第5章
あの時、真理の瞳が宣戦布告をしてから二週間。そして彼女は、その約束をきっちりと果たしてくれた。
日本体操協会本部の、無機質な会議室に足を踏み入れたとき、そこはまるで墓場のような静けさに包まれていた。真理は松葉杖をついているかもしれないが、その裏では随分と忙しく立ち回っていたらしい。
「山田佳織くん」連盟会長が、偽りの同情を声に滲ませながら口火を切った。「君には少し、チームから離れてもらうのが最善だと、我々は判断した」
『少し離れる時間、ね』
聞こえはいいが、要するに追放宣告だ。
私は、真理が繰り広げる見事なまでの人心掌握術を、ただ黙って見ているしかなかった。哀れな怪我を負った悲劇のヒロイン。涙ながらに、自分が耐えてきたという〝劣悪なチーム環境〟を訴える姿。リハビリの様子をSNSに投稿し、私が彼女の夢を打ち砕いた極悪非道な悪役であるかのように、巧妙に世論を誘導していく。
彼女は完璧な被害者を演じきり、世間はその嘘を一つ残らず鵜呑みにした。
「チームの和を考慮してのことだ」と会長は続けた。「この休養期間は、全員にとって有益だと信じている」
私は彼をじっと見つめ、組んだ手の上で、無表情を貫いた。懇願も、涙もない。ただ、氷のように冷たい受容があるだけだ。
「期間は」
「無期限だ」
前の人生なら、この一言で私は打ち砕かれていただろう。だが今回は、その言葉が私をより鋭く、より硬く研ぎ澄ますだけだった。
「承知いたしました」私はゆっくりと立ち上がりながら言った。私たちの間に横たわる沈黙は、まるで引き金に指のかかった銃のように、張り詰めていた。
私はもう一言も発さずに部屋を出た。連中には、自分たちが下した決定の重さを、じっくりと噛み締めさせてやればいい。
その日の午後の、父による記者会見がとどめの一撃だった。私は山田体操学院の向かいに停めた車の中で、ハイエナのように階段に群がる記者たちを、ただ眺めていた。
真理は、この状況を完璧に演出していた。松葉杖をついていようと、彼女はまだ裏で糸を引いていたのだ。
「山田真理こそが、山田学院の真の精神を体現しています」駐車場まで響いてくる父の張りのある声。「彼女こそが、我々の未来です」
『我々の未来』。私じゃない。十五年間、このマットの上で血と汗と涙を流し、足が頭につくほど背骨を反らせ、重力に逆らうようこの体を鍛え上げてきた私じゃない。ここに来て二年足らず、今はお粗末な膝のリハビリ中の真理が、未来だというのか。
敦は、忠実な犬のように父の隣で頷いていた。私の実の兄が、山田家の歴史から私を消し去る手伝いをしている。
私はスマートフォンの録画ボタンを押した。後々のための、確固たる証拠だ。
「山田佳織さんについては、どうお考えですか!」と、ある記者が叫んだ。
父の表情が、能面のように硬くなる。
「山田学院は、誠実さとスポーツマンシップを重んじます。それらの価値観を持たない者に、ここに居場所はありません」
完全な追放宣言。私は公式に、彼らにとって死んだ人間になった。
『私を、消す?』
学院のドアを開ける敦を見ながら、心に誓う。結構よ。でも、あんたたちが想像もつかないような存在になって、必ず戻ってきてやる。
私はエンジンをかけた。完全に姿を消す時が来たのだ。
二日後、私はダッフルバッグ一つと、前の人生で記憶しておいた連絡先の番号だけを頼りに、京都行きの飛行機に乗っていた。
その私設トレーニング施設は、外から見ればただの古びた倉庫だったが、中は聖域だった。中世の拷問器具を思わせる無骨な器具が、隅々まで埋め尽くしている。ありえない高さに調節可能な平行棒、クレジットカードほどの幅しかない平均台、そして、人間を衛星軌道に打ち上げられそうなほどの反発力を持つ跳馬。
白石大輔がフロアの中央に立っていた。その白髪が、むき出しの照明を反射して光る。幾人もの日本のチャンピオンたちを鍛え上げてきた、伝説のコーチだ。
一本の電話で、彼は私に会うことを承諾してくれた。
「それで」ねっとりとした京訛りで彼は言った。その黒い瞳が、私を解剖するように見つめる。「君が、自分のチームを潰した山田の娘か」
「私が、これからもっと多くのものを破壊する山田の娘です」
彼の笑みは、ここ数週間で私が見た初めての本物の感情だった。
「ここではな、アスリートは育てん。兵器を鍛えるんや。君は、兵器になる覚悟があるか?」
私は、使い方を間違えれば骨を砕くであろう器具と、壊れた少女たちを伝説に変えてきた男を見渡した。
「敵を破壊するためなら、何にでもなる覚悟があります」
白石の目に、尊敬ともとれる光が宿った。
「よろしい。今すぐ始める」
最初のひと月で、本気で死ぬかと思った。白石のやり方は、これまでの指導法がお遊戯に見えるほど過酷だった。関節を自然な可動域を超えて押し広げる柔軟を六時間、神経系を再配線するコンディショニングを三時間、そして脳を根底から作り変えるためのメンタルトレーニング。
「もう一度や!」
