第3章
高橋咲良視点
週末のダブルシフトで疲れ果て、私は六時半に早番を終えて帰宅した。ドアを抜けた瞬間、何かがおかしいと感じた。
健太はベランダにいた。私に背を向け、スマホを耳に押し当てている。その声は、スライド式のガラス戸越しに、普段とは違う興奮を帯びて聞こえてきた。
「大介、やっと俺も松下真理恵に見合う格になったぜ。彼女、離婚したんだと。絶好のタイミングだ」
私は凍りついた。
「おい、お前、結婚して子供もいるだろ。咲良さんはどうすんだよ?」スピーカー越しの大介の声は、か細いながらも聞き取れた。
心臓が肋骨を激しく打ちつけた。私はできるだけ音を立てないように買い物袋を床に置き、一言一句聞き漏らさないように耳を澄ませた。
健太は答えた。「咲良は専門学校時代に世話になったけど、今の俺には松下真理恵のほうが釣り合う。彼女は将来の見通しも、環境全体の仕組みも、この銀坂のルールも理解してくれる」
長年の結婚生活が、踏み台にされた。
健太は笑った――本当に、笑ったのだ。「松下真理恵から西海大学の合コンのことでメッセージが来てさ。これが俺のチャンスなんだよ」
健太が他の女との「チャンス」について語り続ける間、私の手は震えていた。
二時間後、私は寝室に閉じこもった。古い服を整理する必要がある、と言い訳して。実際には、ベッドに腰掛け、震える指でスマホを操作し、健太のSNSをスクロールしていた。
証拠は至る所にあり、誰の目にも触れる形で隠されていた。松下真理恵のインスタグラムの投稿の一つ一つに、健太の「いいね」がついていた。彼女のヨガのポーズ、葉湖での休暇の自撮り、VCに一石を投じるという彼女の「オピニオンリーダー」としての投稿、そのすべてに。
ビジネスSNSでは、彼は彼女のスキルを一つ残らず推薦していた。女性起業家に関する彼女のツイッターの投稿は、健太はすべてリツイートし、「聡明な頭脳から生まれる、輝かしい洞察だ」などとコメントを添えていた。
「九年間……」空っぽの部屋に向かって、私は囁いた。「彼のために、すべてを懸けて支えてきたのに、返ってくるのがこれなの?」
翌日の午後、恵美の熱が三十九度近くまで跳ね上がったため、私は急いで小児科へ連れて行った。明るい待合室は、不安げな親たちと泣きじゃくる子供たちでざわめき、カーペット敷きのプレイスペースにはおもちゃが散乱していた。
恵美がぐったりと私の腕の中で横たわり、その頬が私の肩に熱く触れていた、その時だった。笑い声が聞こえたのは。
受付の近くに、松下真理恵が立っていた。隣には娘の松下美空がいる。クリーム色の着物風ジャケットを羽織っていた。
小児科の待合室でさえ、二人は雑誌から抜け出してきたかのようだった。
松下美空の声が、鋭く、残酷に部屋中に響いた。「うぇ、なんであんな病気の子がいるの? 貧乏そう」
私は恵美を抱く腕に、守るように力を込めた。
松下真理恵はちらりとこちらに目をやると、松下美空の完璧にセットされた髪を直しながら言った。「美空、声が大きいわよ」
その見下したような口調に、私の血は沸騰した。夫が私たちを捨てて選ぼうとしているのが、この女だというの?
