第92章

立花真淵が須藤郁夜を受け止めた、その瞬間。

彼の視線は彼女の肩越しにすり抜け、廊下の向こう――見慣れた黒い影を、寸分違わず捉えた。

新谷卿華が、曲がり角に立っていた。

抱き合う二人を見つめる瞳は、波ひとつ立たない淀んだ水面みたいに静かで。

そこにあるのは怒りでも、悲しみでもなく――ただの無。

立花真淵の心臓が、見えない手にぐっと握り潰された気がした。

……行くのか?

自分の夫が、別の女を抱いているのを目の前で見て。

それでも、近づいてきて平手のひとつも叩き込む気配すらない。

そんなに――俺に興味がないのか。

「真淵……」

腕の中の須藤郁夜が、彼の意識が逸れたことに気づく...

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