第1章

海外での逃亡生活と虐待――三年。梨紗は、ようやく帰ってきた。ぼろぼろの服を身にまとい、かつて馴染んだ家の門前に立つ。

門は少し開いていて、内側から灯りが漏れていた。音楽と笑い声が、かすかに届く。パーティーをしているらしい。

一歩、足を踏み入れる。

見ると、リリアが人だかりの中心にいて、五段重ねのケーキに向かって蝋燭の火を吹き消していた。

淡い紫のロングドレス。丁寧に整えられたメイク。大事に守られて咲く、箱入りの花みたいだった。

梨紗は視線を落とす。擦り切れた服。枯れ草みたいに黄ばんだ髪。削げ落ちた頬。手首と首元には、目を背けたくなるような傷痕がいくつも走っている。

「……梨紗?」

誰かが彼女に気づき、名を呼んだ。

大きな声じゃないのに、スイッチでも押されたみたいに、リビングの空気が一瞬で凍りつく。

次々に顔がこちらを向いた。

そして――ささやきが、爆発する。

「本当に梨紗? 小岩家の『偽物の娘』だった……あの子? どうしてこんな姿に……」

「海外で事件に巻き込まれたって。ヤクザに攫われたとか」

「え、エイズとか……ああいう場所から出てきた人って、不潔じゃない?」

「近寄らないで……」

視線が針みたいに突き刺さる。誰もが一歩、二歩と距離を取った。まるで彼女が疫病でも運んできたかのように。

梨紗は指をきつく握り締めた。

梨紗は小岩家の令嬢だった。大学を出てすぐ、幼なじみの康之と婚約した。

――それが、ある日変わった。

梨紗が実の娘ではないと判明し、本物の令嬢リリアが戻ってきた。両親は愛情のすべてをリリアに注ぎ、婚約者の康之も、兄の健治も、彼女を溺愛した。

三年前、梨紗と康之はタイへ旅行に行った。リリアがどうしてもついていくと言い張り、そして途中で地元の厄介者を怒らせた。

そのとき――康之は迷いなく、梨紗を突き飛ばして身代わりにした。

相手は残酷な変質者だった。梨紗は鎖で暗い地下室に繋がれ、昼も夜もない場所で、人間とも幽霊ともつかない状態にまで壊された。

三年が過ぎ、男は彼女に飽きた。半死半生まで痛めつけたあと、海へ捨てた。

だが命は尽きなかった。通りかかった漁師に救われ、大使館に繋がり、日本へ戻ってきた。

「梨紗……本当に、お前なのか?」

聞き覚えのある声。驚愕が混じる。

康之が人波をかき分けて出てきて、梨紗の腕を掴み、外へ引っ張った。

焦っている。力が強い。まるで迷い込んだ野良猫を追い払うみたいに。

梨紗はよろめき、膝の古傷がズキンと疼いて、転びそうになった。

それでも康之は気づきもしない。玄関の外、階段の下まで引きずって、ようやく手を離した。

彼は振り返り、骨と皮ばかりになった彼女の姿を見つめる。

かつて明るく、眩しかった梨紗と、目の前の梨紗が、どうしても結びつかなかった。

胸が痛んだのか、彼は手を伸ばしかけ――しかしすぐに引っ込めた。三年間、組に囚われていた。どれほど汚されたか分からない。そう思った瞬間、胃がむかついたのだろう。

彼は笑った。

「帰ってきてくれてよかった。……三年間、ずっと心配してたんだ」

梨紗は彼を見上げた。胸の奥が、細い針で何度も刺されるみたいに痛む。

平気? この姿が平気だと?

「本当に心配してたなら、あのとき私を置いてリリアを連れて帰ったりしない。帰国したあと、すぐ警察に通報もしないはずよ」

康之の視線が泳ぐ。

「……あれは、事故だったんだ。状況が最悪で、どうしようもなかった。あいつら銃を持ってた。リリアに何かあったら……彼女は弱い、耐えられないんだ、あんな――」

「じゃあ私は耐えられるって?」

怒りが臨界点を超え、梨紗は笑ってしまう。世界でいちばん滑稽な冗談を聞いたみたいに。

「私が三年間どうやって生きてたと思うの? 毎日、明日こそ誰かが助けに来るって……もしかしたら、あなたが動いてくれてるって……」

瞳は真っ赤だった。けれど涙は落ちない。三年の監禁で、涙なんてとっくに枯れた。

「三年待った。待ってたのに――あなたはここで、リリアの誕生日を祝ってる!」

声が跳ね上がる。

「最初からあいつが連中と繋がってた! 私をこんなにしたのはリリアよ! なのに、どうして平気な顔で全部を享受できるの?」

あの三年の苦痛の中でも、リリアの勝ち誇った笑みだけは、脳裏にこびりついて消えない。

リリアが戻ってきた当初、梨紗は思っていた。外で苦労してきたのなら、家族が愛情を分けるのは当然だ。だから彼女を大事にした。

リリアが何度もわざと濡れ衣を着せ、両親と健治に責められても、梨紗は黙って耐えた。

我慢していれば、きっとまた以前のように暮らせる――そう信じた。

だがタイで、康之は彼女を身代わりに差し出した。リリアが罪悪感を抱くと思ったのに、そこにあったのは得意げな笑みだけ。

どれだけ譲っても、なぜ彼女は自分を壊そうとするのか。三年の地獄が、憎しみを無限に増殖させた。

そして、その憎しみだけが、梨紗を生かした。

「リリアを出して。私の前で謝らせる。自分がやったことを全部認めさせる!」

康之の顔が一気に冷たくなる。脅すような口調だった。

「梨紗、いい加減にしろ。ここで騒いで、お前に何の得がある?」

「誰が信じようがどうでもいい。私はリリアに代償を払わせるだけ!」

梨紗は康之を突き飛ばし、屋敷へ駆け込もうとした。

正面からぶつかったのは、兄の健治だった。

迎えに来てくれたのだと、一瞬信じてしまう。胸が熱くなり、声が震えた。

「お兄ちゃん……会いたかった……」

「生きて帰ってくるとはな。意外だ」

健治が鼻で笑う。目にあるのは蔑みだけだった。

梨紗は固まった。――そうだ。彼はもう、子どもの頃の「お兄ちゃん」じゃない。リリアが戻ってから、健治は一度も彼女を妹と呼ばなかった。

屋敷の中では、リリアが人に囲まれていた。

乱入してきた梨紗を見た瞬間、リリアの顔に一瞬だけ――驚愕と怯えが走る。けれどすぐにそれは「心配」に塗り替えられた。

「梨紗! 無事で、本当によかった!」

リリアは早足で近づいてきた。

次のチャプター