第94章

「その……急に思い出したんですけど、家の玄関、ちゃんと閉めたか不安で……戻りますね」

 平岩空人が反応するより早く、和泉静留は口元をひきつらせたまま、いかにも取ってつけたような言い訳を置いて踵を返した。次の瞬間には、逃げるみたいに駆け出している。

 慌てて遠ざかる背中を見て、空人は思わず手を伸ばした。

「静留……」

 声が出かけたところで、空人は唇を噛んで飲み込む。

 今は――行かせたほうがいい。自分も一人になって、頭を整理したかった。

 空人にとって、あの頃の出来事はもう輪郭が曖昧だ。

 けれど、酒に潰れて目を覚ました翌朝、シーツに残っていたあの濃い赤だけは、焼き付いたまま消...

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