第3章

「先週もそうおっしゃいましたよね」

 私はわざと泣きそうな声を出した。 彼が私のベランダに降り立った。

「わかった、わかったよ! うるさいな! 金曜に払う! 切るぞ!」

 店長は不機嫌そうに電話を切った。

 カッ——。

 乾いた軽い音。

 彼がベランダのガラス戸を開けたのだ。

 あの鍵は壊れていて、何度も大家に修理を頼んだのに、一向に直してもらえなかったものだ。

 さらに濃厚な、吐き気を催す血の臭いが、風に乗ってベランダから流れ込んできた。

 私はスマホを下ろし、大きなため息をついた。

「はあ、ついてないなあ……またお漬物だけか。仕事変えようかな。でも、盲人を雇ってくれるところなんて少ないし」

 彼が入ってきた。

 私のリビングに。

 私の背中はベランダの方を向いている。冷たい視線が、毒蛇のように背筋を這い上がってくるのを感じる。

 彼はすぐに襲いかかってはこなかった。

 歩いている。

 足音は信じられないほど軽く、猫科の動物が肉球で着地するようだ。盲人として研ぎ澄まされた聴覚がなければ、絶対に気づかなかっただろう。

 一歩、二歩。

 ソファに近づいている。私に近づいている。

 今この瞬間、私はまな板の上の鯉だ。包丁を提げた料理人が私の背後に立ち、頭から落とすか尾から刻むか思案している。

 恐怖が極限に達し、逆に奇妙な冷静さが生まれた。

 私はテーブルの上のスマホを手に取った。

「支出を計算しなきゃ……あとどれくらい保つかな。今月の光熱費が三千円……家賃が五万円……」

 スマホの音声読み上げ電卓機能を起動する。

 足音が止まった。

 彼が座ったようだ。

 視線を感じる。探照灯のように私の顔、手、あらゆる動作を舐め回している。

 観察しているのだ。

 総毛立つような感覚。

 なぜ座った? なぜ私を見ている?

 ソファのすぐ後ろ、私の後頭部から一メートルも離れていない場所で。

 彼が息を殺している音さえ聞こえる。

 振り向いてはいけない。

 私は電卓を叩き続ける。

「あと食費……二万円引いて……」

「イコール……」

 私の声には貧困への焦燥が滲んでいた。生活に押し潰されそうな、底辺の盲目の女そのものだ。

「やっぱり足りない」

 私は独り言を漏らした。

「白杖の石突きも、そろそろ交換しなきゃいけないのに……」

 私は立ち上がり、手探りで玄関へと向かった。

 そこには靴箱があり、白杖の予備の石突きが入っている。

 しゃがみ込んで部品を探し出した後、私は再び白杖を探る仕草をした。

 白杖は、一番右側に立てかけてあるはず……。

 私の指が、冷たい金属の棒に触れた。

 違う!

 心臓が跳ね上がる。

 さっき帰ってきた時、私は白杖を靴箱の横ではなく、ドアの前に置いたはずだ!

 彼だ。

 彼がさっき、私が手に取りやすい位置に白杖を移動させたのだ。

 なぜ?

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