第4章
星奈視点
用具室から戻った後、私は勉強するふりをして図書館へ向かった。服にはまだ航平のアルファの匂いが微かに残っていて、そのウッディな香りが、さっきの彼の重みを思い出させる。
もう、思い出しただけで、また濡れてきちゃう……。
翔太がドアを押し開けて入ってきて、まっすぐ私のテーブルに向かってきた。彼の鼻が、獲物の匂いを嗅ぎつけた猟犬みたいに、ぴくりと動いた。
「面白い香りだな」彼は私の向かいに腰を下ろした。「新しい香水?」
心臓がどきどきと鳴り始める。まずい、航平の匂い、そんなに分かりやすいの?
「何の香りのこと?」私は冷静を装って尋ねた。
「お前からする匂いだ」翔太は身を乗り出し、目を細めた。「アルファの匂いがする……すごく、覚えのある香りだ」
最悪。もしこの匂いをあいつが覚えてたら?
「たぶん、図書館ですれ違った男の人の匂いじゃないかな」私は何気ないふりでページをめくった。「ここ、混んでるし」
突然、翔太が私の手首を掴んだ。痛みが走るほど、強く握りしめられて。
「星奈、お前、最近すごく変わった。冷たいし、秘密主義だし、それにこの妙な匂い。一体何を隠してるんだ?」
「何も隠してない!」私はその手を振り払った。「変わったのは翔太の方でしょ。まるでストーカーみたいに私のこと監視して!」
彼の瞳に、怒りの炎が燃え上がった。
「やましいことがないなら、なんでそんなにびくびくしてるんだ?」
その時、翔太のスマホが鳴った。
「母さん?」彼の声は、電話に出たとたん、優しくなった。「え? 今から? うん、分かった」
電話を切ると、彼は私を見た。「両親がビデオ通話したいって。お前に会いたいらしい。一緒にアパートに戻るぞ」
ちっ……。
「授業があるんだけど……」
「サボれよ」翔太の声は氷のように冷たかった。「大事なことなんだ」
翔太は私の手首を強く握り、半ば引きずるようにして私をアパートに連れ込んだ。彼の手のひらから、汗と、怒りによる震えが伝わってきた。
いつからこいつはこんなに束縛するようになったの?
エレベーターの中で、翔太は何も言わなかったが、彼が何かを押し殺しているのが分かった。
エレベーターのドアが開くと、私たちは彼と航平のアパートへと向かった。翔太が鍵を取り出したちょうどその時、中からテレビの音が聞こえてきた。
ドアが開き、中に入ると、ソファで航平がテレビゲームをしているのが見えた。私たちが一緒に入ってきたのを見て、彼の表情が瞬時に強張った。
「よぉ」航平は無理に笑みを作った。「二人で一緒に帰ってきたのか?」
「ああ」翔太はさりげなく私の肩に腕を回した。「うちの親が、星奈とビデオ通話したいんだとさ」
航平がぐっと拳を握りしめるのが分かった。彼は表面上は平静を装っていたが、その視線はナイフのように私を貫いた。
ごめん、航平。私もこんなこと望んでない……。
翔太の部屋。
私は翔太の隣に座らされ、ノートパソコンの画面に映る佐藤夫妻の優しい顔と向き合った。
「星奈ちゃん、久しぶり!」佐藤おばさんが元気いっぱいに手を振った。「会いたかったわ! 翔太から聞いたけど、最近体調が良くないんだって?」
「大丈夫です、おばさん」私は心の中で悪態をつきながら、無理に微笑んだ。「ご心配なく」
「それは良かった」佐藤おじさんが微笑んだ。「翔太、星奈ちゃんのこと、しっかり大事にしてやるんだぞ」
「分かってるよ、父さん」翔太は私の肩を抱き、両親の前で完璧な彼氏を演じた。
猫かぶりのクソ野郎……。
ビデオ通話は二十分ほど続いた。その間、翔太はずっと私を抱き寄せ、時折その手が私の体を這い、異常なまでの所有欲を見せつけていた。
通話を切った瞬間、彼の表情はすぐに険しくなった。
「これで邪魔者はいないな」翔太の手つきが荒くなった。「星奈、俺たち、ずいぶん長いこと……」
「離して」私は冷たく言った。
「なんでだよ?」彼の手が私の太ももへと滑り、その目が危険な色を帯びた。「お前は俺のオメガだろ。普通のことじゃないか」
「離せって言ってるでしょ!」
「逃げられるとでも思ってんのか?」翔太は突然爆発し、私をベッドに乱暴に押さえつけた。「他のアルファの匂いをさせやがって。俺が気づかないとでも思ったか? この浮気者が!」
怒りが込み上げてきた。私はありったけの力で彼を突き飛ばし、思い切り平手打ちを食らわした。
バシンッ!