私が百回目のフォームピットへの墜落を果たしたとき、彼が叫んだ。私の体は、今まさに、未だかつてどの女子選手も成功させたことのない大技に挑んでいた。助走路を駆け抜け、スプリングボードから跳躍し、後方宙返りしながら三回の完全なひねりを加える『チュソビチナ』だ。
破れたプロテクターから血が滲み、両肩は火がついたように熱い。それでも私は、スポンジの海から這い上がった。
「私は誰にも止められない存在になる!」腕にチョークの粉をまぶしながら、私は咆哮した。「あいつらに、私を裏切った日を後悔させてやる!」
白石は満足そうに頷いた。「ようやく理解したか。痛みが、君の友や。怒りが、君の燃料や」
二ヶ月目に入る頃には、何かが根本的に変わっていた。私の体は、かつてないほどの精度で動くようになっていた。脳からの指令に、一つ一つの筋繊維が即座に反応する。最も複雑な回転の最中でも、空間における自分の位置を正確に感じ取ることができ、内耳はまるでジャイロスコープのように完璧に調整されていた。東京から逃げ出したあの壊れた少女は、もう死んだのだ。
そして、その代わりに、もっと恐ろしい何かが生まれつつあった。
だが、肉体的な変貌だけでは不十分だった。弾薬が必要だ。
街の薄汚いインターネットカフェで、私は戦争の準備を整えた。雇った私立探偵――スポーツ界の腐敗を暴くことを専門とする、元警視庁の捜査官――との、暗号化されたメールのやり取り。
彼の最新の報告書は、暗闇の中で私を微笑ませた。
『被害者三名、医療記録の証拠あり、会話の録音あり。これで奴を破滅させられる』
田中隆の罪が、ついに明るみに出ようとしていた。彼の指導下で暴行を受けた、三人の未成年の体操選手。その全員が、時が来たときに奴を社会的に抹殺するための証拠を揃えていた。
真理のファイルも、同様に致命的なものだった。器具への妨害工作を捉えた監視カメラの映像、濡れ衣を着せたことを自ら認める音声記録、そして彼女の策略を裏付ける銀行の取引記録。
私のスマートフォンが、暗号化されたメッセージで震えた。
『野原美咲だ。何があったか聞いた。必要なものを教えて。そろそろあのクソ女に誰かが立ち向かうべき時だ』
野原美咲。かつてのチームメイトで、あの劣悪な地獄にいた唯一の本当の友人。まだ中にいて、まだ監視し、まだ忠実でいてくれる。
私は返信を打ち込んだ。『私の目と耳になって。すべてを記録して。審判の時は近い』
野原が情報を集めている間、私は自分が誰にも触れられない存在になることに集中した。
三ヶ月後、私は白石のジムのフロアの中央に立っていた。私の体は、ありえないほどの力で満ち満ちていた。私が完成させてきたあの技――爆発的な助走から後方への跳躍、そして空中での三回の完全な回転へと繋がる一連の動き――は、今や呼吸をするように私の中から流れ出ていた。
私は全速力で助走路を駆け、完璧なリズムで青い床を蹴った。スプリングボードが私を天空へと射出し、私は体をコルク抜きのように捻る。一度、二度、三度の完全な螺旋を描き、そして着地マットに、微動だにせず両足を突き刺した。
「四十年間コーチをしてきたが、君のような選手は見たことがない」白石の声は、畏怖に満ちていた。「君はもう、人間やないな」
私は背筋を伸ばした。そのありえない技をこなしたにもかかわらず、息はほとんど上がっていない。
「結構です。人間は傷つきます。私はもう二度と、誰にも傷つけられることを拒否します」
私のゆか運動の演技は、ついに完璧なものとなった。物理法則を無視するような動きを連鎖させた、四つのタンブリングパス。後方二回宙返り二回ひねりから、着地と同時に前方三回ひねりへと移行する、もはや人間の所業とは思えない構成。
どの審判も、私から金メダルを奪うことができないほど、全ての技が圧倒的な難度で設計されていた。
私はもう、裏切られ、追放された山田佳織ではない。
私は、新しい何か。危険な何かだった。
『古い私を破壊したことで、自分たちが何を生み出したのか、あいつらに見せてやる』
そろそろ、予告編を見せてやる時間だ。
寮の自室に戻り、私は落ち着いた手つきでカメラを設置した。このビデオが、私の宣戦布告となるだろう。
「こんにちは、真理。会いたかった? そうでしょうね」
私は、集めた証拠の一つ一つが収められた分厚いフォルダを掲げて見せた。
「あなたが何をしたか、私は知っているわ。全部よ。あなたの汚い秘密、一つ残らずね」
カメラは私の冷たい笑みと、獲物を狙う捕食者のような眼光を捉えていた。
「六ヶ月。それが、あなたが盗んだ人生を楽しむために残された、最後の時間よ」
私はビデオを追跡不可能なサーバーにアップロードし、送信ボタンを押した。
数時間もしないうちに、野原からの暗号化されたメッセージが私のスマートフォンを照らした。
『佳織のビデオ、あいつ受け取ったよ。めちゃくちゃパニクってる。すぐに田中に電話してた』
完璧だ。パニックにさせてやればいい。恐怖にうろたえさせてやればいい。
私は、故郷に帰る準備ができていた。






