第86章

周防岩人は水の入ったコップをローテーブルに置いたまま、口をつけなかった。

鈴村千雪は彼を見つめ、視線がわずかに揺れる。指先が無意識にきゅっと力んだ。『わざわざあなたのために注いだのに、どうして飲まないの?』

『喉渇いてねえ』周防岩人はソファにもたれ、脚を組む。『さっきまで酒をけっこう飲んだろ。腹ん中、水でちゃぷちゃぷだ。これ以上飲んだら吐く』

鈴村千雪は笑ってみせた。けれど口元の弧はどこか引きつっている。

彼女はソファのそばへ行き、川崎佑哉の隣に腰を下ろすと、毛布の端をそっと整えた。

動きは丁寧で、眼差しは水みたいにやわらかい。いかにも気遣いのできる妻――そんなふうに見える。

周...

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