第2章
林原奥様が去った後、私はようやく一息ついた。これで気まずい公開処刑も終わりだろう。
だが翌日、なんと林原奥様が手土産を持って再び病室のドアの前に現れた。
「花さん、これはあなたに」
林原奥様は精巧な箱とブランドの紙袋を私に差し出した。
困惑しながら箱を開けると、中には繊細な金のネックレスが、紙袋には限定品のブランドハンドバッグが入っていた。
その高価すぎる贈り物に、私は途端に緊張した。
「これは……」
林原奥様は深々と頭を下げ、敬語で言った。
「これは私達、林原家からのあなたへの負い目です。どうかお受け取りください。一郎の世話をしてくださるご苦労は、全てこの目で見ております」
この突然の態度の変化にどう応えていいかわからず、私は気まずいまま贈り物を受け取るしかなかった。
林原奥様が帰って間もなく、主治医の高橋先生がドアをノックして入ってきた。患者の診察を口実にしながらも、あからさまにヘルパーが部屋を出るのを待ってから口を開いた。
「奥様、林原さんのご容体についてですが……」
高橋先生は声をひそめた。
「最新の検査結果によりますと、林原さんが目覚める確率は……我々が予想していたよりも大きいようです」
私の心臓が速く脈打つ。
「本当ですか?」
「ええ。ですが、どうか……」
高橋先生は言葉を濁した。
「今はまだ、特別なスキンシップはお控えください。彼が目覚めてからであれば、親密な触れ合いをされても全く問題ありません」
私はすぐに彼の言葉の裏にある暗示を理解し、頬が知らず知らずのうちに赤くなった。
先生を見送ると、すぐさま林原智哉の心の声が響いた。
「やっと行ったか! なあ、今から俺の話し相手になってくれないか? 病院は退屈すぎる」
「今日、あなたのお母様からとても高価な贈り物をいただいたわ」
私はベッドの傍に腰を下ろした。
「へえ? あの人、普段は滅多に人に物を贈らないんだが」
彼の心の声には驚きが滲んでいた。
「どうやら君のこと、相当気に入ったみたいだな」
「あなたの看病へのお礼でしょうね」
「いや、母さんは見る目が厳しいんだ」
林原智哉は得意げに言った。
「まあ、無理もないか。俺みたいな活発で明るい好青年を好きにならない奴なんていないだろ? 俺はルックスが抜群なだけじゃなく、性格もすごくいいんだ。普段は仕事のためにクールなイメージを保ってるだけでさ」
思わず噴き出しそうになった。普段の彼の冷徹なイメージとのギャップが大きすぎるではないか。
あの「氷の社長」とまで呼ばれた林原智哉の内心が、これほどまでに幼稚で可愛らしいとは、誰が想像できただろう?
「泊まっていってくれないか?」
彼は不意に尋ねた。
「一晩だけでいいから」
断ろうと思ったが、林原奥様からの贈り物を思い出し、罪悪感がこみ上げてきた。
結局、私は頷いて承諾した。
夜、病室には医療機器の規則正しい音だけが響いている。私は付き添い用のベッドに横になったが、どうしても眠れなかった。
「これって、俺たちの初夜みたいなものか?」
林原智哉の心の声が、少し照れたように突然響いた。
「正直に言うと、これが初めての経験なんだ……いや、その、妻と一緒に夜を過ごすっていうのが」
私は呆れて寝返りを打ち、窓の外に広がる東京の夜景を眺めた。
林原グループは最近、小さくない苦境に立たされている。株価は大幅に下落し、複数の共同プロジェクトが中断、ライバルの佐藤家がその隙に乗じて圧力をかけてきている。
もし林原智哉が早く目覚めなければ、状況は悪化する一方だろう。
だがそれ以上に私が心配なのは、もし林原智哉が原作の筋書き通りに目覚めたら、彼は私に何をするかということだ。原作では、彼は回復するとまず私を始末し、それから他の財閥を潰していった。
「俺のこと、見てるのか?」
林原智哉の心の声が私の思考を遮った。
「そんなに俺って格好いい?」
私は無意識のうちに、彼の穏やかな寝顔に視線を向けていた。
「触ってみるか?」
彼は悪戯っぽく言った。
「誰にも言わないから」
私はため息をつき、目を閉じて無理やり眠りについた。
それからの日々、状況は微妙に変化し始めた。林原奥様が病院に来る頻度は目に見えて減り、現れるたびに身なりは整っているものの、その目には疲労の色がますます濃くなっていった。
会社の危機が深刻化しているのだと、私にはわかった。
うっかりミスで自分が退場させられることのないよう、私はさらに注意深く林原智哉の世話をした。
時折、看護師たちが林原グループのニュースについて小声で話しているのが聞こえ、その言葉には憂いが満ちていた。
あの日、全てが突然コントロールを失うまでは。
私が林原智哉の好きな小説を読み聞かせていると、突然スマートフォンの通知が絶え間なく点滅しているのに気づいた。開いてみると、某有名週刊誌が特集記事を掲載していた。
『財閥新妻の忠誠――林原家の跡取り事故後、新妻が日夜看病』
記事には、病院内で盗撮された私が林原智哉を介護する様子の写真がはっきりと写っていた。
「どうした?」
林原智哉は私の感情の変化に気づいた。
私は答えることができなかった。なぜなら、ソーシャルメディアはすでに大炎上していたからだ。「#林原智哉極秘結婚」と「#林原家の跡取り植物状態」がツイッターのトレンド入りし、私の素性はネット民によって洗いざらい暴かれていた。
