第60章

鈴宮若子は顔を上げ、医者をまっすぐ見据えた。

青白い頬に血の気は一滴もない。ただ、死んだような静けさだけが張りついている。

「もうダメなら、それでいい」

かすれた声。言葉の一つ一つを、歯の隙間から絞り出すように吐いた。

「片脚がダメになっても、あの悪魔のそばにいるよりマシ」

医者はその様子に呑まれ、口を開きかけて――言葉が出てこなかった。

鈴宮若子はトレンチコートのポケットから男物の腕時計を取り出し、ベッドの上に置く。

「手持ちがないの。これ、本物だから。治療費の代わりにして。余った分は……私をここへ運んでくれた清掃のおじさんに渡してほしい」

言い切ると、彼女は踵を返した。

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