第88章

病室を出て数歩も進まないうちに、源一は俯き加減の女が清掃用カートを押しながら正面から歩いてくるのを目にした。

源一は気が急いていた。大して気にも留めず、身体を半歩ずらしてそのまま前へ抜けようとする。

すれ違いざま――美月の手首が、くいっと返った。

袖口に隠していた注射器が、源一の太腿の外側へ寸分違わず突き立つ。親指が押し込まれ、透明な液体が一気に体内へ流し込まれた。

一連の動きは稲妻のように速い。1秒もかからない。

源一が感じたのは、蟻にちくりと噛まれたような、かすかな痛みだけだった。

眉をひそめ、反射的に視線を落とす。だが、ズボンの生地は何ともない。

「……なんだ?」

小さ...

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