第4章 突破
ふいにそのとき、冬木澪のスマホがぶるりと震え、暗号化メッセージが画面に弾けた。
【ボス、掴みました! 当時、あなたのお父様が失踪する直前に最後に接触していたの、やっぱり藤堂家の人間です!】
冬木澪の指先が止まる。
藤堂家――今日、空港で会った、あの男。
冬木澪は声もなく口角を吊り上げた。
クローゼットを開け、隠しポケットから真っ黒な一式を引きずり出す――
明日、墓参りのあと。藤堂さんに、会いに行く。
小林花子の小賢しい小細工なんて、波にすらならない。せいぜい、あと数日だけ踊らせておけばいい。
枕元には、小林花子が「母の形見」と言い張る手作りのアルバムが置かれている。
ぱらり。冬木澪が適当に開くと、どれもこれも選び抜かれた写真ばかりで――母の顔だけが、見事なほど汚れで隠れていた。
「幼稚な仕掛け」
ぱたん、と閉じる。
そしてスーツケースの奥、二重底のポケットから本物の家族アルバムを取り出した。
写真の中。母は幼い冬木澪を抱き、研究室に立っている。背後のホワイトボードには複雑な暗号データがびっしり――母の最後の研究課題。
冬木澪は写真をそっと撫で、瞳だけが一瞬、ほどける。
「ママ。明日、行く」
窓の外、雨脚がいっそう強まり、別荘は白い靄の中へ沈んでいった。
――
翌日、昼過ぎ。
墓参りを終えた冬木澪は、帰りのタクシーの後部座席でロリポップを咥えたまま、薄い指をキーボードに躍らせていた。
画面には藤堂グループの公開財務資料、直近のニュース、さらにもう一段深い――ただし核心には届かない公開情報の流れが高速で走る。
その隅で、暗号チャットが狂ったように点滅した。
【ボス! 大ニュース! H市最大の藤堂グループが、今ボスを血眼で探してます! 焦ってます!】
【市場部が貫通されて、勾玉マーク残されました! ディヴァインの連中がやって、ボスに擦りつけたんじゃ? それとも探り?】
【状況は】
【攻撃継続、内部セキュリティ崩壊寸前。藤堂グループ社長・藤堂湊が手も足も出ず、助手に名指しでボスを探させてます。報酬……桁がヤバい!!! 受けます?!】
【最新。攻撃源、多層暗号。第三層がイタリア語で詰まりました!】
【は? 今は防壁破るか、イタリア語翻訳するかの二択かよ。藤堂グループ、地獄じゃん!】
冬木澪の指が、半秒だけ宙に止まった。
次の瞬間、冷たい笑いが漏れる。
エンター。
画面が三つのウィンドウに裂けた。左に藤堂グループの防壁が崩れていく進行、中央に攻撃データの洪水、右にびっしりと並ぶイタリア語の文字列。
「いい手口」
ロリポップを噛み砕く。カリッ――乾いた音が、合図みたいに鳴った。
十指が電光。左手でスマホを耳へ寄せる。
「藤堂グループの内線音声、繋いで」
受話口から、技術者の悲鳴が飛び込んでくる。
『また抜かれた!』
『藤堂社長に報告を――!』
冬木澪の瞳孔がきゅっと絞られた。
ただの侵入じゃない。データ流に声紋パスが埋め込まれている。
「黙れ!」
鋭い一喝。藤堂側の技術者たちが一斉に言葉を失い、どこから声が割り込んだのかとざわつく。
その隙に、右手が最後の命令を叩き込む。
イタリア語の文字列が、見えない手で組み替えられ――一行の表示に変わった。
【プロジェクト『ブラックアイス』第二段階起動】
「……やっぱりね」
冬木澪の目に、氷みたいな光が走る。
マイクを引き寄せ、藤堂グループの内線に向けて、標準的なイタリア語で冷たく吐き捨てた。
「その程度?」
挑発は、ぴたりと声紋ロックの逆追跡プロトコルを踏んだ。
攻撃源IPが露出する。
画面の赤い侵入洪水が、嘘みたいに止まった。
冬木澪は間髪入れず反制プログラムを注ぎ込む。幽青いデータの刃が、敵のシステムへ突き刺さった。
三秒後。相手サーバーが激しく揺れ、ログが乱れ散る。
【ボス! いつイタリア語覚えたんですか?!】
冬木澪は返信しない。
藤堂湊の端末宛てに「成功」のスクリーンショットを投げ、添える言葉はひとつだけ。
【会って話そう】
――
その十分前。
藤堂グループ技術部、主制御室。
警報がけたたましく鳴り続け、赤い警告灯が全員の顔を死人みたいに染めていた。技術部長は汗だくでキーボードを叩き、守りを示す緑の柱が節々から折れていくのを、ただ呆然と見ている。
「も、持ちません! 漏えい速度が上がってる!」
技術者の声が震えた。
その刹那。
大画面の中で、勢いよく押し寄せていた侵入の赤潮が、核心データベースの手前で――見えない壁にぶつかったように、ぴたりと止まった。
「待って……何だ、あれ?!」
誰かが息を呑む。
赤い流れの前方に、突如、幽青い光のデータ流が湧いた。藤堂グループの防御ではない。空から落ちたみたいに現れ、冷たい支配力で赤潮を正確に断ち切っていく。
青は高速で走り、遮断し、包囲し――そして反転した。
守りじゃない。狩りだ。
「第三者だ!」
技術部長の声が裏返る。
「追跡してる……逆探知だ!」
室内が沈黙した。大画面で繰り広げられる無音の攻防に、誰もが目を奪われる。幽青の光は理解不能な圧倒で赤潮を押さえ込み、逆に押し返していった。
藤堂湊のスマホが鳴る。技術部長からだ。声が興奮で崩れている。
「藤堂社長! すごいです!」
「誰かが手を出しました! うちの人間じゃない!」
「青いマークの第三者が……攻撃を止めて、逆探知してます!」
青いマーク――。
藤堂湊は落地窓の前でスマホを握りしめ、胸の鼓動が荒れ狂うのを止められなかった。
幽青い光。空港で、彼女の画面が落ちる直前に見た色。店でスマホを触っていたとき、瞳に映っていた光。
彼女だ。間違いない。
藤堂湊の声が低く、しかし揺るぎなく響く。
「その青い信号を捕まえろ。今すぐ位置を割り出せ」
