第1章
水曜日の午後三時、電話が鳴ったのはちょうどアパートの掃除をしている最中だった。
「白川さんですか? 私立清流学園の高木です。実は息子さんが、フィールドホッケーの練習中に事故に遭われまして」
私は持っていた雑巾を取り落とした。「何があったんですか? あの子は無事なの?」
「腕を骨折しています。すぐに来てください」
私は車のキーを掴み、震える手でドアを開けて飛び出した。
八年も経つのに、あの子が怪我をしたと聞くと、今でも心臓が止まるような思いがする。
車の中から夫の宏樹に電話をかけた。三回。出ない。当然だ。彼は勤務時間中に電話に出ることなんて決してない。
ハンドルを握る指に力がこもる。どうか無事でいて。
到着した学校の廊下は静まり返っていた。
保健室の中から話し声が聞こえる。翔太の声だ。小さく、苦痛に満ちた声。私はドアノブに手を伸ばした。
その時、聞こえてしまった。
「緊急連絡先を美咲さんに変えておいてよかったよ」
私の手が凍りついた。
「そうだな」宏樹の声だ。彼はもう来ていたのだ。
ドアを開けるべきだった。だが、何かが私を押し留めた。
「お前の母親はこういう時、感情的になりすぎる」宏樹は言った。その口調は冷淡で、事務的だった。「あいつは不安定だ。まるで気が狂ったみたいになる。美咲のほうがこういう事態をうまく処理できる」
「どうせあの人はただの家政婦みたいなもんだろ」翔太が言った。「頭のおかしい家政婦が母親だなんて、僕はごめんだよ」
美咲が笑った。宏樹も笑った。
私はすぐ外に立っているのに、彼らは笑っている。
胸が締めつけられるようだった。誰かに心臓を両手で鷲掴みにされているみたいに。
私は狂った女。私は家政婦。私は、あの子の母親なんかじゃない。
私は踵を返した。廊下を戻り、正面玄関を抜け、自分の車へと向かう。
手の震えがひどく、エンジンをかけるのもやっとだった。
息子は緊急連絡先を変更した。私を捨てて、あの女を選んだのだ。
私は呆然としたまま車を走らせた。どうやって帰ったのかも覚えていない。家に着くと、私はソファに崩れ落ち、虚脱感に打ちのめされた。
結婚式の日のことを思い出した。あんなに胸を躍らせていた私。いつか宏樹も私を愛してくれると信じていた私。
父のため、コネのために彼が私と結婚したことは知っていた。それでも、しばらくすれば本当に愛してくれると思っていた。
そして父が死んだ。結婚して二年目、心臓発作だった。あまりに突然の死。
そして、宏樹は冷酷になった。
父の株は持っていたが、私には地位も権力もなかった。宏樹が利用できるものは何も残っていなかった。
一夜にして、私は彼にとって無用な存在となったのだ。
部屋が次第に暗くなっていく。灯りをつけようとも思わなかった。
記憶が溢れ出してくる。父の死後、義母は離婚を迫った。だが私が妊娠していたため、宏樹は婚姻関係を続けることを選んだ。私は感謝し、彼が気にかけてくれているのだと勘違いしていた。
難産だった。三十六時間にも及ぶ苦痛。そして産まれた翔太はすぐに取り上げられた。
「経過観察のため」と彼らは言った。
だが、あの子が私の元に戻ってくることはなかった。
難産のトラウマと義実家の冷遇が重なり、私は産後うつを発症した。義母はそれを逆手に取った。「精神的に不安定すぎる。子供には近づけさせられない」
再び息子に会えるまで、四年もの歳月がかかった。
そしてようやく会えた時、ようやく四歳になった息子を抱きしめた時、あの子は私を突き飛ばしたのだ。
「お前なんかママじゃない!」
彼は甘やかされ、私を軽蔑するように教え込まれていた。
「ママになる資格なんてないくせに!」あの子は私に向かって叫んだ。
彼が私を受け入れ始めるまでに、さらに二年かかった。あの子と繋がるためだけに、彼の好きなものをすべて必死で学んだ二年だった。
そして藤本美咲が現れた。翔太が六歳の時だ。彼女が宏樹の秘書になったのはその頃だった。
彼女はすぐに私の立場を脅かし始めた。私の見ていないところでチョコレートやオモチャを買い与え、私の描いた絵を「ゴミだ」と息子に吹き込んだ。
私が抗議すると、家族全員が私を責めた。「大げさな」「トラブルメーカーだ」「本当にどうしようもない」と。
もしかしたら、本当に私は狂っているのかもしれない。彼らの言うことが正しいのかもしれない。
私は何時間も暗闇の中に座り続け、あの言葉を何度も何度も頭の中で繰り返していた。
「緊急連絡先を美咲さんに変えておいてよかったよ」
言葉そのものではない。その意味こそが問題だった。
あの子は、私を別の誰かと取り替えることを選んだのだ。
それが痛い。その「選択」が痛い。
胸が痛む。何かが引き千切られるようだ。心が真っ二つに裂けるかのように。
彼は私を求めていない。一度だって求めたことなんてなかった。私はただ彼を産んだだけの、頭のおかしい女なのだ。
テーブルの上で、翔太のiPadが光った。今朝、あの子が忘れていったものだ。画面に通知が点滅している。
私はしばらくそれを見つめていた。そして、何も考えずに手を伸ばし、取り上げた。
グループチャットの通知。見たことのないグループ名だった。
「魔女のいない楽園」
