第1章

「佐藤結衣、この恩知らず! おばあちゃんが集中治療室で手術を待っているっていうのに、あんた、鼻の整形のために三百万円を盗んだわね!? 今日という今日は殺してやる!」

 視界がぼやける中、私はハッと目を見開いた。頭より先に体が動いた。振り下ろされる静子おばさんの平手を、顔に届く寸前でガシッと掴んだのだ。

 おばさんの顔が鼻先まで迫っていた。怒りに歪み、唾が飛んでくる。

 私は一瞬だけ息を呑んだ。だが、すぐにすべてを思い出した――そして、私を貫いた感情は、決して恐怖ではなかった。

 戻ってきたんだ。

 あの分岐点に。おばあちゃんが心臓の発作で緊急搬送され、口座から三百万円が消え、親族全員が私を犯人扱いした、あの瞬間に。

 前の人生では、反論する隙さえ与えられなかった。恋人の涼太でさえ私を庇うことはなく、罪を認めて金を返せと言い放った。泥棒のレッテルを貼られて家を追い出され、私はすべてを失い、孤独の中で死んだのだ。

「離しなさい! よくも逆らったわね!?」静子おばさんは手首を振り解こうとしながら、金切り声を上げた。

 私は手を離し――そのまま力いっぱい突き飛ばした。おばさんは後ろによろめき、廊下の壁にもたれかかるようにして、その場にへたり込んだ。

「人を泥棒扱いするなら、それなりの根拠があるんでしょうね」私はおばさんを冷たく見下ろした。「証拠はどこにあるのよ?」

「証拠ですって!?」従姉妹の理紗が横から割って入ってきた。すでにその目元は赤く泣き腫らしたように見え、体のラインがくっきりと出るヨガウェア姿だった。「結衣、あなたが私のスタイルをずっと妬んでたのは知ってる。自分の顔のニキビを気にしてたのも。でも、あれはおばあちゃんの手術代なのよ。可愛くなりたいからって、おばあちゃんの命と天秤にかけるなんて絶対に間違ってるわ」

 周囲にいた看護師や他の患者の家族たちが、ざわめき始めた。

「あんな大人しそうな顔して、とんでもないわね……」

「病気のおばあちゃんから整形費用を盗むなんて。人間のクズよ」

 私は理紗を睨みつけ、頭に血が上るのを感じた。前の人生では、まさにその表情に騙されたのだ。か弱く、無垢で、今にも泣き出しそうなその顔に。三百万円を盗んだ真犯人が理紗自身であり、その全額が全身の脂肪吸引に消えたのだと知ったのは、私が死の淵に立たされた時のことだった。痩せ細った後、彼女は周囲に「ジムに通ったおかげ」だと言いふらしていた。毎日の有酸素運動と、涙ぐましい努力の賜物なのだと。

「結衣、みっともない真似はやめろ」恋人の篠原涼太が野次馬をかき分けて前に出た。仕立ての良いジャケットに金縁の眼鏡、そして計算し尽くされたように眉をひそめている。彼は私のことを、すでに処理の仕方が決まっている厄介者のような目で見ていた。

「理紗ちゃんが泣いてるじゃないか。まだ言い逃れするつもりか? お金に困っていたのは知っているが、過ちを犯したなら素直に認めるべきだ。金を返して、おばあちゃんに謝りなさい。あとのことは俺から親族のみなさんに口添えしてやるから」

 吐き気がした。

「あんたの節穴の目のどこが、私が盗むところを見たっていうの?」私は言い放った。「どの口が偉そうに私を犯人扱いしてるのよ?」

 涼太の表情がこわばった。まさか反抗されるとは思っていなかったのだろう。「結衣! 俺は君を助けようとしてるんだぞ。恩を仇で返す気か」

「助けるですって?」私は涼太を冷ややかな目で見た。「女が二秒泣いただけで、コロッとそっちの味方についたくせに。あんたみたいな偽善者は、実際に悪事を働く人間よりもよっぽど吐き気がするわ。悪党のほうがまだ自分のしたことを認めるだけマシよ。そんなに理紗を庇いたいなら、あの子の恋人にでもなればいいじゃない。私たちはこれで終わり。今すぐ、私の目の前から消えて」

「お前……俺と別れるって言うのか?」涼太は信じられないというように私を直視した。

「あんたは捨てられたのよ。その薄っぺらい善意と一緒に、どこへでも行きなさい」

 私は涼太から視線を外し、理紗を真っ直ぐに射抜いた。「私がお金を盗んだって言いたいわけね? いいわ。徹底的に白黒つけましょうよ」

 スマホを取り出し、発信ボタンを押す前に、私は廊下の奥へ目を向けた。

 ナースステーションの先、観音開きのドアの向こうにある――集中治療室の細長い窓。

 おばあちゃんはベッドに横たわっていた。目は半開きで、声を上げることも、身動き一つすることもできない。

 けれど、おばあちゃんは見ていた。

 その目は、しっかりとこちらに向けられていた。

 私は一瞬だけその視線を受け止め――そして、発信ボタンを押した。

「決着がつくまで、ここから一歩も逃がさないからね」

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