第4章

 狂ったようにアパートを飛び出し、車で道を爆走した。

「やめろ!」

 霊堂に飛び込んだ私の目に飛び込んできた光景は、心臓の鼓動を止めるには十分だった。

 踏みにじられた花々。引き裂かれた花輪。

 黒い目出し帽を被った大柄な男たちが数人、野球バットを振り回し、狂ったように祭壇を打ち壊している。

 そして、母の骨壺はすでに無惨に砕け散っていた。灰白色の粉が、薄汚れた床一面に散乱している。

「失せろ! 母さんに触るな!」

 私は絶望と悲痛の入り混じった悲鳴を上げ、後先考えずにその場へ飛び込んだ。

 両手を伸ばし、床に散らばった遺灰を必死に掻き集める。

「お母さん……ごめんなさい……お母さん……」

「こいつがそのクソ女だ! やっちまえ!」

 頭上から、憎悪に満ちた罵声が降ってきた。

 次の瞬間、ずしりと重い野球バットが私の背中に激しく叩きつけられた。

 強烈な一撃で床に這いつくばらされ、喉の奥に生暖かい血の味が広がる。

「雇い主に逆らうとはいい度胸だな? 身の程を知れ!」

 さらに一撃、今度は肩に重い衝撃が走った。

 私は避けない。いや、避けられないのだ。

 ただ身を固く丸め、両腕で床の小さな遺灰の山を死に物狂いで庇うことしかできなかった。

「殺せ!」

 雨霰と降り注ぐ打撃が、頭に、背中に、腕に襲いかかる。

 生暖かい液体が額を伝い、視界を塞いだ。

 目の前が真っ赤に染まる。もう何も聞こえない。耳の奥でただ、耳鳴りだけが轟々と鳴り響いていた。

 私は母の遺灰を胸の奥底に抱きしめるように強く庇った。

「誰にも……もう傷つけさせない……」

 そう譫言のように呟いた直後、激しい眩暈が襲いかかった。

 そして最後の一撃とともに、私は果てしない暗闇へと突き落とされた。

     ※

 鼻を突く消毒液の匂い。ゆっくりと目を開けると、全身がトラックに轢かれたかのような激痛に襲われ、呼吸をするだけで折れた肋骨が悲鳴を上げた。

「気がついたか」

 僅かに首を巡らせる。ベッドの傍らには、航平が座っていた。

「すでに弁護士に書類を作成させ、あの葬儀場の警備会社を起訴する手はずを整えた」

 航平は眉間に皺を寄せる。

「年間何百万も警備費を払っておきながら、ゴロツキの侵入を許すとは。全くの役立たずだ」

 彼は手を伸ばし、私の顔のガーゼに触れようとした。

 私は冷ややかに顔を背け、その手を避けた。

 航平の手が宙で止まる。

「律子、いつまで意地を張るつもりだ? 床の遺灰を拾うために命まで投げ出すなんて。警察の到着が遅れれば、お前は死んでいたんだぞ!」

「優香の仕業よ」

 口を開くと、ひび割れた唇から血が滲んだ。

 航平は呆然とし、やがてその顔が瞬時に険しく曇った。

「自分が何を言っているのか分かっているのか!?」

 彼は勢いよく立ち上がった。

「律子! お前の被害妄想もそこまで重症化したのか!?」

 バンッ、と病室の扉が突然開け放たれた。

 優香がふらつく足取りで駆け込んでくる。薄着のまま、その目元は真っ赤に腫れ上がっていた。

「律子さん! ニュースを見てすぐに飛んできたの! こんな大怪我をして……ああ、なんてこと!」

 彼女は口元を覆い、ポロポロと大粒の涙をこぼした。

 そして躊躇うことなくベッドに駆け寄り、ドンッと膝をついた。

「律子さん、ごめんなさい! 気が済むなら、どう罵ってくれても構わない。でも、お願いだからこんな風に自分を痛めつけるのはやめて!」

 なんと真に迫った土下座と謝罪の三連コンボ。なんと可憐で痛々しいぶりっ子ぶりだろうか。

 彼女を見ているだけで、胃の中が激しく掻き回されるような吐き気を覚えた。

「優香! 立て! 何をしているんだ!」

 航平はひどく心を痛めた様子で、床の優香を無理やり引き起こし、自分の背後にしっかりと庇った。

 そして親の仇でも見るかのような目で私を睨みつけた。

「彼女を見ろ! お前の事故を聞いて、靴もまともに履かずに駆けつけてきたんだぞ! それなのにお前は!? 目を覚ました途端、調べもしないで彼女に濡れ衣を着せるのか!? 律子、今の狂った女そのものだ! 一体どこまで彼女を苦しめれば気が済むんだ!?」

