第1章

顔面に叩きつけられた化学薬品が、視界と未来のすべてを灼熱の地獄へと変えた。

「あんたみたいな裏切り者のせいで!」

遠のく意識の底から、佐藤絵美の絶叫が聞こえる。

「死ね、この詐欺師ッ!」

目が見えない。息ができない。じゅ、と音を立てて皮膚が爛れていく感覚。野次と罵声、そして一部からの歪んだ歓声が、巨大なうねりとなって鼓膜を打った。悪趣味な見世物だ。

だが、あらゆる痛みを貫いて、私の目はただ一人を捉えていた。

山田真理。私の、可愛くて大切な義理の妹。彼女は狂乱する観衆の端に立ち、助けに駆け寄るでもなく、悲鳴を上げるでもなく、ただ……静かに私を見ている。

その顔に浮かんでいたのは――紛れもない、満足げな笑みだった。

『――この、女』

その表情が意味する現実は、顔を焼く薬品よりも深く、私の魂を蝕んだ。お前が、すべて仕組んだのか。

どうせ死ぬなら。

『お前も、道連れだ』

「いいわ!」

最後の力を振り絞り、もつれる足で前方へ飛びかかる。

「私が地獄に落ちるなら、あんたも一緒よ!」

真理の細い腕を掴んだまま、私たちはトレーニング施設の二階の手すりを突き破った。

「山田佳織、やめて! 助け――」

落下しながら響く彼女の絶叫。急速に迫るコンクリートの灰色。そして、すべてが暗転した。

はっと目を覚ます。灼けつくような痛みのない、ただの空気を、貪るように吸い込んだ。

頭上で蛍光灯がジー、と低い唸りを上げている。鼻孔を満たすのは、チョークと汗の懐かしい匂い。恐る恐る自分の顔に手をやると、そこには滑らかな皮膚があるだけだった。火傷も、醜い傷跡もない。

『……何、これ』

私は、日本体操ナショナルトレーニングセンターの更衣室、そのベンチに横たわっていた。メインの体育館からは練習の喧騒が響いてくる。コーチが修正を叫ぶ声、マットに体が叩きつけられる鈍い音、平行棒のきしむ金属音。

オリンピック半年前。

激しく脈打つ心臓が、現実を告げていた。ここは――強化合宿所だ。

でも、どうして。私は死んだはず。あの落下も、衝撃も、そして――。

カサリ、という微かな音に凍り付いた。ロッカーの隙間から視線を送ると、向かいのベンチ、私の水筒の傍らで誰かが屈み込んでいる。

真理。私の愛しい義妹。その手には、小さなガラスの小瓶が握られていた。

瞬間、記憶が物理的な一撃のように蘇る。

メダル授与式。東京二〇二四。あの栄光の三日間が、私のすべてを奪うための、甘い罠だったなんて。

一番高い表彰台に立ち、『君が代』の荘厳な調べの中、私は泣いていた。首にかかった金メダルの重みは、これまでのすべてが報われた証だと、そう信じていた。

そして、すべてを破壊した記者会見が始まった。

「ドーピング検査の陽性反応により、山田佳織選手のオリンピックでのタイトルをここに剝奪します」

JOC役員の冷たい声が、会見場に響き渡る。無慈悲な手が私の首からメダルを奪い取ると、カメラのフラッシュが一斉に焚かれた。

「あり得ない……!」私は声を絞り出した。「私は決して……絶対に……」

だが、彼らには証拠があった。私の血液から検出されたアナボリックステロイド。私が絶対に摂取したことのない、禁止薬物。あの時の私には知る由もなかったが、真理が私に飲ませていたのはただのステロイドではなかった。検査のタイミングを狙い、巧妙に効果が発現するよう設計された、悪意の結晶だったのだ。

次に開かれた聴聞会では、私の家族までもが、私を奈落の底へ突き落とす側に回った。

真理は純白のワンピースを着て証言台に座り、偽りの涙を頬に伝わせていた。

「佳織お姉ちゃんに脅されました」マイクに向かって、か細くすすり泣く。「薬物を手に入れるのを手伝わなければ、二度と競技できないようにしてやるって……」

法廷の向こうから、あれほど可愛がってきた義理の妹が、淀みなく嘘を紡ぐ姿を、私はただ見つめることしかできなかった。かつて私の髪を嬉しそうに結ってくれた少女が、手慣れた様子で私の人生のすべてを破壊していく。

