第8章 もうパパがいないなんてできない
「お父さんは興奮しすぎて急性脳出血を起こしましたが、幸い迅速な救急処置で命の危険は脱しました」
ほっとしかけた私の心を、医師の次の言葉がまた喉元まで引き上げた。
「ただ、お父さんの心臓の弁に欠損が見つかりました。手術が必要ですが、リスクはかなり高いです」
「もし手術をしなければ...」
「手術をしなければ、お父さんの余命は三年もないでしょう」
何か重いものに打ちのめされたような感覚。目の前が真っ暗になり、そのまま気を失ってしまった。
意識を失う直前、村田隆のあの端正な顔が慌てた表情を浮かべているのが見えた気がした。
そんなはずないわ、きっと幻覚よね...
どれくらい時間が経ったのか、ゆっくりと目を開けると、ベッドに横たわっていて、腕には点滴が繋がれていた。
「安野さん、お目覚めですか」
金縁の眼鏡をかけた男性が、ずっと私のベッドの傍に座っていた。
辺りを見回しても村田隆の姿はない。自嘲気味に笑ってしまう。本当に考えが甘かったわ。彼はエリート中のエリート。私のために時間を割くなんて、どうして?
「安野さん、他に不快な症状はありませんか?私は村田社長の秘書、杉本健一と申します。何かありましたらおっしゃってください」
杉本健一は立ち上がり、その顔に浮かぶ心配そうな表情は作り物には見えなかった。
私は口を開いたが、声はかすれて聞き苦しかった。
「父は...どうですか」
「お父様は既に安定しており、VIP病室に移っています。村田社長が海外の権威ある医師と既に連絡を取り、来週には手術の手配ができます。ご安心ください」
私は少し躊躇した後、やっと頭が働き始めた。
「村田社長?村田隆さんのことですか?」
杉本健一は微笑みながら頷き、そして胸ポケットからルームカードを取り出して私の手に握らせた。
「安野さん、あなたは低血糖と強いショックで倒れただけで、大きな問題はありません」
「これは村田社長からお渡しするよう言付かったものです。また、『今夜8時、KSホテル601号室で、必ず』とのことです」
言い終えると、彼はそれ以上留まることなく立ち去った。
手の中のルームカードを見つめながら、複雑な思いが胸に去来した。
彼が何を意図しているのか、私にはわかっていた。村田隆は生まれながらのビジネスマン。見返りのない行為など決してしない。
私はもう母を失った。これ以上父まで失うわけにはいかない。彼の助けが必要なのだ。
点滴が終わると、父の様子を見に行った。専任の看護師がついていて安心できた。
それから霊安室に行き、息絶えた母の姿を見た。あんなに寒がりだった母が、こんな場所にいるなんて、きっと嫌に違いない。
「お母さん、もう少し待っていてね。私とお父さんで家に迎えに来るから」
その後、何とか家に帰ってシャワーを浴び、服を着替えた。
夜8時、私は時間通りにKSホテルに着いた。
タクシーを降りると、すぐに村田隆の秘書、杉本健一の姿が目に入った。
杉本健一は相変わらず礼儀正しく、私の緊張とは対照的に、まるで感情のないロボットのように、常に完璧な微笑みを浮かべていて、どこからも非の打ちどころがなかった。
エレベーターの中で、私は杉本健一に向かって思わず口を開いた。
「杉本さん、以前もこういうことをよくされるんですか?」
「どういうことでしょう?」
「その...村田さんのお相手を...連れてくるような...」
言った瞬間、自分の無礼さに気づき、自分の頬を叩きたい気持ちになった。
杉本健一は変わらず微笑んでいて、何の感情も読み取れなかった。
「私は村田社長の秘書です。社長が何を命じようと、それを実行するのが私の仕事です。結局のところ、給料をいただいているのですから」
私は頷いただけで、もう何も言えなかった。また不適切なことを言い出しそうで怖かった。
すぐにエレベーターは最上階に到着した。
杉本健一に案内されて進むと、驚いたことにこのフロアにはたった一つの部屋しかなかった!
「安野さん、村田社長がお待ちです」
私は頷き、杉本健一にお礼を言った後、バッグからルームカードを取り出した。
「ピッ!」
ドアが開き、私は不安な気持ちを抱えながら中に入った。





















































