第3章
葬儀から三日後、私はついにあの豪邸を出た。
葬儀場を出たその日、私は財産分与を求めた。悟は冷たく鼻で笑い、「あの頃、自分から擦り寄ってきたお前に、俺の財産をもらう資格があるとでも? 寝言は寝て言え」と言い放った。
弁護士は事務的な態度で書類を差し出し、「財産はすべて放棄。持ち出せるのは身の回りの品のみです」と告げた。
今、このみすぼらしいアパートの腐りかけた床板が、足元で甲高くきしむ。段ボール箱が三つ。それがあの豪邸から私が運び出せた、すべてのものだった。
「ゴホッ、ゴホッ……」また激しい咳の発作が襲う。口元を固く押さえたティッシュには、再び鮮血が滲んだ。私は震える指で血の付いたそれをゴミ箱に押し込み、何事もなかったかのように振る舞った。
外でクラクションが鳴り響く。思わず窓に目をやると、歩道で抱き合う若いカップルが見えた。男性が、風に乱れた恋人の髪を優しく撫でている。
悟が、私にあんなことをしてくれたことは一度もなかった……。
そんな考えが頭をよぎり、私は苦笑して首を振った。一つ目の箱を開けると、希美の画集や写真が出てきた。一番上にあったのは、私たち唯一の家族写真。希美の誕生日に撮ったもので、七歳だった娘は無邪気な喜びではちきれんばかりの笑顔なのに、悟はカメラに視線も向けず、その表情は赤の他人のように冷え切っていた。
「お母さん、どうしてお父さんは私たちのこと、愛してくれないの?」最後に娘にそう問われた時、その透き通った瞳は戸惑いと痛みに揺れていた。
もう、こらえきれなかった。決壊したダムのように涙が溢れ出す。希美の写真を胸に抱きしめると、激しい感情の波に体が震えた。同時に、肺を刺すような痛みと血の混じった咳の波が、私に残された時間はもう僅かだと告げていた。
感情の奔流を遮るように、突然携帯電話が鳴った。
「中村さん、もう一ヶ月、経過観察にいらしていません。病状に変化があるかもしれませんので、すぐに病院へ来てください」。看護師の声には、切実な心配の色が滲んでいた。
一時間後、私はA市総合病院の診察室にいた。
斉藤先生は新しい検査結果に目を落とし、以前よりも重い口調で告げた。「予想以上に進行が速い。残された時間は、もって一、二ヶ月でしょう。今すぐ治療を開始すれば、延命を試みることもできますが……」
医者は何かを話し続けていたが、私の耳にはもう何も入ってこなかった。
延命? それに何の意味があるというのか。
「いえ、結構です。残された時間は、静かに過ごします」。自分でも驚くほど、声は穏やかだった。
「中村さん、まだお若いじゃないですか。ご家族だって、きっと……」
私は医者の言葉を遮った。「もう私に家族はいません。娘は死に、夫……元夫は、他の女性と新しい人生を始めようとしています。治療は苦しみを長引かせるだけです」
医者は何かを言いかけて、結局そのまま口を閉ざした。
病院を出ると、コンビニに並ぶ週刊誌の、躍るような見出しが目に飛び込んできた。『大物実業家東山悟、初恋の相手松本桃子と婚約――贈られたのは数億円のダイヤ』
写真の中で、悟は笑顔で跪き、桃子の指に指輪をはめている。その輝くような桃子の笑顔は、まるで……かつて私が浮かべることを夢見ていた表情、そのものだった。
娘の葬儀から、たった三日。それで彼は、婚約した。
乾いた笑いが込み上げてきた。体ごと震わせるような、引きつった笑い。途切れた真珠の首飾りのように涙が頬を伝う中、私は笑い続けた。たった三日。私と娘が生きた八年間は、たった三日で消し去られてしまったのだ。
私はその街角に、足の力が抜けるまで長いこと立ち尽くしていた。疲れ切った体を引きずるようにアパートへ戻り、荷物の整理を再開する。二つ目の箱を開けると、中には母中村未来の遺品――医学雑誌、黄ばんだ写真、そして一冊の茶色い革の日記帳が入っていた。
日記帳を開くと、母の流麗な筆跡がページを埋めていた。
「一九九五年三月十五日。
浩太郎さんの手術は成功した。エイズ患者だって、同じ一人の患者だ。私の務めは、人を癒し、命を救うこと。彼の瞳に宿った感謝の光が、この世界にはまだ希望があると信じさせてくれる」
「一九九五年五月二日。
事故はいつも、あまりに突然やってくる。浩太郎さんの経過観察中、メスで誤って自分の手を切ってしまった。まだ検査結果は出ていないけれど、予感だけは、もうある」
「一九九五年六月十日。
