第3章 権田様も川市に来た
神野若芽はオークションの常連で、それも『上客』だ。ひとたび手を挙げれば、取引は平気で億を超える。
神野若芽は眉をひそめた。
「何が出るの」
「海外の骨董が山ほどっすよ。貴重な薬材もあるし、古玉に翡翠も。で、今回の目玉は古玉っす。唐代の品で、寒い日に身につけると体が温まるって話で……滅多に出ない宝物です。全国の大物が狙ってます」
吉川英は身振り手振りが見えるほどの勢いで、神がかった話を並べ立てる。
そんな都合のいい話があるのか。
神野若芽はさらに眉間を寄せる。もし本当なら、見に行く価値はある。
淡い瞳にわずかに色が差し、返す言葉は一文字だけ。
「行く」
……。
川市国際空港・ロビー。
VIP出口から男が現れた。
陰った顔。全身から圧が滲み、近づく者を拒む冷気を纏っている。まるで氷の欠片を浴びせるような気配に、誰も迂闊に近寄れない。
背筋は松のように真っ直ぐで、気品は生まれつき。鋭い眼差しは相変わらず冴え、唇は一直線――怒っているのが一目で分かった。
後ろには黒服が数名、緊張した面持ちで続く。息をするのも遠慮がちだ。
「役立たずめ。また見失ったのか。何のためにいる」
低い声はチェロのように深いが、挑発を許さない威がある。
「権田様、最後の反応は川市でした」部下が恭しく答える。
男は大股で歩き、部下たちも追う。目立たない方が無理な一団だった。
帝都第一の名門、その頂点に立つ男――権田真鳥。
まだ24歳にして、すでに莫大な資産を握る。傘下の事業はホテル、不動産、カジノ、観光、銀行……世界規模で広がり、世界500強の上位に名を連ねる。
今回、帝都から川市へ来た目的はただ一つ。神医探し。祖父の治療のためだ。
権田お爺さんは心臓に持病があり、名医たちも手を出せない。高齢で手術のリスクが高く、誰も確信を持てない。だが噂の神医は、難手術でも失敗ゼロ。特に心臓と脳の手術に長けるという。
ただし極めて低調で、診るかどうかも気分次第。権田真鳥は人を動かし、ようやく『川市にいる』ところまで掴んだ。だから自ら出向いたのに、手掛かりは消えてばかりだった。
ホテルに戻り、座った途端にスマホが鳴る。相手は幼なじみで親友の青木啓。
「権田、川市に来てんの?」青木啓が弾んだ声を出す。権田真鳥の動きは、すでに川市で噂になっていた。
「用件だけ言え」権田真鳥は苛立ちを隠さない。
「ちょうどよかった。明日mkでオークションがあるんだ。目玉は古玉。希少で、世に二つとないってさ。権田お爺さん、もうすぐ七十の誕生日だろ? プレゼントに最高だ。行かない?」
「俺は遊びに来たんじゃない」権田真鳥は冷たく返す。
青木啓が一瞬言葉に詰まる。――オークションが不真面目ってわけでもないだろ。
「で、何しに来たんだよ。権田様が直々に動くって、よほどだろ」
「神医を探してる」権田真鳥は淡々と言った。
「神医? ……なあ権田、正直に言えよ。帝都の連中が噂してた。三か月前の事故で……脚じゃなくて、その……下、やっちまって不能になったって、マジ?」
権田真鳥の口角がぴくりと引きつった。俊顔が氷結したように冷える。
「失せろ」
青木啓が固まる。――当たったのか? いや、今のは完全に地雷だ。
「……まあまあ。時間そんな取らねえし、行こうぜ。何か『意外な収穫』があるかもよ?」
権田真鳥は祖父が骨董好きなのを思い出す。……仕方ない。見るだけなら。
「分かった」それだけ返した。
……。
翌日。神野若芽は相変わらず、シンプルなTシャツに少し古いジーンズで階段を下りた。二階を通りかかったとき、意図せず耳に入った『自分の名前』に足が止まる。
「萬里は本当に愚かだね。せっかく厄介払いしたのに、また連れ戻すなんて」
威厳のある声。神野大奥様だ。
「小声で、母さん。この件は俺たちだけが知ってる。萬里はまだ『攫われた』と思ってる。俺たちが手放したなんて知らない」神野孝峰が押し殺した声で言う。
「手放して正解だったよ。あの子が生まれてから商売は落ち、借金まみれ。あの子を出してから持ち直したんだ。……また連れ帰ったら、何が起きるか」
「母さん、ただの偶然かもしれないだろ」神野孝峰が眉を寄せる。あの頃は景気も悪かった。
「信じな」神野大奥様は信仰深い。悪い意味で、信じ切っている。
神野孝峰が小さくため息をつく。
神野若芽は、口元に薄い嘲笑を浮かべた。
――そういうこと。
表情は淡いまま、踵を返して去っていく。
……。
国内でも名の知れたオークション。神野若芽が到着した頃には、会場はすでに人で埋まっていた。社会的名士、企業家――場の空気が金の匂いで重い。
入口で吉川英が待っていた。彼女を見つけると、すぐ手を振る。
誰が信じるだろう。目の前の少女が『本物の大物』だと。
ピアノ、医術、絵画、デザイン、レース、レース――何もかも極め、しかも完璧に近い。
「今日は人、多いね。雑誌で見た顔もいる」神野若芽が眉を寄せる。
「帝都の権田様が来るって噂で、一気に集まった」吉川英が声を落とした。オークションは社交の場でもある。
そのとき、視界に高い背が入る。
仕立てのいいスーツが、松のように真っ直ぐな体躯を際立たせる。傲慢なほどの高貴さ。神が彫ったような顔立ちは、冷え切っていてもなお視線を奪う。
権田真鳥だった。
その存在感は遠目にも分かり、会場の空気を静かに支配していく。
