第3章
ブレイクからの着信を切り、ベランダのドア前で立ち尽くしているオーウェンを見上げた。
「どうして出ないの?」私は笑って聞いた。
オーウェンはぎこちなく振り返り、「雨がひどい。もういい」と短く言う。
椅子に座り直したものの、スマホは手に取らない。机の一点をぼんやり見つめたまま――逃げたいのに逃げられない、そんな張りつめた気配が伝わってくる。
私はベッドから降り、彼のそばへ寄った。
「ドライヤーある? 髪、まだ乾いてなくて」
オーウェンは浴室の棚を指さすだけで、何も言わなかった。
わざと彼の目の前で腰を折り、棚をあさる。濡れた長い髪から、水滴がぽたぽた落ちる。動いた拍子にパーカーの襟元がずるりと下がり、鎖骨と肌が少し覗いた。背中に、オーウェンの視線が火みたいに刺さるのを感じる。
振り向くと、彼は慌てて目を逸らした。耳の付け根が赤い。
ドライヤーを持ってベッドに戻り、わざとコンセントは挿さずに、濡れ髪を指で遊ばせながら彼を見る。
「コンセント、届かない」
オーウェンは黙って近づき、ドライヤーを受け取るとベッド脇にしゃがんでプラグを差した。この角度だと、彼はどうしても顔を上げて私を見ることになる。距離は近く、互いの息づかいまで聞こえた。
喉仏が、ごくりと動く。プラグを握る指の関節が、白くなるほど力が入っていた。
「ありがとう」
私はすぐには受け取らず、彼の手首をそっと掴む。
「吹いて。自分だと後ろ、無理なんだ」
オーウェンが一瞬、固まる。
「いい?」私は見上げた。
彼は結局ドライヤーを持ち、私の背後に立った。
温かい風が湿った髪をほどいていく。オーウェンの指先が時折、私のうなじに触れるたび、感電したみたいにさっと引っ込めて、それでもまた慎重に髪を送る。手つきは不器用なくせに、やけに優しい。
私は目を閉じた。世話をされる心地よさに身を委ねる。前の人生では、こんなふうに扱われたことがない。ブレイクはこういうことを絶対にしなかった。女が自分でやるものだ、と決めつけていたから。
そのとき、寮の廊下から足音と話し声が急に近づいてきた。
ブレイクの声だ。チームメイトと雑談しながら、こちらへ歩いてくる。
私とオーウェンは同時に凍りつき、目が合った。
なんで戻ってきたの――?
足音がさらに近づき、ブレイクがドアの前で立ち止まる。
「オーウェン、こんな早く寝たのか? 変だな……」
鍵が触れ合う音がする。開けるつもりだ。
私は反射的に立ち上がり、ドライヤーのスイッチと部屋の明かりを一気に落とす。そしてオーウェンの手を掴み、ドア脇のクローゼット横へ引きずり込んだ。
狭い隙間に身体を押し込める。オーウェンは咄嗟に私をかばうように前へ出て、背中を壁につけた。私は彼の胸にぴたりと押しつけられ、激しい鼓動がはっきり聞こえる。
外で、鍵が差し込まれる音。
その瞬間、別の声が割って入った。
「ブレイク、コーチが事務室に来いって。急ぎだってさ」
ブレイクが悪態をつき、足音が遠ざかっていく。
私は息を吐いた。けれど、オーウェンは私を離さない。
闇の中で、呼吸がどんどん荒くなる。腰に回った指が食い込み、身体の中にねじ込むみたいな強さだった。
「オーウェン……」私は暗がりで彼の顔を探り当てる。「行ったよ」
オーウェンは答えず、ただ顔を伏せた。
唇が額に触れ、鼻先に触れ、最後に私の唇へ落ちてくる。
さっきとはまるで違うキス。切羽詰まっていて、抑えてきたものを全部吐き出すみたいに激しい。震えが伝わる。全身が張り詰めている。
私は背伸びして応え、両腕で彼の首にしがみついた。
オーウェンの口づけは唇から顎、首筋へ移り、息づかいは怖いほど荒い。片手が後頭部を押さえ、もう片方が腰を掴んで、もっと強く引き寄せた。
「オーウェン……」私は彼を押し返すようにして囁く。「ほんとに、もういない」
オーウェンがはっと顔を上げる。表情は暗くて見えない。でも荒い息だけが耳に届く。
彼は突然私を放し、よろけるように数歩下がって壁に背をつけた。
「ごめん……俺……」
私は明かりをつける。
オーウェンの様子に、言葉を失った。焦点の合わない目。燃えるように赤い頬。耳まで真っ赤だ。なにより、彼は腕で前を隠そうとしている――隠しきれていないのに。
視線の先、ズボンの前にくっきり浮かぶ痕。
それで、急に謝った理由がわかった。
私は唇を噛んで笑いをこらえ、近づいて彼の手を取った。
「大丈夫だよ」
けれどオーウェンは、火傷でもしたみたいに手を振りほどき、逃げるように浴室へ駆け込むと、バタンと扉を閉めた。
ベッドに腰を下ろし、浴室から聞こえる水音に耳を澄ませる。
口元の笑みがゆっくりほどけて――別の感情に変わっていく。
さっきの、不器用で激しいキス。取り乱してどうしていいかわからない、あの顔。
まさか、本当に……女の子に触れたことがないの?
あれだけ優秀で、身体もよくて、実力もあって、責任感まである。そんな人が、ずっとひとりだったなんて。
よほど、心に誰かがいるのか。
だから、誰にも隙を与えなかった。
心臓が、ふっと一拍飛んだ。