HIV陽性が確定した。浩太郎さんはその知らせを聞いて、すべて自分のせいだと崩れ落ちそうになっていた。でも、私は彼を救ったことを後悔していない」
その後、東山浩太郎は罪悪感と責任感から、母と私を東山家の豪邸に住まわせ、面倒を見たいと言い張った。
初めてあの豪邸に足を踏み入れた時の衝撃は、今でも覚えている。「玲奈ちゃん、ここが君の家だよ」と浩太郎さんが温かく言ってくれた。彼は私たちを本当に家族として扱い、決して居候だとは感じさせなかった。母が亡くなった後、彼は私をさらに気遣い、最高の医大に通わせ、夢を追うことを応援してくれた。
その豪邸で、私は悟に初めて会った。彼はシンプルな白いTシャツを着て階段を下りてくるところだった。ガラス窓から差し込む陽光が、彼を天使のように照らし出していた。
「君が玲奈ちゃんだね」彼は温かい笑顔で近づいてきて言った。「お帰り」
その瞬間、私の心臓は高鳴った。
悟は私にとても優しく、まるで守ってくれるお兄さんのようだった。その後、私たちは同じ医大に進学した。彼はいつも図書館で私を待ち、一緒に家へ帰り、私が病気の時には温かい水を持ってきては一晩中付き添ってくれた。彼はちょうど恋人の桃子に捨てられたばかりだった。彼女は海外留学の機会のために、彼のもとを去ったのだ。悟は長い間、失意の底にいた。
私はその最も暗い日々を彼と共に過ごし、夜遅くまで桃子への思慕と恨み言を聞き続けた。次第に、彼が私に向ける視線が、兄のような愛情から何か別のものへと変わっていくのに気づいた。そして私の心も、いつの間にか彼に奪われてしまっていた。
「玲奈、俺は君と一生を共にしたい」
「私もよ、悟」
だが、すべてはあの夜に変わってしまった。
卒業祝いのパーティーで、誰もが酒を飲み、祝っていた。悟はひどく酔っ払い、自分の父のこと、家のプレッシャー、そして自分の人生を自由に選べないことについて、とりとめもなく話していた。
そして……あんなことが起きた。
本当に、私から誘ったのだろうか? 記憶は曖昧で、混乱している。覚えているのは、翌朝目覚めた時の悟の恐怖と罪悪感に満ちた表情と、その後の彼のますます冷たくなっていく態度だけだ。
「君も、君の母親も、全く同じだな――いつもそうやって、欲しいものを手に入れる!」
その言葉は、呪いのように私の耳に響き続けた。
でも、私は何も欲しがったりしなかった! 私はただ、温かい水を持ってきてくれたあの優しい男の子を愛していただけ。ただ、完全な家族が欲しかっただけなのだ!
どうして彼はあんなに冷たくなったの? どうしてあんな残酷なことを言うの?
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ……」以前にも増して激しい咳の発作が襲ってきた。息もままならず、血の付いたティッシュが床に散らばる。
ソファにもたれて息を切らしていると、誤ってテーブルの上にあったぬいぐるみの箱を倒してしまった。希美のお気に入りだったものだ。それを拾い上げた時、中に小さく折りたたまれた色とりどりの紙が入っているのに気づいた。慎重に広げると、希美の子供っぽい字が現れた。
「お父さんが暗いのを怖がらないように、常夜灯を作ってあげる」
「お母さんとお父さんと一緒に、日の出を見る」
「お父さんの好きなおにぎりの作り方を覚える」
「茶トラのの子猫を飼う」
「遊園地の観覧車に乗る」
娘の無邪気な筆跡が、ランプの光の下でひときわ鮮やかに見えた。最初の一項目は赤いクレヨンで丸がつけられていた。彼女が最初に叶えたいと願い、そして最後に完成させた願い事。
私はその紙を固く握りしめると、涙で視界がぼやけた。希美は生前、これらの願い事を私に話したことは一度もなかった。彼女はいつも物分かりが良く、私に負担をかけたくないと思っていた。でも、その心の中には、こんなにもたくさんの小さな夢を抱えていたのだ……。
真夜中になり、ようやく咳が治まった。外のまばらな星の光を眺めていると、娘の最後の言葉が心に蘇る。
「お母さん、もし私がいなくなっても、ちゃんと生きて、一緒に約束したことをやり遂げてね……」
「ええ、希美。お母さん、約束するわ」
私は娘の写真を優しく撫で、再び願い事のリストに目をやった。私の瞳にはもはや絶望はなく、むしろ不思議なほどの安らぎがあった。
「お母さんが、あなたの願いを全部叶えてあげる。そしたら、あなたのそばに行くからね」と、私は静かに囁いた。






