第70章 彼から少し離れてくれ

 ほどなくして、私たちはひとつの温泉へ着いた。岩組みの庭があちこちに配され、木立に囲まれた空間はひっそりと落ち着いている。どこからか楽しげな笑い声が波みたいに聞こえてくるのに、不思議なくらい人の気配は近くにない。静かで、それでいて閉ざされすぎてもいない。そういう場所だった。

 瀬川雫は私のすぐそばをぴたりと歩きながら、物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回していた。

 私は浴衣を一式手に取って、彼女へ差し出す。

「雫姉さんの好みかどうかわからないけど、ひとまず着てみて。もし気に入らなかったら、その時はまた別のを買えばいいし」

「いいえ、これで十分よ」

 そう言って、瀬川雫は浴衣を抱え...

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