松下美空は鼻にしわを寄せた。「あの高橋健太って、デート相手が見つからない必死な人たちのためのアプリ作ってるんでしょ」
心臓が止まった。健太のアプリの話をしている。
松下真理恵の唇が、かすかに弧を描いた。「美空、それは少し違うわ。健太パパは、愛を見つけるのに……手助けが必要な人たちのためのアプリを作っているのよ」
「でもママ、必死な人のほうがお金払うって言ってたじゃん」松下美空は言い張った。
「賢い投資家は、儲かる必死さを見抜くものなのよ」松下真理恵は娘のドレスを撫でつけながら、そう呟いた。「健太パパは、孤独を金に変えるのがとても上手だわ」
「健太パパは、いつ私たちをハワイに連れてってくれるの?」松下美空は、松下真理恵のジャケットを引っ張りながら尋ねた。
「もうすぐよ、美空。彼が私のサークルにふさわしい服装を学んだらね」と松下真理恵は答えた。
部屋がぐるぐると回るようだった。健太パパ? ハワイ旅行? 私の夫は、私たちの家族計画を消し去りながら、すでに彼女たちの家族計画に組み込まれているのだ。
「恵美、いい子ね、あっちに座りましょう」私はなんとかそう言って、待合室の隅へと移動した。
恵美は熱っぽい頭をもたげた。「お母さん、どうしてあの子は意地悪なの?」
答えられなかった。優しさしか知らない五歳の子に、どうやって残酷さを説明すればいいというのだろう?
クリニックのトイレで、私は恵美の手を洗うのを手伝った。蛍光灯の厳しい光が照らす鏡に、二人とも映っている。恵美の顔は熱で赤らみ、その目は混乱と傷心で潤んでいた。
彼女は尋ねた。「お母さん、私って貧乏なの?『必死』ってどういう意味?」
私は膝をつき、娘を腕の中に引き寄せた。「恵美は完璧よ。ただ、優しくする方法を知らない人がいるだけ」
恵美は、かつて私が愛した健太を思い出させる、あの洞察力に富んだ茶色の瞳で私の顔を見つめた。「あの子のお母さん、お父さんのこと話してたよね?」
「お父さんのパソコンで、写真を見たことがあるかもしれない」
賢い子。時々、賢すぎるのが玉に瑕だ。
鏡の中の私は、疲れ果て、すり減り、存在感のない姿でこちらを見つめ返していた。しかし、恵美の姿は私に別の何かを見せてくれた。自分の存在を恥じる父親を持つには、あまりにもったいない小さな女の子の姿を。
私は言った。「もう誰にも恵美を傷つけさせないわ。たとえお父さんでも」
帰り道、恵美は熱と今日の出来事で疲れ果て、チャイルドシートで眠りに落ちていた。太陽がフロントガラスから差し込んでいたが、車内は冷たく、空虚に感じられた。
赤信号で止まった時、私はスマホを取り出し、タイプした。「離婚手続きについて、相談の予約をしたいです。緊急です」
送信ボタンの上で、指が止まった。このメールを法律事務所に送ってしまえば、もう後戻りはできない。健太がかつての自分を思い出すかもしれないなんて、もう見せかけの期待はできない。健太が正気に戻るかもしれないなんて、もう望めない。
信号が青に変わった。私は送信ボタンを押した。
「もう二度と、自分のことを恥じる必要なんてないようにしてあげるからね」私は眠る恵美に囁きかけた。
健太から別のメッセージがポップアップ表示された。「今夜、重要な投資家との会議がある。夕食には帰れない」
私はそのメッセージをしばらく見つめ、返信せずに削除した。今日から、彼の嘘は彼自身の問題だ。
健太は自分の道を選んだ。そして今、私は私の道を選ぶ。
私は自宅の車庫に車を停め、しばらく車内で座っていた。バックミラー越しに眠る恵美を見つめる。熱で火照っていた頬もようやく冷え、呼吸は穏やかで安らかだった。
スマホが震えた――法律事務所はすでに私のメールを読んでいた。
ここ数ヶ月、疲労や失恋以外の感情を初めて感じた。それは、刃物のように鋭く、澄み切った明晰さだった。健太が松下真理恵と銀坂のファンタジーを追いかけたいというのなら? 好きにさせればいい。
しかし、彼はもう恵美を自分の恥辱の中に引きずり込むことはできない。彼が投資会社の幹部として偉そうにふるまっている間、私たちを隠し事のように扱うことなど許せない。
私は後ろに手を伸ばし、そっと恵美の顔に触れた。彼女は少し身じろぎしたが、目を覚ますことはなかった。
「私たちは大丈夫よ、恵美」私は囁いた。「お母さんが、必ずそうしてあげるから」





