第2章

佐藤隆一の夢を見た。

夢の中で、私と彼は大学時代に戻っていた。美術部の薄暗いアトリエ。彼は、私が描き上げたばかりのデザイン画を覗き込み、その瞳には、かつて私が恋焦がれた「感心」の色が宿っていた。

「桜、君のデザインは君の瞳みたいだね。静かなのに、力強い……」

彼の指先が、そっと私の頬に触れる。その声は、春のそよ風のように優しかった。

当時の私には、それがどれほど取るに足らない、心のこもっていない賛辞であるか、知る由もなかった。

夢は唐突に切り替わり、私は自宅のテレビの前に立っていた。

『台風被害による山間部での洪水救助活動を現場から生中継』

画面下部に表示された赤いテロップが、私の目を刺した。テレビ局のベテラン記者である父と母が、山間部の堤防に立ってリポートしている。

「現在も水位は上昇を続けており、現地の住民は……」

父の声が、ごう、という地鳴りのような轟音によって遮られた。

カメラが激しく揺れ、悲鳴が響き渡る。父が母の手を掴もうとするのが見えたが、濁流が一瞬にして二人を飲み込んだ。全国の何百万人もの視聴者の前で画面は暗転し、スタジオの狼狽したアナウンサーの顔に切り替わった。

叫びたかった。しかし、声は一瞬にして喉に錠をかけられ、刃物で声帯を切り裂かれたかのように、ぴくりとも動かなかった。

その日から、私は「変わり者」になった。

選択性緘黙症、と医師は診断した。

完全にリラックスした、プレッシャーのない環境でしか、私は声を発せなくなった。

そんな私を救ってくれたのが、佐藤隆一だった。私は、そう信じていた。

彼は、私が安全な環境で話す練習に付き合ってくれ、完全にストレスのない空間を作ってくれた。

社交の場で、誰かが奇異の目で私を見ると、彼は私の前に立ちはだかり、庇うように説明してくれた。

「彼女は、少し緊張しているだけなんです」

卒業後、私達は東京で最も豪華な結婚式の一つを挙げた。

メディアは私達を、純粋な愛を体現する救済のカップルだと報じた。

桜の木の下でキスを交わし、笑い声と祝福の声に包まれた、あの日。

そして、目が覚めた。

夢の中の温もりは、冷たくがらんとした豪華マンションの空気に取って代わられていた。

窓の外には東京の鉄の森が広がり、高層ビルの隙間からは、星一つ見えない。

スマートフォンの画面が灯り、一通の匿名メールが届いていた。

メールに添付された写真には、佐藤隆一が若い女性タレントを抱きしめ、どこかのホテルのエレベーターでキスをしている姿が写っていた。写真は巧妙な角度から撮られており、盗撮のようだった。

その女性タレントに見覚えがあった。最近、テレビドラマで少し名が売れてきた子だ。

私より若く、私より綺麗で、私より、おしゃべりだ。

呼吸が苦しくなり、洗面所に駆け込んで便器に向かってえずいた。

涙は出ない。ただ、窒息するような空虚感だけがあった。

これが初めてではなかった。

佐藤隆一の愛人リストは、東京の地下鉄路線図のように複雑で、私は彼の社交上の経歴を飾る、ただのアクセサリーに過ぎなかった。

不意にスマートフォンが光り、「無声の友」アプリの通知が表示された。〝Inari〟からのメッセージだった。

『今日は大丈夫? 少し考えてみたんだけど、よかったら京都旅行、数日早めて来てみないかな。もし順応できそうならそのままいればいいし、無理そうならまた新しい街を探すのを手伝うよ』

Inari。私は、女性編集者だと思い込んでいたアプリ上の友人だ。私達は、言語障害を持つ患者のために設計されたこの相互扶助アプリで知り合い、もう二年になる。

私はずっと、手描きの絵や文章で生活を共有し、この「女性編集者」が緘黙症患者の内面世界を理解する手助けをしてきた。

〝Inari〟が男性だと知ったのは、二ヶ月前のビデオ通話でのことだった。

竹屋尊史、三十八歳。「寂静書房」という名の独立系出版社の創業者で、心理セラピー系の書籍を専門に出版している男性だった。

裏切られた、と感じた。

彼は、「Inari」は彼の姉——竹屋いなりを偲ぶための名前なのだと説明した。彼女はかつて有名な女性アナウンサーだったが、十年前に生放送中に突然失語し、メディアとネットの狂気的な攻撃に晒された末、海に身を投げて自ら命を絶ったという。

彼の苦しみは理解できたが、それでも私は意図的に距離を置いた。

この一ヶ月、私は一切のメッセージに返事をしなかった。

先週、佐藤家の軽井沢の別荘で、あの悪夢のような家族晩餐会が開かれるまでは。

「皆様、妻の桜です」

佐藤隆一は、取引先の重役達に私を紹介した。その声にはどこか期待の色が滲んでいた。

「彼女は少々特別でして、プレッシャーがかかると話せなくなってしまうのです」

私はそこに、まるで展示品のように立っていた。

「以前はデザイナーだったと伺いましたが?」

と、ある老紳士が私に尋ねた。

私は頷いた。喉が締め付けられるようにきつかった。

「残念なことに」

佐藤隆一はため息をついた。

「ですが、彼女を特殊な治療に通わせることも検討中です」

その夜、私は別荘の小さな書斎に隠れ、竹屋に手書きのメモの写真を送った。

『私、この家を失くしてしまうかもしれない』

彼からの返信はこうだった。

『京都には僕の書店と空き部屋がある。いつでもおいで』

私は返事をしなかった。その晩、廊下で佐藤隆一と友人達の会話を聞いてしまったのだ。

「あんな欠陥のある女と一緒にいて疲れないのか?」

と、誰かが尋ねた。

佐藤隆一は笑った。

「あいつが死ぬまで口を利けなくなったとしても、佐藤家の面目を保つ完璧な人形だよ。ああいう女は始末に困らなくていい」

今、スマートフォンの画面に映るInariからの優しい言葉を前に、私は返信を打ち込んだ。

『ええ、ちょうど京都の桜が見たいと思っていたところです』

前のチャプター
次のチャプター