第4章
結衣はぐったりとソファに身を預けていた。足首にはプロの手による医療用包帯が巻かれ、その姿はいかにも痛々しく、庇護欲をそそるものだった。
母さんが燕の巣のスープを手に歩み寄り、彼女の背中のクッションを丁寧に整える。
「さあ、私の可愛い子。このスープを飲んで精をつけるのよ」
父さんも興奮した様子で、大きな箱を抱えて部屋に入ってきた。
「見てごらん、うちのお姫様へのプレゼントだ!」
父さんが箱を開けると、そこには高級なダンス用音響システムが収められていた。
「愛しい娘よ、これはお前が回復した時に使うための、最新のプロ用機材だぞ」
結衣は気だるげに雑誌をパラパラとめくり、時折弱々しい笑みを浮かべるだけだ。たったそれだけの仕草で、家族全員が彼女を中心に回っている。
私がずっと渇望していた愛情と関心を、彼女はいともたやすく手に入れていた。
玄関のチャイムが鳴った。ドアの前に立っていたのは、私の恋人である轟だ。手にはサプリメントの入った袋を提げている。
「結衣、怪我をしたと聞いたよ。燕の巣と栄養補助食品を持ってきたんだ」
彼女に向けるその声色は、私に対して向けられたものより遥かに優しかった。その慈愛に満ちた響きが、私の胸を鋭く抉る。
結衣は雑誌を傍らに置いた。
「轟、本当に優しいのね……。気分はだいぶ良くなったわ。まだ少し痛むけれど」
「ところで、沙織はどこ? どうして彼女が看病してくれないの?」
轟は何気ない調子で尋ねた。
母さんの表情が瞬時に曇った。
「どうしてあの自分勝手な子の話なんてするの? 事故の後、あの子ったら謝罪ひとつせずに姿を消したのよ」
「お母さん、お姉ちゃんを責めないであげて……。きっと来週のコンクールの準備をしているのよ。だって、お姉ちゃんにとってダンスは全てだもの」
結衣はわざとらしく溜息をついた。
「それに引き換え、私は……今回のコンクール、辞退するしかないわね」
「あんな薄情な娘、一生帰ってこなくていいわ。家で問題ばかり起こすあの子がいない方が、あなたの回復も早まるというものよ」
轟は頼りなげに頷いた。
「そうだね……結衣の治癒に悪影響を与えるようなネガティブな要素は、避けるべきだ」
祖母の夢生子がお茶を運びながら現れ、轟に意味ありげな笑みを向けた。
「轟、あなたは優秀な人だわ。そろそろ『本当の選択』を考えるべき時じゃないかしら」
「実は、そのために来たんです。沙織が僕の電話に出なくて」
夢生子は生粋の上昇志向の塊だった。私に優しくするのは、私が轟と一緒にいる時だけ。
こんないい条件の相手を逃したくない彼女は、今や轟と結衣をくっつけようと画策しているのだ。
「お義母さん、まずは家族水入らずで静かに食事をさせてちょうだい」
母さんが割って入った。
「沙織と轟のことは、また後で」
夕食後、母さんは何やら落ち着かない様子だった。部屋に戻ると、スマートフォンを探し始めた。
「まったくいったい、あの子はどこへ行ったのよ?」
母さんは私の番号に発信した。アナウンスは、電源が入っていないことを告げている。
お母さん、私はもう死んでいるのよ。
続いて母さんは、かかりつけ医の目黒に電話をかけた。
「目黒! 説明してもらうわよ! 何の連絡もなしに突然辞めるなんて、どういうつもり?」
「それと、沙織から連絡はあった? あの子は今どこにいるの? すぐに家に帰るように伝えてちょうだい!」
長い沈黙の後、受話器の向こうから目黒の震える声が響いた。
「冬木夫人……。沙織は、二日前に亡くなりましたよ。ダンススタジオの床で脳出血を起こしていたんです。でも、あなたは結衣さんを病院へ連れて行くと言い張って、沙織のことを忘れてしまっていた……。私が見つけた時にはまだ微かに息がありましたが、もう手遅れでした」
母さんの手からスマートフォンが滑り落ち、床に激しい音を立てた。母さんは顔面蒼白になり、ベッドに崩れ落ちる。
階下からは、デートの計画を楽しげに話し合う結衣と轟の笑い声が響いてきていた。
母さんは震える手で電話を拾い上げ、病院にかけた。
「冬木沙織の入院記録を確認したいのだけど……え? 記録がない?」
次に、彼女は安置所に電話をかけた。
「冬木……沙織です……二日前に搬送されたはず……はい、母親です」
電話の向こうの声が、すべてを肯定した。
母さんは頭を抱え、その場に泣き崩れた。
「嘘よ……ありえないわ……私の娘が……何かの間違いよ!」
