第七章 妊娠
離婚から二週間が経っていた。
賃貸の家賃は、残りわずかな貯金でなんとか払える。薬代もかさむ。鎮痛剤は一日二錠では足りなくなっていた。
川里枝は毎日電話をかけてきた。最初は怒鳴り声ばかりだったが、次第に泣き声が混じるようになり、この日は突然冷淡な口調に変わった。
「いい仕事を紹介してあげる」
「高級クラブよ。一晩で十万以上稼げる。あなたには今、これしか道がないでしょう」
温音は窓の外を見つめた。
朝霞家と完全に縁を切るには、あの夜の賠償金を返さなければならない。
「……一度だけ」
川里枝の声が一気に明るくなった。
店は港区の高層ビルの上階にあった。
重厚な木のドア、低く響くピアノの音。外観は上品に見える。
温音は黒いワンピースを着ていた。川里枝が用意したものだ。胸元が少し開いているため、左頬の傷を隠そうとファンデーションを厚く塗り重ねた。
個室へ案内された。
中には四人の男がいた。中年、スーツ、テーブルには高価な酒が数本並んでいる。
そのうちの一人が温音を一瞥し、口元を緩ませた。
「座れ」
温音は椅子を引いて座った。
グラスが一つ、目の前に押し出された。
「飲め」
ウイスキーだった。
「すみません——」
「飲めと言ってる」
男は強引にグラスをさらに前へ押した。温音は視線を落とし、グラスを手に取り、一気に飲み干した。
液体が喉を焼く。胃の底で何かが痙攣した。
二杯目。三杯目。
三杯目を飲み終えたとき、胃が激しく収縮した。
痛みではない。内側から何かが込み上げてくる感覚だった。温音は口を押さえ、椅子から立ち上がった。
「どこ行く?」
男の手が肩を掴んだ。
「すみません、少し——」
口を押さえた手では止められず、液体が指の間から溢れた。鉄錆の味がする。
男は椅子を押しのけて立ち上がり、汚いものを見るような目で温音を見下ろした。
別の男が舌打ちした。「血だろ、あれ。病気か?」
「出てけ」
個室を出て、廊下の壁に寄りかかってしばらく立っていた。
胃はまだ波打ち、ひどいめまいがする。
ゆっくりと洗面所の方へ歩き、ドアを押し開けた途端、また嘔吐が込み上げた。今度はさらにひどく、両手で洗面台を支え、涙が溢れた。
外で店員がドアを叩く。「お客様、大丈夫ですか?」
「……大丈夫です」
温音は水道の蛇口を開け、冷水で顔を洗った。顔を上げると、鏡の中の自分が映った——顔色は蒼白、唇には血の気がなく、左頬のファンデーションが水で流れ、包帯の端の暗赤い痕が露出している。
鏡の中の人物を見つめたまま、長い間動けなかった。
賃貸に戻ったときには、すでに深夜だった。
温音はそのままベッドに倒れ込み、何も動く気になれなかった。胃はまだ痛み、頭も痛む。全身の骨が砕けたようだ。
携帯が震えた。
病院からのメールだった——「朝霞温音様、未受領の検査報告書がございます。至急ご来院ください」
温音は画面を見つめ、長い間止まっていた。
思い出した。前回病院で倒れたとき、エロディが救急を呼び、医師が全面的な検査をした。退院手続きを済ませてそのまま出てしまい、報告書のことなど完全に忘れていた。
ベッドの上でしばらく座っていたあと、立ち上がり、上着を着替えて外へ出た。
病院の夜間救急はまだ明かりがついていた。
温音は窓口へ行き、名前を告げた。看護師が報告書を探し出し、手渡した。
「朝霞さん、この報告書はやや特殊ですので、医師に詳しくご相談されることをお勧めします」
温音は受け取り、開いた。
一ページ目は通常の血液検査、二ページ目はCT結果——腫瘍の部分はすでに知っていた。
三ページ目をめくったとき、手が止まった。
妊娠反応陽性。
妊娠週数:約四週。
その数文字を見つめたまま、頭の中が真っ白になった。
看護師の声が前方から聞こえる。「朝霞さん?」
「……ありがとうございます」