 私は航平の目を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳に、涙は一滴も浮かんでいない。

「調べもしないで?」

 顔の血の瘡蓋を引き攣らせながら、私は薄く笑みを浮かべた。

 半開きになっていた病室の扉がノックされる。佐々木がブリーフケースを手に、冷徹な面持ちで入ってきた。

「平村さん、白石さんは狂ってなどいませんよ」

 佐々木は眼鏡を押し上げ、一直線にベッドへと歩み寄った。

「本日の霊堂での襲撃事件について、警察の捜査に初期の進展がありました」

 優香が航平の背中に身を潜める。

「佐々木? なぜお前がここにいる?」

 航平が眉をひそめた。

 佐々木は無駄口を叩かず、ブリーフケースから一本のボイスレコーダーを取り出した。

「これは十分前、警察が取調室で録音した、暴徒の一人の供述です。被害者である白石さんには、真っ先にこれを知る権利があります」

 再生ボタンが押される。病室が水を打ったように静まり返った。

『刑事さん! 俺たちはただ金をもらって仕事をしただけなんです!』

『女でした! 雇い主の苗字は北原だって! なんとか航空宇宙局の……そうです! 北原優香です!』

『彼女の助手から現金で五万ドル渡されたんです! 葬儀場に行って霊堂をぶっ壊し、できれば律子って女の顔を潰して、一生消えない教訓を与えてやれって!』

『金はまだ車のトランクにあります! 調べりゃすぐ分かりますよ! 刑事さん、マジで殺すつもりなんてなかったんです!』

 録音が終わる。

 私は航平を見た。彼の反応を待つ。揺るぎない確たる証拠。警察の尋問録音。実行犯の口から直接出た名前。

 航平はゆっくりと振り返り、背後の優香を見下ろした。

 優香は狂ったように首を振り、顔中を涙や鼻水でぐしゃぐしゃにしていた。

「私じゃない……航平、私じゃないわ! そんな人たち、全然知らない! 私の助手は今日一日、引っ越しの手伝いをしてくれていたのよ! 誰かが私を陥れようとしてるんだわ!」

 彼女は息も絶え絶えに泣きじゃくりながら、航平の腕にすがりついた。

 私はこの茶番を冷ややかな目で見つめ、航平の裁きを期待していた。

 だが、私は間違っていた。

 航平は数秒間優香を見つめた後、勢いよく振り向いた。

「出所不明の録音だと!? 罪を逃れるためにでっち上げたゴロツキの戯言だろうが! こんな捏造されたゴミ屑で、彼女を有罪にできるとでも思っているのか!?」

「平村さん!」

 佐々木が信じられないといった様子で声を荒らげた。

「これは警察が正式に録取した供述です! 捏造などではありません! 警察はすでに北原さんの助手の喚問準備を進めています!」

「だったら誰かが工作して奴らを買収したんだ!」

 航平は怒鳴り散らし、佐々木の発言を遮った。

「律子、俺は信じられないよ」

 彼の目は、おぞましい汚物を見るかのようだった。

「優香の兄は俺を庇って三発の銃弾を受けた! 彼女には英雄の血が流れているんだ! 心優しく、脆く、大声で話すことすらできない女だぞ!」

「それなのにお前は?」

 航平はギリッと歯を食いしばる。

「彼女を陥れるために、金で人を雇って自分をこんな目に遭わせたのか!? 実の母親の遺灰まで使って罠を仕掛けるとはな!? 律子、お前はただの悪女じゃない、常軌を逸した狂人だ!!!」

 私は目の前で吠えたける男を静かに見つめた。そして、その背後に隠れ、口角を僅かに歪めて悪魔のような笑みを浮かべる優香を。

「佐々木」

 私はゆっくりと視線を戻した。

「警察に、そのまま逮捕に向かわせて」

「俺は、お前たちが優香を陥れるのを黙って見ているつもりはない!」

 航平は優香の手を引いて部屋を出て行った。その背中を見送る私の脳裏に浮かんだのは、十年前、私に告白してきたあの頃の航平の姿だった。

「母の遺灰は、無事に集められたの?」

 今の私にとって、気がかりなのはそれだけだった。

「すべて回収して、あなたのアパートに安置してあります」

 佐々木は心底痛ましそうに答えた。

 私は顔を引き攣らせ、自嘲気味に笑った。

「そう、ありがとう、佐々木」

 あの日、航平が優香を連れてドアを乱暴に閉めて去ってから、彼が姿を見せることは二度となかった。

 私の体も順調に回復し、退院の準備を整え終わったちょうどその時、背後でドアが開く音がした。

 航平が入ってくる。その背後には、見違えるように血色が良く、洗練された薄化粧まで施した優香が続いていた。

 あの日、病室で泣き崩れ、今にも倒れそうだった惨めな姿は微塵もない。

 彼女は限定品のエルメスのバッグから一部の書類を取り出し、私の目の前に差し出した。

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