第6章
神崎隼人は嫌がるようにひとつ身をよじり、視線を桐生初夏に縫い付けたまま、無意識にその腕の中から離れたくないと訴えていた。
神崎司のがっしりした腕がぎゅっと締まると、隼人はようやく抵抗をやめ、ぷくっと頬を膨らませて父親と同じ氷みたいな顔を作る。
大と小、同じ目で見られて、初夏の背筋がぞわりと粟立った。眉をひそめる。
「……何よ。そんな目で見て」
まさか――私があんたに気があるとか、勘違いしてる?
神崎司は視線を落とし、冷えた目で初夏を見下ろした。
「忠告したはずだ。しつこい」
ここまで尾行してきただけでも不愉快だ。挙げ句、息子にまで手を伸ばすとは。
隼人の存在は一度も公にしていない。それでも辿り着いた。相当調べたに違いない。
鼻先をかすめる香水の甘い匂いすら、計算のうち――そう思うと、苛立ちが底を打った。
顔色がさらに陰る。声も冷たくなる。
「目的は何だ。言え。卑劣な手で俺の子に触るな」
桐生初夏は言葉を失った。面倒を避けたいだけでなければ、拳が出ていた。
腕の中の隼人をちらりと見て、鼻で笑う。
「助けを求めてきたの、そっちの息子でしょ?」
「人のせいにする前に、自分が何したか考えたら? 息子にここまで嫌われてる時点でお察しよ」
――この女、口が立つ。
神崎司の目が氷点下に落ちる。
「今後、俺の息子に近づくな」
「そして、隼人の情報を外に出すな。逆らえば容赦しない」
その声に反応したのか、萌々が隣室からぱたぱたと走ってきた。
だが神崎司と神崎隼人を目にした瞬間、瞳に灯った珍しい光がすうっと消える。表情もみるみる陰り、手にした描きかけの絵をぎゅっと握ったまま、背を向けて去っていった。
神崎司はその小さな背中と、ちらりと見えた紙面に目を留め、ほんのわずか表情が揺れた。
――あの子、俺を描いたのか。
「目を離せ!」
プリンが両腕を広げ、顎を上げて神崎司と真正面から睨み合う。
「ここは僕たちの部屋。不法侵入者は出てって。ママと妹の邪魔しないで!」
幼いのに、輪郭のはっきりした顎。背は低いが、視線に妙な圧がある。
神崎司は眉を上げた。なぜか、この小さな狼みたいな目つきが気に入った。幼い頃の自分に少し似ている。
目を細め、興味深そうに言う。
「……お前の息子か?」
桐生初夏の心臓が跳ねた。
「私も警告する。私の息子に近づかないで!」
「暇じゃない」神崎司は小さく鼻で笑う。「ただ……躾はしておけ」
勇気も頭もある。責任感もある。きちんと育てれば伸びる――そういう類の子だ。
――は?
この氷男、うちの子が行儀悪いって言いたいの?
桐生初夏の顔が一気に冷える。
「神崎社長、病院で診てもらったら? あなた、うちの子の父親でもないのに、何様で説教してんの」
神崎隼人は目を丸くした。
父の威圧を真正面から無視する女なんて、見たことがない。
神崎司の顔色が墨みたいに沈む、その直前。
隼人が慌てて神崎司の襟を引っ張った。
「怒らないで。僕が勝手に来ただけ。叱るなら僕を――」
神崎司はこれ以上揉める気を失ったらしい。最後に警告の目を初夏へ投げ、隼人を抱き上げたまま踵を返す。振り返りもしない。
長身の背を見送りながら、桐生初夏は首を傾げた。
神崎司が結婚して子どもがいるなんて、聞いたことがない。どこから出てきた四歳過ぎの小さな塊だ。
しかも、四年前に死んだはずの長男と同じ位置の泣きぼくろ。
そして、あの手の指には――見覚えのある、同じ系統の指輪。
桐生初夏の脳裏に、ひとつの可能性が閃いた。
彼女は部屋へ戻るなり、ホテルの監視カメラに侵入し、いちばん鮮明な画像を切り取る。
骨ばった手元を拡大していくと、指輪の模様が少しずつ、少しずつ浮かび上がってきた。
桐生初夏の指先が震える。顔が画面に吸い寄せられるように近づき――息を呑んだ。
