第85章 男はみな誘惑に抗えない

翌日の夕暮れ。タクシーが古川邸のある山手の高級住宅街へゆっくりと入っていくころには、須藤寧音の手のひらはもうじっとりと汗ばんでいた。

血を溶かしたような夕焼けが空の端を壮麗な橙と紅に染め上げ、その光は山の頂に建つ白い邸宅にも、やわらかく――けれどどこか儚い光輪を与えていた。

須藤寧音は料金を払い、見慣れた装飾鉄門の前に立つ。

それだけで、足がすくみそうになる。

指紋認証も暗証番号も、とっくに記憶から消し去った。呼び鈴を押そうと手を伸ばした、その瞬間。

「ピッ」

軽い電子音とともに、門が内側から自動で解錠された。

続いてインターホンから、低く落ち着いた男の声が響く。執事の周防だっ...

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