第6章
沈村遥は朝から腹の中で段取りを組んでいた。この番組を利用して、陸原吉弘とはこれでもかと惚気てみせ、景お兄さんとは仲のいい兄妹っぷりを思い切り見せつける。そうやって安田歌子を徹底的に煽り、嫉妬で頭が沸騰するくらい追い込んで、つい不合理な行動を取らせる——その瞬間を生放送のカメラに映させて、全国の視聴者にあの女の本性を晒してやるのだ。
最後には、みんなから嫌われればいい。
そもそも自分が沈村家の「本物の令嬢」であることは外に公表されていない。兄たちも一度だって自分の存在を認めたことがない。だから……わざと初対面のふりをしても、兄たちは不自然だと思わない。
むしろ安田歌子の神経を容赦なく逆撫でできる。身のほどを思い知らせてやるのだ。たった一曲当たったくらいで、こっちと肩を並べられると思うな、と。
沈村遥は自分から安田歌子の隣に腰を下ろし、罪のない大きな目をぱちぱちさせて、やさしげに口を開いた。
「緊張しなくて大丈夫だよ。来てるのは業界でもそれなりの人たちばかりだけど、みんな話しやすい人たちだし。私も経験を活かして、ちゃんと助けてあげるから」
その言い方だけで、沈村遥の「善良で器の大きい子」という印象がきれいに立ち上がる。
「それじゃ、まず自己紹介してみたら?」と沈村遥が提案する。「視聴者の中には、まだあなたのこと知らない人も多いかもしれないし」
見かねた斉藤夢子がすっと近寄り、口を挟んだ。
「安田歌子よ。最近バズってる『自分で傘をさす』、あれ歌ってるのこの子。知らないの?」
「えっ、そうなの?」沈村遥は驚いたように口を丸くする。「あの曲、すごくいいよね」
表情は崩さないまま、胸の奥では斉藤夢子を罵っていた。余計なことを——本当にお節介。
沈村景も沈村遥の隣で安田歌子に視線を向けた。
「そんなに才能があるならさ。今日のテーマで、即興でひとつ披露してくれない? 視聴者も覚えやすいだろうし」
その言葉に、周囲の数人のゲストはひそかに顔を強ばらせた。
安田歌子の知名度は他より劣るかもしれないが、だからといってこの兄妹はやり方が露骨すぎる。安田歌子はサーカスのピエロじゃない。命じられたらすぐ芸をしろ、なんて扱いを受ける筋合いはない。
けれど沈村景は芸能界の先輩にあたる。先輩が口にした以上、断れば「空気が読めない」と叩かれる。やって失敗すれば、笑いものと黒歴史が残る。
どちらに転んでも安田歌子が損をする。
同情はあっても、誰も声を上げなかった。誰だって、この泥をかぶる役はごめんだ。
陸原吉弘は隣で、安田歌子を助ける言葉を探しかけた。だが最近のこいつは妙に反抗的だ。ここで少し痛い目を見れば、別れるだの何だの言い出すのも収まるかもしれない——そんな冷えた計算が頭をよぎる。
もしあんな刺々しい言葉を投げつけていなければ、陸原吉弘だって今ごろ面倒を片づけてやっていたのに。
安田歌子は静かに顔を上げ、わざと人を踏みにじるその兄妹を見据えた。唇の端が、薄く吊り上がる。
「沈村遥。私たち、何度も一緒に仕事してきたよね。今さら私を知らないふり? どうしたの……演技にハマりすぎて、リアリティ番組でも台本が必要になった?」
沈村遥は言葉を失った。こんな返しをされるとは思っていなかったのだ。
反応する間もなく、安田歌子は淡々と続ける。
「あなたが当てた曲、あれ全部、私が書いた。曲が売れて賞も取ったら、共同制作者には手のひら返し? さすがにひどいよ」
沈村遥の顔から血の気が引いた。
こんなこと、ここで言うなんて——!
それを出されたら、「才女シンガー」という自分の看板はどうなる。どうやって守ればいい。
沈村景も安田歌子の大胆さに一瞬息を呑んだが、遥より場数は踏んでいる。こんな小細工に対処する手はいくらでもある。
沈村景は嘲るように言った。
「最近の若いシンガーは、売れるためなら何でも言うんだな。あの曲がお前のだって言うなら、どうして自分で歌わなかった? 売れっ子になれるチャンスを、誰が捨てるんだよ」
「それにさっきの即興の提案は、お前に見せ場を作ってやろうと思ってのことだ。親切で言ってるのに、感謝もせずに遥ちゃんに泥を塗ろうとするなんて。こんなやつと一緒に番組を撮るくらいなら、俺は降りたくなるね」
沈村景は確信していた。安田歌子は口で騒ぐだけで、証拠なんて出せるはずがない。誰も信じるわけがないのだ。
経験の浅い端役が、公然とこちらに噛みつくなんて——自滅でしかない。
空気が一気に張りつめ、配信のコメント欄は熱を帯びる。視聴者数はぐんぐん跳ね上がった。
監督は、初っ端から数字が出たことに内心でガッツポーズを決めていた。
【安田歌子、頭おかしいの? 遥の曲が自分が書いたとか、視聴者をバカにしてんの?】
【遥が売れてるのが悔しいだけでしょ。濡れ衣やめて】
【一曲当たったくらいで、作詞作曲の天才気取り?】
弾幕は安田歌子への攻撃で埋まり、やがて【安田歌子は『完美假期』から降りろ】の文字が増えて画面を覆い尽くしていく。
監督の喉がひくりと鳴った。まさか番組開始早々、出演者交代なんてことになるのか。
監督は安田歌子に目線で合図を送る。謝って丸く収めろ、という圧だ。このまま反感が爆発したら、収録が成立しない。
だが安田歌子は、言った以上引く気がなかった。理由があるのだ。
「結論を急がないで」安田歌子の淡い視線が沈村景に落ちる。「証拠、あるから」
そう言うと、ポケットから録音機をゆっくり取り出した。そして平然とカメラの正面に向き直り、視聴者全員に告げる。
「沈村事務所から圧力をかけられて、無理やり迫られなかったら、私は曲を売ったりしなかった。この中身が、その証拠……」
沈村景の背筋に冷たいものが走った。
録音? いつの間に——!
もし本当に「あの曲が安田歌子の作品」だと暴かれれば、遥ちゃんの評判は致命的だ。会社が遥ちゃんに作り上げてきたのは、創作型の女性シンガーというイメージ。いちばん当たった曲が自作じゃないと知られた瞬間、遥ちゃんの未来は崩れ落ちる。
沈村景はカメラから視線を外し、安田歌子をぎらりと睨みつけた。余計なことを言うな——と、無言で脅す。
安田歌子はその目を受け止め、薄く微笑む。そしてためらいもなく再生ボタンを押した……
