第4章
「田舎の教育は遅れている。成績を学校に送ったら、受け入れると言ったのは私立が一校だけだ。ただし図書館棟に100万の寄付が条件だ」
学歴がなければ体裁が悪い。そうでなければ、宮原江太郎が宮原ミナミに金をかけて学校へ通わせるはずがなかった。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。頑張れば大学くらい行けるって。私が勉強も見てあげる」
宮原美奈子は、いかにも気遣いのできる妹を演じる。
「美奈子は市内トップ10だ。基礎が弱いなら努力しろ。別に上を望まん。せめて名前の通った大学に入れ」
「結構。M市市立高校に行く」
「……ふふっ」
福部優子が鼻で笑った。
「やっぱり田舎から来た子って怖いわね。M市市立高校を、あんたの田舎の学校だと思ってるの? 行きたいって言えば行ける場所じゃないのよ」
宮原美奈子も困ったように眉を下げ、遠慮がちに諭す。
「お姉ちゃん、知らないのかもしれないけど……市立高校って全国レベルの名門だよ。成績が必要なの」
「最低ラインに届かなければ、お金を積んでも入れない。お父さんを困らせないで」
小さな手をくるりと巻き込み、甘い声で追い打ちをかける。
「どうしても見学したいなら、授業のない日に私が案内してあげる。でも、そこで勉強するのは……お姉ちゃん、無理だと思う」
宮原江太郎も、宮原ミナミの身の程知らずに腹を立てた。
「私立に金で入れるだけでも、どれだけ人脈を使ったと思ってる。市立高校? 何を考えてる!」
「入学試験があるでしょう。受けてみれば、入れるかどうか分かるじゃない」
――やり直すなら、ここが始まりだ。
今度こそ、全員に思い知らせる。宮原美奈子など、自分の足元にも及ばない。市立高校へ行くのは、その第一歩。
「お姉ちゃん! どうしてそんなにわがままなの」
宮原美奈子は失望したように宮原ミナミを見つめた。
「市立高校の試験結果って、公式サイトで公開されるんだよ。落ちたら、点が低かったら……宮原家が笑いものになる」
「私が市立で、お姉ちゃんが私立になるのが悔しい気持ちは分かる。でも意地で、お父さんの顔を潰すのは違うよ」
宮原江太郎の誇りは、宮原美奈子の成績だった。普段から取引先にまで自慢している。
もし宮原ミナミが白紙同然の答案を晒せば、どれほど嘲られるか――想像するだけで胃が痛い。
だから行かせない。
「私立に行け。戻ったばかりだから大目に見てやったが、もう限界だ。お前は宮原家のお嬢様なんだぞ。俺たちまで巻き込んで恥をかかせるな」
「まだ分からないなら、国外に送る」
失而復得の娘に向ける言葉とは思えないほど、容赦がなかった。
宮原ミナミは笑った。
――全員、私が落ちると決めつけている。
「もし、受かったら?」
「……え?」宮原美奈子が聞き返す。
「みんなが『無理』って言うなら、なおさら。私が受かったら、どうするの?」
「行くなと言ったら行くな」宮原江太郎は取り合わず、結論だけを叩きつける。
「受けさせて。落ちたら、あなたの要求を一つ聞く。受かったら――寄付する予定の100万を、私にちょうだい」
「要求を一つ」――その言葉に、宮原江太郎の脳裏を保険会社の金がよぎった。
どうやって宮原ミナミに署名させるか、ちょうど考えていたところだ。これは都合がいい。
宮原ミナミは、その欲の笑みを見逃さない。
前の人生で、宮原江太郎は戸籍の手続きだと偽り、緊急時の全権委任の書類に署名させた。
「お前のための保障だ」と言いながら。
その直後に起きた誘拐で、保険の資産はすべて宮原江太郎の懐へ――。
「そこまで言うなら、父親として拒むのも忍びないな。明日、学校に連絡してやる」
宮原江太郎の声が急に柔らかくなる。目の奥には隠しきれない強欲。
市立高校に受かるはずがない。転生でもしない限り――そう思っている顔だ。
「お父さん……」
宮原美奈子が不満を滲ませると、宮原江太郎は言い切った。
「美奈子、お前も一緒に行け」
宮原美奈子は腹が立った。宮原ミナミの思い通りになどさせたくない。
だが次の瞬間、考え直す。
宮原ミナミが惨めに落ちれば、自分の優秀さが際立つだけだ。
――
翌朝。
宮原美奈子は早起きして、新しく買ったプリンセスドレスで階下に立っていた。
「お姉ちゃん、頑張って。徹夜で参考問題作ったの。車の中で見て。分からなかったら教えるから」
本人より緊張しているような顔。
「いらない」
宮原ミナミは一瞥もせず、押し返した。
宮原美奈子は唇を噛み、悔しそうに俯く。
「妹が好意で用意したのに。時間がないんだ、二回でも見ろ。試験で一文字も書けなかったらどうする。恩知らずめ」
宮原江太郎は、宮原ミナミのつんとした顔を見るたびに腹が立つ。
まるで宮原家が自分に借りでもあるみたいな顔をする――。
(あの金さえなければ、誰がこんな娘を連れ戻すか)
宮原ミナミは相手にせず、玄関の運転手へ向かった。
宮原美奈子はまだ立ち尽くしている。
宮原ミナミが苛立った声で言う。
「学校行かないの? 早く乗って」
宮原美奈子は俯いたまま小走りに外へ出た。
宮原江太郎は「可哀想に」とでも言いたげに眉を寄せる。
――
学校に着くなり、宮原美奈子はあっさり顔を変えた。
「教務室はあっち。私、授業あるから。お姉ちゃんは一人で行って」
市立高校は広い。初めて来た人間なら迷って当然だ。
宮原美奈子は挑発するように目を細める。
――間に合わず白紙で出したら、父にどう言い訳するの?
そんな小細工、宮原ミナミにとっては取るに足らない。
視線すらやらず、ひとり教務室へ向かった。
無視された宮原美奈子は、奥歯を噛みしめる。
そこへ、学園一の人気者――坂村和哉が通りかかった。
「美奈子、何見てるの?」
宮原美奈子はすぐ表情を整え、心配そうに微笑む。
「お姉ちゃん。市立高校の入学試験を受けるって言い張ってて……受かるかどうか」
坂村和哉が視線を追う。
前方を歩く宮原ミナミは背が高く、纏う空気がどこか違う。坂村の眉がわずかに動いた。
その変化に宮原美奈子の胸がざわつく。だが笑顔は崩さない。
「昨夜、参考問題も作ってあげたんだ。見てくれたか分からないけど」
坂村和哉は宮原美奈子の目の下の隈に気づき、胸が痛む。
「やることはやったろ。落ちたら自業自得だよ。君のせいじゃない」
「でも、落ちたらお父さんが恥をかくし……」
宮原美奈子は焦ったふりをする。
「そういうタイプ、分かる。戻ってきたばかりで目立ちたいんだ。宮原おじさんに構ってほしいだけ。君と張り合って、愛されたいんだろ」
「何度か痛い目を見れば分かるって」
坂村和哉は肩をすくめ、冗談めかして続けた。
「気にするなよ。君みたいに年上に好かれる子、そういない。うちの親父も『君が娘ならよかった』って言ってた」
「もう、和哉ってば。そういうこと言って、私を笑わせようとして」
宮原美奈子がくすっと笑う。可憐に頬が染まった。
「ほら、教室行こう」
坂村和哉は胸を高鳴らせ、彼女を連れて歩き出した。自分の一言で女神が笑った――それだけで誇らしくてたまらない。
