第2章
「悪かったよ」――ポケットに手を突っ込んだまま、私を見ずに視線を向こうへ流して。謝罪はそれだけだった。
私は動かなかった。
「証拠があるって言ったよな。写真とタイムスタンプ。見せて」
治也は体重を移した。
「謝っただろ。もういいだろ」
「三千人が読む場所に貼り出しといて、駐車場で『もういい』は通らない」
生物学科の女子が二人、歩道で足を止めていた。入口近くのベンチの男がノートパソコンを閉じる。見物人が増え始めていた。
玲奈が私たちの間に割って入り、場を取り繕うときにだけ使う、あの滑らかで平坦な声に落とした。
「これ以上はまずいよ。中に入ろう。三人だけで、静かなところで話そう? ね?」
私の視線は治也から外さない。
「彼女は場所を移して、内輪で済ませたいらしい。どうしてだろうな」背後にできつつある人だかりへ顎をしゃくる。
「お前は公開の場を選んだ。なら同じ舞台で決着をつける」
治也の首筋が赤く染まった。
「俺にどうしろってんだよ? 謝っただろ。投稿は消す。終わりだ」
玲奈が彼の腕に触れた。
「ほら。直す気はあるんだよ、凛。だから――」
「取り消しだ。公開で。使った全アカウントで。嘘だったって書面で認めろ。それからちゃんと謝れ。廊下でぶつかったみたいに『悪かった』で済ませるな」
治也は、私が土下座でも要求したみたいな目で見た。
「書面? 頭おかしいんじゃねえの?」
彼の目の奥で何かが切り替わる。気弱い芝居が崩れて、顎が持ち上がった。
「マジで? 俺がここまで優しくしてやってんだぞ。これ以上しつこく言うなら、こっちの持ってるもん全部出す――写真も日付も、全部だ。どうなるか見てみろよ」
玲奈の手が彼の袖をきつく掴んだ。
「凛、もうコメントは消したんだよ。これ以上大ごとにしたら、余計に悪くなる。あなたのためにも」
二人が肩を並べる。彼女は冷静を演じ、彼は強硬を演じる。前に私を埋めたのと同じ手口。
今回は違う。
私は膨らんだ群衆のほうへ向き直った。二十人、いやもっとか。スマホがこちらに向けられている。声を、ほんの少しだけ張る。
「治也の写真の話をしようか。お前、午前二時に女性を尾行して、本人が知らないところでスマホを向けた。建物から出てくるところを撮ったんだろ。それはストーキングって言うんだよ」
ざわめきが走った。後ろのほうで誰かが小さく「やべえ」と漏らす。治也の自信が真ん中からひび割れるのが見えた。肩が内側にすぼみ、顎が硬くなる。
玲奈の手が彼の腕から落ちた。
まだ終わりじゃない。
「それと、もしお前の投稿が本当だとして――教授が自分の研究室で学生と関係を持ってるって話が本当だとしても――お前は何週間も前から知ってた。重大なことの証拠を持ってたのに、通報しなかった。学校にも、誰にも言わなかった。ただ私を叩く道具にできるまで抱え込んでた」私は治也の視線を受け止める。
「どっちで行く? ストーカーのほうか、それとも隠蔽に加担したほうか」
沈黙。二十数台のスマホが録画している。治也は群衆を見て、玲奈を見て、また私を見た。顔は赤と白がまだらで、みっともないほどだ。
「詳しい話が聞きたいんだろ?」声が甲高く裏返った。
「いいよ。三月八日。誰かが使用済みのコンドームとパンティを、お前の実験台で見つけた。お前の台だぞ――ステーション四ビー」彼はスマホを引き抜き、画面を乱暴に突いた。
「それから、午前二時に白川ド・ホールから出てくるお前の写真もある。沢田はまだあのクソみたいな建物の中にいた。まだ続けようか?」
彼は私の顔の前にスマホを突き出した。写真は暗くて粗い。女の背中、まとめた髪、寒さに肩をすくめた姿。顔は映っていない。ただの輪郭と、建物の縁。
四ビー。サンプルを回してガラス器具を洗い続け、手がひび割れるまでの三百時間。ステーションのラベルには私の名前が貼ってあった。
周囲で囁きが膨らむ。誰かが息を殺して「マジかよ」と呟いた。
私は玲奈を見なかった。見る必要がない。隣で空気が重くなる――人が息を止めたときの、あの感じが伝わってきた。
それでも、見てしまった。
玲奈は動けずにいた。唇を固く結び、顔色は紙みたいに抜け落ちていた。
治也はまだスマホを掲げたまま、顎を上げて、私が崩れるのを待っている。
彼は玲奈を一度も見なかった。もし見ていれば、驚きとは違うものがそこにあると気づいたはずだ。
それは、見覚えがある、という顔だった。
