第4章
眠っていなかった――眠れなかった。直樹の言葉が、壊れたレコードのように頭の中で反響していた。高橋悟は死んでいる。五年前に、とっくに。
目を閉じるたびに、矛盾した映像が頭の中でせめぎ合うのが見えた。
どの記憶が現実? どれが壊れた心の生み出した幻想?
金属が石を擦るかすかな音に、私は顔を上げた。梨乃が影のように鉄の扉をすり抜け、慣れた足取りで忍び込んできた。彼女は布包みと、朝の青白い光の中で古めかしく見える小さな木箱を抱えていた。
「起きてたのね」彼女は囁き、私の鎖が届かないギリギリの場所に腰を下ろした。その黒い瞳が、憐れみのようなものをたたえて私の顔を探った。「直樹から、悟のことを聞いたのね」
それは問いかけではなかった。
私は頷いた。
「彼、具体的に何を話したの?」
「悟は五年前に死んでいて、私は彼と結婚したと思い込んで、幻想の世界で生きてきたって。本当はずっと、直樹の妻だったのに」
梨乃は長いあいだ黙っていた。やがて、鋭く息を吐いた。「くそっ……。まだあなたに嘘を吐いてる」
心臓が止まった。「何……?」
「絵里」梨乃は慎重に言った。「昨日まで、自分の名前、何だと思ってた?」
「高橋絵里。悟と結婚して......」
「あなたの本当の名前は、田中絵里よ」
田中……?
梨乃は恭しい手つきで木箱を開けた。色褪せた絹布に包まれて、中には何十年も前のものに見える写真や小物が収められていた。彼女が取り出した一枚の写真――そこには、黒髪の小さな女の子の隣に立つ、一組の男女が写っていた。
「ご両親よ」彼女は優しく言った。「田中一郎さんと、奈央さん。あなたは黒川の人間じゃない、絵里。あなたは、彼らにとって最大の敵の、最後の生き残りなのよ」
私は写真を凝視した。すると、女の人の顔が、胸が痛むほど見覚えのあるものに思えた。黒い髪、優しい目元、そして、ずっと昔に鏡の中で見た誰かを思い出させる微笑み。
「そんなはずない」私は息を呑んだ。「直樹は、私が家族だって......」
「直樹の父親である黒川和也が、あなたが八歳のときに、ご両親を殺したの」梨乃の声は落ち着いていたが、その手は震えていた。「お父さんは、組から足を洗いたがってた。警察に行くと脅したのよ」
その言葉が、私の記憶の奥深くにある何かを呼び覚ました。突然、私は八歳の自分に戻っていた。重い樫の木のドアの後ろに隠れ、その隙間から、黒いスーツの男たちがリビングを埋め尽くすのを見ていた。
『お父さん、お願い』女の人の懇願する声が聞こえた。『娘がいるの。私たちは消えるから......』
『田中一家に消える権利などない』冷たい声が返した。『裏切りには、報いがある』
「思い出した」私は喘いだ。決壊したダムのように、映像が溢れ返ってきた。「血が。たくさんの血が。ママが、叫んでた……」
梨乃は険しい顔で頷いた。「和也は現場からあなたを拾った。周りには、慈悲で引き取った孤児だと説明して。でも本当は、あなたは戦利品だったの」
「でも、私は生き残った」増していく恐怖と共に、私は悟った。
「あなたは生き残った。でも、そのトラウマがあなたの中の何かを壊してしまったの。記憶を混同し始めて、自分にとって安全な現実を作り出すようになった」梨乃はもう一枚の写真を取り出した――黒髪で、優しい目をした十代の少年が写っている。「これが、高橋悟。彼は実在したのよ、絵里」
息が詰まった。「実在した……?」
「ええ、実在した。そして、心からあなたを助けようとしてくれた。あなたが十八歳になったとき、彼はあなたの正体に気づいたの。彼はあなたを黒川家から逃がし、あなたの一族の遺産を取り戻す手助けをしたがっていた」
