意味だ?」
「魔法の授業でのご成績、私の助けがなければ、及第点すら危ういのではなくて?」アリサはエリモンの目を真っ直ぐに見据えた。「それなのに、ご自分が私を指導する資格がおありだとお思いで?」
エリモンの顔色が瞬時に曇る。「アリサ!よくも——」
「ごめん、遅くなった!」
教室のドアが再び開かれ、セバスチャンが慌てた様子で入ってきた。その手には、精巧な小箱が抱えられている。
「荷物をまとめるのに少し手間取ってしまって」セバスチャンはそう説明すると、エリモンの存在に気づいてわずかに動きを止めたが、すぐに自然な態度に戻った。「ブルーベリータルトを買ってきたんだ」
アリサは箱を受け取り、嬉しそうに礼を言った。「セバスチャンさん、気が利くのね。これ、好きなの」
エリモンの表情は、ほとんど歪みかけていた。「いつの間にそんなに親しくなったんだ?」
「セバスチャンさんはとても頼りになるパートナーですわ」アリサは微笑んで答えた。「これから一緒に材料市場へ行って、来週の薬剤授業の準備をする予定なの」
「私と市場へ行ったことなど一度もなかっただろう」エリモンの声には、明らかな嫉妬が滲んでいた。
「だって王子様は、あんな『下賤な材料』に触れることなど屑とも思っていらっしゃらなかったから」アリサは、かつての彼の口調を真似てみせた。
セバスチャンの口元には、終始捉えどころのない笑みが浮かんでいる。
エリモンは勢いよく立ち上がった。「アリサ、お前、このまま——」
「このまま何ですの?」アリサは静かに問い返した。「もっと相応しいパートナーを見つけたこと?それとも、ようやくあなた様の周りを回るのをやめたこと?」
エリモンは言葉に詰まり、顔色をめまぐるしく変えた。
不意にセバスチャンが口を開いた。「もし王子様がアリサを大切になさらなければ、私もこれほど優秀なパートナーを得ることはなかったでしょう」
教室の空気が、まるで凍りついたかのようだった。
コメントが猛烈な勢いで画面を流れていく。
『王子、まさかの緑茶風味!二股かけようとしてる!』
『三角関係キター!王子、このムーブはさすがにカッコ悪い!』
『王子の顔見てみろよ、苦虫を噛み潰したみたいでウケるwww』
アリサはセバスチャンの腕を取った。「セバスチャンさん、行きましょう。遅くなると良い材料がなくなってしまうわ」
エリモンは無言でその場に立ち、二人が教室を去っていくのを見送った。その手には青い魔法クリスタルが固く握られ、感情の波に呼応して微かに震え、危険な唸り声を上げていた。
彼は、アリサが本当に自分の支配下から離れるなど、考えたこともなかった。恒星が衛星の忠誠を疑わないように、彼はアリサが永遠に自分の周りを公転し続けるものだと、当たり前のように思っていたのだ。
そして今、彼の衛星は徐々に遠ざかり、別の軌道へと身を投じようとしている。
エリモンは、魔力の不安定さからひび割れた手中の水晶を見下ろし、その目に悔しさと後悔の色を浮かべた。
一方、教室の外では、銀髪の人影が廊下の角に身を隠し、アリサとセバスチャンが遠ざかっていく背中を氷のような眼差しで見つめていた。その指先からは、危険な紫色の魔力の波動が、かすかに立ち上っていた。






