第6章 あまりにも気まずい
松本萬里は、どうしようもない心細さを覚えていた。家の者たちが、神野若芽を好きになろうともしない。
だからこそ余計に胸が痛む。この子に背負わせてしまったものが、あまりにも大きい。
――今度こそ、埋め合わせをしたい。
松本萬里は気まずそうに顔を横へ向け、それから神野若芽に声をかけた。
「かめちゃん、ごめんね。みんな、まだあなたのことをよく知らないの。気にしないで」
神野若芽は淡い表情のまま。
「平気。聞かなかったことにする」
彼女は昔から、耳障りな言葉は最初から弾いてしまう。
「お腹すいたでしょう? こっちに来て。ご飯、取ってあるの」
松本萬里は明るく誘った。
神野若芽はそこまで空腹ではなかったが、松本萬里のその必死さを無駄にしたくなくて、黙って食卓へ向かった。
そのとき、玄関のほうで気配がして、神野孝峰が入ってきた。靴を脱ぎながら神野若芽の姿を見つけると、間髪入れずに小言が始まる。
「女の子がふらふら出歩くな。若奈を見習え」
朝、家の中にいなかった。どこへ行っていたのかも分からない。思い出すだけで腹の底がむかむかする。
外でどんなふうに荒れてきたのか――想像するほど苛立ちが募った。
神野若芽は何も言わない。今は沈黙がいちばん楽だ。
松本萬里が庇おうと口を開きかけたが、神野孝峰がそれを遮った。
「明日は勝手に動くな。川市第一中学に連れて行って手続きする。基礎が酷い。入れてもらえるかも分からん」
神野孝峰はぶつぶつと止まらない。
本当は適当な学校に放り込むつもりだった。だが自分の立場を思えば、それでは外聞が悪い。結局、無理を承知で川市第一中学を当たるしかない――そんな結論に落ち着いていた。
……。
五つ星ホテル。
権田真鳥はシャワーを浴び終え、浴室から出てきた。腰には大きめのバスタオル。鍛えられた肌には水滴が残り、髪もまだ湿っている。
部屋にはすでに寺内七造が待っていた。
「旦那。調べがつきました。例の女は、神野家が最近引き取った実の娘です。以前に誘拐され、十数年を孤児院で過ごしていたと」
権田真鳥は眉をわずかに寄せる。
「それだけか。他は?」
あの少女が、表面どおりの存在だとはどうしても思えなかった。
寺内七造も首をひねる。
「……妙です。そこから先が掴めません。何かに阻まれているようで」
彼らの情報網で「皮だけ」しか拾えないなど、異常だった。
権田真鳥は唇の端を冷たく吊り上げた。
「いい。分かった」
面白い。退屈はしない。
……。
朝7時。空がようやく白み始めた頃、執事が神野若芽の部屋をノックした。
少しして、神野若芽が鞄を背負って出てくる。相変わらず気だるげで、どこか漫然としている。
軽く口に入れただけで、神野孝峰が急かした。
「今日は手続きだと言っただろう。ぐずぐずするな。いつになったら分別がつく」
「パパ、私、あの人と同じ車は嫌。恥ずかしい」
神野若帆が唇を尖らせて甘え、すぐに神野若奈へ振り向く。
「若奈姉さんも言ってよ。あの田舎者と同じクラスになったら、私、倒れる」
神野若奈は一度神野若芽を見てから、柔らかい声で言った。
「家族なんだから助け合わないと。でも成績が伴わなければ、希望のクラスには入れないよ」
遠回しな言い方。けれど、刺さる言葉だ。
神野若芽は小さく笑っただけで、何も返さない。
「行くぞ。遅れる」
神野孝峰は胸の奥の重さを押し込み、車を出した。
学校に着くと、神野若奈と神野若帆はそれぞれ自分の教室へ向かい、神野孝峰は神野若芽を連れて校長室へ向かった。
神野若芽は廊下で待たされ、神野孝峰だけが校長と話す。転入の件だ。
「神野さん、ご存じの通り……高3のこの時期に転入は、基本的にお受けしておりません」
川市第一中学の校長は資料を手に、困った顔で続けた。
「学力が分からず、クラス平均にも影響します。公平性の問題もありまして……」
資料は目を覆うような内容だった。中卒。年齢も上。下の学年からやり直すわけにもいかない。
神野孝峰の狙いは明白だ。高3を一年通して受験させ、共通テストを受けさせて、どこか滑り込ませる。神野家が「文盲」を抱えれば川市の笑いものになる――それだけは避けたい。
校長は廊下に立つ神野若芽をちらりと見た。ぼんやりした目。無表情。賢そうには見えない。
――扱いづらい。
神野孝峰の顔が沈む。
「つまり、うちを笑いものにする気か? 神野家を見下してるのか」
「いえいえ、誤解です!」
校長は慌てて頭を下げた。
「ただ、彼女には負担が大きいと……今は高3の追い込みですし」
「俺は決めた。高3に入れろ。寄付は2000万出す」
神野孝峰は金で押し切った。
校長の目がぱっと光る。図書の導入費が足りない――渡りに船だ。
「神野さん、ありがとうございます。では、私がご案内します」
神野孝峰はようやく機嫌を直し、頷いた。
「頼む」
校長と共に外へ出て、神野若芽の前で言い放つ。
「手続きは済んだ。高3だ。少しは真面目にやれ。ここは孤児院じゃない」