記憶が雪崩のように、もう止めどなく押し寄せてきた。教会庭園で悟が私を見つけ、自由について切迫した言葉を囁いたこと。真夜中に会う計画を立てたこと。悪夢の話をしたときの、彼の瞳に燃えていた正義の怒り。
「でも、直樹が気づいた」私は言った。真実が、血管の中で氷のように結晶化していく。
梨乃の表情が曇った。「直樹は子供の頃からあなたに執着していた。あなたを失うなんて考え、耐えられなかったのよ」
「だから、彼を殺した」言葉は感情なく、平坦に口から出た。
「屋敷の裏にあるオリーブ園で。あなたに見せつけながら」梨乃の声は優しかったが、その言葉は弾丸のように突き刺さった。「あなたはその後、完全に精神が壊れてしまった。そして、本当に悟と結婚したんだと信じ込むようになったの」
私は呟いた。「その間ずっと、私は直樹の囚人だった」
「厳密には、彼の妻ね。由美子はあなたの実の娘だけど、あなたが発作を起こして、直樹を悟だと思い込んでいたときに身ごもった子よ」
その陵辱に、胃から酸っぱいものがこみ上げてきた。これまでの年月、直樹が私の壊れた心を利用している間、私はずっと妄想の中に囚われていたのだ。
「どうして今、そんなことを話すの?」。
梨乃はドアの方に目をやり、足音を警戒した。「直樹が、あなたと由美子をプライベートジェットに乗せるからよ。拠点を南国に移すの。三角島を出てしまったら、二度とチャンスはなくなる」
「何のチャンス?」
「逃げるための。あなたの家族の正義を取り戻すための」梨乃の瞳は決意に燃えていた。「彼があなたから奪ったものの代償を、支払わせるための」
胸の奥で、暗く、力強い何かが広がるのを感じた。逃亡への希望ではない、それよりもずっと危険な何か。
「私は逃げない」私は静かに言った。
梨乃は瞬きした。「何ですって?」
「逃げないと言ったの」言葉は花崗岩のように硬く響いた。「父は真実を暴こうとして死んだ。悟さんは私を助けようとして死んだ。私は田中家の血を引いている。復讐は、私の生まれ持った権利よ」
梨乃は、まるで私に牙が生えたかのように凝視した。「絵里、まさか......」
「彼には弱点が一つある」私は昨夜の直樹の瞳に宿った痛みを思い出し、遮った。「彼は私を愛している。少なくとも、そう思っている」
「だからこそ、彼はもっと危険なのよ」
「いいえ。だからこそ、彼は隙だらけになる」
梨乃は長い間黙っていた。それから彼女は包みの中に手を入れ、朝の光にきらめく何かを取り出した。小さなナイフ。その刃は、液体の水銀のように鋭かった。
「もし本気なら」彼女はそう言って、私の食事の椀に入ったパンの下にその武器を隠した。
階上のどこかから、由美子の笑い声が石壁を伝って聞こえてきた。甘く、無邪気で、自分が怪物とその犠牲者の娘であることなど全く知らない声。
その音は、物理的な打撃のように私を襲った。もし復讐を成し遂げれば、私は自分の子供を孤児にしてしまうことになる。
「梨乃」私は囁いた。「由美子は、彼を愛している」
「わかってる」梨乃の声は同情に満ちて、柔らかかった。「それが、あなたが下さなければならない選択よ、絵里。あなたの家族のための正義か、それとも無垢な子供を真実から守ることか」
「どちらに決めるにせよ、早く決めて。もう二度とチャンスはないわ」
私はパンを手に取り、その下に隠されたナイフの冷たい金属を感じた。娘の笑い声が、再び階上から響いてきた。純粋で、喜びに満ちて、信頼しきった声。
黒川和也は私の両親を殺した。私が愛した男を殺した。私の人生から何年もの歳月を奪った。
だが彼は、由美子が知る唯一の父親でもあった。
私は目を閉じ、選択を下した。








