第52章

「――暇ない」

安野香苗は氷みたいに冷えた声で、たった二文字を吐き捨てた。受話器の向こうの安野弘人の癇癪が、また跳ね上がる気配がする。

だが、隣で安野月子が目配せしたのを見て、弘人はどうにか怒りを呑み込んだ。

「お前、何をそんなに忙しいんだ。江原司より忙しいってのか? たった三十分でいいんだ」

「三十分も無理。毎日仕事で、死ぬほど忙しいの。暇ない」

香苗は二度目も迷いなく突き放す。

「会社の株、2%を私にくれるって言うなら考える。じゃなきゃ話にならない。それにさ――あなたの言葉って、昔から息するみたいに嘘ばっか。信じろってほうが無理」

弘人が言い返す隙すら与えず、香苗は畳みかけ...

ログインして続きを読む