鋭い音が部屋に響き渡り、翔太の顔がみるみる赤く腫れ上がった。
「お前、俺を殴ったのか?」彼は信じられないといった様子で自分の顔を押さえた。
「無理やりしようとしたじゃない!」私はベッドから這い出した。「当然の報いだわ!」
「無理やりだと? 俺はお前のアルファなんだぞ!」
翔太が再び私に飛びかかろうとした時、突然ドアがノックされた。
「翔太?」外から航平の声がした。「監督から電話だ。緊急会議があるから、今すぐ行けって」
「何の会議だ? 俺は野球部じゃないぞ」翔太は眉をひそめた。
「学生会と野球部の合同プロジェクトの会議だ」航平の声は切迫していた。「監督が君も登録したって言ってたぞ?」
翔太が不思議そうにスマホを見ると、確かに未読のメールが一件あった。
「くそっ、忘れてた」彼は慌ててジャケットを掴むと、威嚇するように私を振り返った。「ここにいろ。話はまだ終わってないからな」
ドアがバタンと閉まった後、私はベッドに崩れ落ち、全身が震えていた。
数分後、ドアが静かに開き、航平が入ってきた。
「大丈夫か?」彼はすぐに私のそばに来て、頬にそっと触れた。「物音が聞こえたから……」
「航平が来てくれなかったら……」涙がこぼれ落ちた。「もう少しで……」
「誰にも君を傷つけさせない」航平は私を腕の中に引き寄せた。その声には、抑えつけられた怒りが満ちていた。「翔太にもだ」
彼の腕の温かさに、安堵感が広がっていく。「航平、あの会議って……本当なの?」
「もちろん本当だ」航平は優しく私の髪を撫でた。「学生会と野球部の合同プロジェクトは実在する。俺が監督に頼んで、翔太をリストに加えてもらったんだ。少なくとも二時間は忙しくなるはずだ」
私はほっと息をついた。「計画してくれたの?」
「翔太が君を引きずって帰ってくるのを見た時からだ」航平の目が優しくなった。「あいつが君を傷つけるのを、ただ見てるわけにはいかなかった」
私は彼の瞳を見上げ、感情が込み上げてきた。彼はいつも、私が一番必要としている時に現れてくれる。
「来て」航平は立ち上がった。「俺の部屋に行こう。そっちの方が安全だ」
彼の部屋に入ると、航平は優しく私を抱きしめた。
「本当に大丈夫か?」彼の手が私の背中をそっとさすった。「もしあいつが君を傷つけていたら……」
「大丈夫」私は彼の胸に寄りかかり、その心臓の鼓動を感じた。「航平がいてくれるなら、私は大丈夫」
「星奈」航平は少し体を離し、私の目を見つめた。「君が翔太と一緒に帰ってくるのを見て、めちゃくちゃ嫉妬した」
「望んでたんじゃない……」
「君には君の事情があるって分かってる」彼は私の額に優しくキスをした。「でもいつか、星奈が俺のオメガだってことを、世界中に知らしめたい」
私はつま先立ちで彼の唇にキスをした。そのキスは軽くて優しく、以前のような必死の欲望はなく、ただ純粋な感情だけがあった。
「愛してる」私は彼の唇に囁いた。「航平、本当に愛してる」
彼の目は瞬時に熱を帯びたが、情熱に突き進む代わりに、さらに優しく私を抱きしめた。
「俺も愛してる。初めて君を見た時からずっとだ」
