第2章
青木日成の言葉さえ無視すれば、飲み会自体はそれなりに楽しかったと言える。
お開きになると、城崎霖はすでに私のバッグを手に持っていた。
「送っていくよ」
青木日成は何か言いたげに私を一瞥したが、結局はただ頷くだけに留めた。
「ああ……頼んだ」
城崎霖はそんな彼を冷ややかに見ていた。
「こいつは俺の妹だ。送っていくのは兄貴としての責任だろ。お前に気を使われる覚えはない」
青木日成は何か反論しようとしたが、城崎霖はすでに私を庇うようにしてエレベーターへと歩き出していた。
振り返って見ると、ちょうど個室のドアが開いたところだった。結城天雨が顔を出し、心配そうに青木日成に何か尋ねている。青木日成は瞬時に優しい笑みを貼り付け、小首を傾げて彼女に応対していた。
エレベーターの扉が閉じた瞬間、私はようやく安堵の息を吐いた。
狭い密室には、私と城崎霖の二人だけ。彼から漂う微かなミントの香りが、張り詰めていた神経を少しだけ和らげてくれた。
「小灯」
不意に彼が口を開く。その声はいつもより低く沈んでいた。
「今夜のこと、兄さんに話す気はないか?」
心臓が早鐘を打つ。
彼は何を知っているの? さっきの非常階段での会話、どこまで聞かれていたんだろう。
「特に何もないよ」
私は無理に明るい声で答えた。
「ただ……まさか青木日成に彼女がいたなんて、意外だったから」
城崎霖は横顔を向け、その深淵のような瞳で私を見透かすみたい。
「何を怯えている?」
私は視線を逸らし、エレベーターの階数表示を見つめた。二十階、十九階、十八階……どうしてこんなに遅いのか。
「怖がってなんてない」
「そうか?」
声のトーンがさらに落ちた。
「なら、どうして俺を見ようとしない」
やっと一階に到着するやいなや、逃げるように飛び出した。
城崎霖は焦る様子もなくついてきった。
結局は立ち止まって彼を待つのだと、知っているのだ。
「灯。俺に隠し事ができると思っているのか?」
彼は手を伸ばし、私の頬を軽くつねった。
「今夜のお前、おかしかったぞ。青木日成のせいか?」
彼の掌は温かく、微かにペンダコの感触があった。それは長年、設計図を描き続けてきた証。
「私……ただちょっと疲れてるだけ」
視線を外し、彼の目を見られない。
「仕事のストレスが溜まってて」
城崎霖は数秒沈黙したが、それ以上問い詰めることはしなかった。黙って助手席のドアを開け、そして運転席へと。
車内は静寂に包まれ、エンジンの音だけが響いていた。
家に着くまで、彼は二度と口を開かなかった。
二十分後、車は私のマンションの下に停まった。
シートベルトを外して降りようとすると、城崎霖も続いて降りてきた。
「兄さん、もういいのよ、後は大丈夫」
私は少し焦って言った。
「もう遅いし、早く帰って休んで」
「いつからお兄さんに遠慮するようになったんだ?」
城崎霖の瞳に失望の色が出た。
「昔は、玄関まで送らないと安心しなかったくせに」
確かに、子供の頃からずっと、必ず家のドアの前まで送ってくれていた。
でも今夜は違う。今の私は情緒不安定で、彼の前でボロを出してしまいそうで怖いのだ。
「本当に大丈夫だから」
城崎霖は私をじっと見つめ、長い間言葉を発しなかった。夜風が彼な前髪を揺らし、街灯の下で美しい陰影を落とした。
「なら、行け」
彼はようやく言った。
「部屋に入ったら連絡しろよ」
家に着いて彼にメッセージを送ると、ソファに倒れ込んだ。パーティでの出来事が、嫌でも脳裏に蘇ってきた。
不意にスマホが震え、メッセージが届いた。
城崎霖からだと思って、まさか青木日成だった。
『灯、辛いのは分かるけど、少し俺の立場も理解してくれ。状況はお前が思ってるもんじゃないんだ。説明する時間をくれないか?』
私は読み終えるなり削除した。
十分後、またメッセージがきた。
『癇癪を起こすのはやめてくれ。一度ちゃんと話し合おう。本気で俺たちの関係を終わらせるつもりじゃないだろ?』
さらにもう一通。
『今夜言ったことは、ただの腹いせだろ?本当は私から離れられないって、わかってるよ』
怒りで手が震えた。
彼から離れられないって? この自信は一体どこから?
電源を切ろうとした瞬間、また着信音が鳴った。
城崎霖からのメッセージだった。
『無事に家に着いたよ。おやすみ、俺のお姫様』
彼の言葉を見た瞬間、瞳に宿っていた怒りの炎がすっと消えていく。
私は青木日成の番号を着信拒否した。