温音は報告書を握りしめ、振り返って出て行った。
病院を出たとき、夜風は冷たかった。
階段の上に立ち、報告書を手に握りしめたまま、動けなかった。
四週。
別荘でのあの日。颯真だ。
手がゆっくりと腹部へ移り、そこで止まった。
腫瘍。失明。三ヶ月の命。
そして今、もう一つ増えた。
子供。
頭の中で何も考えがまとまらず、ただその数文字が繰り返し現れた——四週、妊娠、陽性。
幼い頃のことを思い出した。七、八歳の頃だろうか、朝霞家に客が来て、家中の大人が話していたが、誰も隅にいる自分に気づかなかった。そこに座ったまま、まるまる午後を過ごし、誰かが自分の名を呼ぶのを待っていたが、日が暮れても誰も呼ばなかった。
それからわかったのだ。必要とされないことが、自分の常態だと。
ただ誰かに必要とされたかった。たった一度でいいから。
それすら、叶わなかった。
頭を下げ、報告書を握りしめた手を見つめた。
でももし——
もし一人、最初から自分だけのものである人がいたら。利用のためでもなく、憐れみのためでもなく、ただ自分が母親だから。
その考えが頭に浮かんだ途端、涙が落ちた。
自分でも気づかなかった。涙が報告書の上に落ち、円形の染みを作って初めて、自分が泣いていることに気づいた。
どれほど座っていただろう。携帯が鳴った。
時透だった。
画面を見つめ、数秒止まってから、電話に出た。
「どこにいる?」
「病院」
「待ってろ」
通話が切れた。
温音は携帯を置き、そのまま座ったまま動かなかった。
時透の車はすぐに到着した。
車を降り、温音の前まで来ると、顔色を見て何も言わず、ただ手を伸ばして彼女を支えた。
「歩けるか?」
「ええ」
車に乗せ、エンジンをかけた。車内は暖房がきいている。温音はシートに寄りかかり、目を閉じたまま、手には報告書を握りしめていた。
「なぜ夜中に病院へ?」時透が尋ねた。
「検査報告書を取りに」
「どんな報告書だ?」
温音はすぐには答えなかった。
時透は横を向いて彼女を一瞥し、視線が彼女の手に握られた紙に落ちた。
「見せてもらえるか?」
温音の指が一度強く握られ、それからゆっくりと緩み、報告書を差し出した。
時透は受け取り、信号の光を借りて一瞥した。
手が止まった。
視線がその一行で止まる——妊娠反応陽性、妊娠週数約四週。
車内が静まり返った。
赤信号が青に変わり、後ろの車がクラクションを鳴らした。時透は報告書を助手席に置き、運転を続けた。
温音は目を閉じたまま、手を腹部に置き、声は小さかった。
「時透さん、一つお願いがあります」
「言え」
「私を——」少し間を置いた。「一度、死なせてもらえませんか」
時透の手がハンドルの上で止まった。
「どういう意味だ?」
「颯真は私を放っておかないでしょう」温音は続けた。「私を見つけて、引きずり戻す。もう戻りたくない」
目を開け、前方の夜景を見つめた。
「もし彼に私が死んだと思わせることができれば、本当に離れられる」
車内がまた静まり返った。
時透はすぐには答えず、ハンドルを握り、前方を見つめたまま。
しばらくして、口を開いた。
「それは、すぐにできることじゃない」
「わかっています」
「時間が必要だ。段取りも必要だ」少し間を置いた。「それに、今のあなたの体の状態では——」
「持ちこたえます」温音は言った。「離れられるなら、何でもします」
時透は横を向いて彼女を一瞥した。
夜の中の横顔は穏やかだった。すべての心の準備ができているかのような穏やかさだ。
「わかった」
ただその一言。
温音は息を吐き、指がゆっくりと緩んだ。
「ありがとうございます」
「礼はいらない」時透は言った。「まず体を整えろ。それと子供のことは——」
「残します」
時透は何も言わず、ただ頷いた。
車は時透名義の私立病院の前に停まった。