その時、悟った。彼女は駒じゃない。この地獄を仕組んだ、張本人なのだと。

記憶が、巨大なハンマーのように私を打ちのめす。あらゆる裏切り、あらゆる嘘。今、この瞬間、私は真実を理解した。

目の前では、真理がまだ私の水筒のそばに屈み込み、小瓶から透明な液体を慎重に垂らしている。あの、〝前回〟の人生で、私が練習中に意識を失う直前に口にした、あの水筒に。

あの液体に何が入っているか、私は知っている。私の選手生命を終わらせるステロイドだけじゃない。あの日、私を練習中に昏倒させた即効性の毒も含まれている。

信じられない。その事実に気づくと、指先が微かに震えだした。彼女、またやろうとしている。まさに、今、この瞬間に。

静かな、それでいてすべてを焼き尽くすような怒りが、腹の底からせり上がってくる。この小娘は、私を二度も破滅させられると、本気で思っているのだ。

「おはよう、佳織お姉ちゃん」彼女は作り物の甘ったるい声で言った。「今日は早いのね。電解質ドリンク、作っておいたわよ」

私はゆっくりと歩み寄り、彼女が慌てて背中の後ろにスポイトを隠そうとするのを、冷ややかに見つめた。

「真理」静まり返った更衣室に、私の声が響く。「それが何なのか、説明してくれる?」

彼女は数回まばたきをし、必死に無垢な瞳を演じようとしている。「な、何のことかわからないわ、お姉ちゃん。ただ水分補給の手伝いをしようと――」

「手伝い?」私は彼女の言葉を遮った。その声は、自分でも驚くほど硬質だった。「何の? 毒でも盛るつもり?」

真理の手が震え、スポイトを固く握りしめている。「佳織お姉ちゃん、本当にただ電解質を……。栄養士さんがこの配合を勧めてくれて……」

いつもの手口だ。あの弱々しい口調、思いやりのある妹を演じるやり方。前の人生なら、私は彼女を信じただろう。疑ったことを謝罪し、完璧な被害者になっていたはずだ。

もう二度と、そうはならない。

私は、彼女が私のために用意したという『電解質ドリンク』のボトルをひったくった。あのスポイトで、あれほど慎重に混ぜ物をしていたボトルを。

ボトルの中では、無色透明の液体が無邪気に揺れている。

「そんなに体にいいものなら」私の声は、危険な囁きへと変わった。「あなたが先に飲みなさい」

真理の目が恐怖で見開かれた。「え? お姉ちゃん、私は別に――」

「飲め」

私は彼女のポニーテールを鷲掴みにして顔を引き起こさせる。真理が小さく悲鳴を上げた。

「全部よ。最後の一滴まで、残さずに」

「お願い、お姉ちゃん、気分が悪い……」彼女の声はかすれ、今度は涙が効くかどうか計算しているのが見て取れた。

私は彼女の顔が数センチの距離になるまで身をかがめた。「気分が悪い? あんたはまだ本当の『気分が悪い』ってものを知らないわね、真理ちゃん」

これ以上哀れな言い訳を待つことなく、私は彼女の顎を掴み、ボトルの口を唇の間に無理やりこじ入れた。真理は私の手首を必死に掻きむしるが、私はさらに強く押し付け、液体が彼女の口に溢れるまでボトルを傾ける。

「飲み込むか、溺れるか、選びなさい」私は歯の間から囁いた。

彼女はむせび、ごぼごぼと音を立て、液体が顎を伝って流れたが、私は手を離さなかった。無理やり飲み込まされる彼女の喉が、必死に上下するのが感じられる。

「最後の一滴まで、全部」

ボトルが空になった時、私はようやく彼女を解放した。真理は膝から崩れ落ち、床に手をついて激しくあえいでいる。

数分もしないうちに、彼女は体を二つ折りにし、床に激しく嘔吐した。全身がびくびくと痙攣し、口からは胆汁やら何やらが糸を引いている。綺麗に結われていたポニーテールは、今や汗と吐瀉物で見るも無残に汚れていた。

「なんてこと……」

「一体、何が起こったの?」

「彼女、大丈夫?」

「誰か呼んだ方がいいんじゃ……」

しかし、誰も彼女を助けようと動かない。ただ、凍り付いたようにその場に立ち尽くしているだけだった。

私は身悶えする真理の隣にしゃがみ込む。

「どんな気分?」私は彼女にだけ聞こえるように囁いた。「これが、あんたが私にしようとしたことよ」

真理は弱々しく呻くことしかできず、その顔は青白く、脂汗でぬらぬらと光っていた。

私は一歩下がり、彼女が苦しむ様を冷然と眺めた。背筋を駆け上る、ぞくぞくするような歓喜。

最高だ。毒を盛られたネズミのように床で痙攣する彼女を見つめる。

そしてこれは、ほんの始まりに過ぎない。

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