第3章
その夜、私は一睡もできなかった。
ただ暗い寝室に座り込み、虚空を見つめ続けていた。
翔太に殴られた額が、まだズキズキと痛む。出血は止まっていたが、鈍い痛みがそこにあり、何が起きたのかを嫌というほど思い出させた。
彼が私を殴ったのだ。私の息子が、私を。
朝が来ると、私は震えのない手と、澄み切った頭で起き上がった。
タンスの一番下の引き出しを開ける。そこには、以前から用意してあった離婚届が入っていた。私はペンを取り、自分の欄に署名し、印鑑を押した。
財産分与は、請求なし。
私は荷造りを始めた。服、数冊の本、パスポート。
引き出しの奥から、私たちの結婚写真が出てきた。今見れば、宏樹の笑顔がいかに無理をしたものだったかがよく分かる。礼儀正しく、職業的で、まるで企業の懇親会で人脈作りをしているような顔だ。どうして今まで気づかなかったのだろう?
私は写真を元の場所に戻し、荷造りを続けた。
スーツケースに服を畳んで入れている時だった。音が聞こえたのは。
隣の部屋から響く、大きな破壊音。私のアトリエだ。
続いて、布が引き裂かれるような音、ガラスが砕けるような音がした。
胸が締め付けられ、私はすべてを放り出して走った。
アトリエのドアは開いていた。私はそれをさらに押し開けた。
最初に鼻をついたのは匂いだった。テレピン油と絵の具、ツンとする化学薬品の臭気。
そして、その光景が目に飛び込んできた。私の絵が、切り裂かれ、破壊されていた。絵の具があちこちに飛び散り、キャンバスは破られ、筆は折られている。私が創り上げたすべてが、消え失せていた。
その惨状の中心に、翔太が立っていた。私のカッターナイフを握りしめ、その顔は誇らしげに輝いている。
「何をしたの?」私の声は震えていた。
「美咲さんが、こんなのゴミだって言ってたもん!」彼は靴に絵の具をつけたまま、ニヤリと笑った。「場所を取りすぎだって。だからお父さんのために掃除を手伝ってあげてるんだよ!」
私は動けなかった。私の創作のすべてが、失われてしまった。
背後でドアが開いた。ボストンバッグを持った宏樹が入ってきて、破壊された室内と、ナイフを持った翔太を見回した。
「何事だ?」
「翔太が私の絵を壊したの」私は言った。「全部」
宏樹はバッグを置いた。「たかが数枚の絵じゃないか、由美子。子供を怖がらせるな」
たかが、数枚の絵。
彼は続けた。「美咲はプロだ。彼女がお前の絵は時代遅れだと言っていた。彼女がそう言うなら、そうなんだろう」
私の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。怒りではない。悲しみでもない。ただ、静寂だけがあった。
「離婚して」と私は言った。
宏樹は鼻で笑った。「はいはい、またそれか」
私は彼の横を通り過ぎて寝室へ行き、署名済みの書類を掴んだ。
リビングに戻ると、私はそれをテーブルの上に放り投げた。
宏樹はそれを拾い上げ、最初の一枚に目を通した。そして、笑みを浮かべた。
彼は私を見た。「気を引こうとしてるのか? 由美子、これは狂言だろ。俺には通用しないぞ。前にも何度も同じことをやってたじゃないか」
「署名して」私は言った。
「わかったよ」彼はペンを掴み、素早く全てのページに署名した。「どうせ実際に提出なんてしやしないんだ。お前は俺なしじゃこの街で生きていくことさえできない。三日もすれば、泣いて許しを請いに戻ってくるさ」
私は何も言わなかった。ようやくわかったのだ。彼はずっと私をそう見ていた。私の愛情も、戦うことを諦めた数々の瞬間も、すべては「どうすれば私を傷つけられるか」という手引書を彼に与えていただけだったのだと。
宏樹は立ち上がった。「お前が這いつくばって戻ってきたとき、また養ってやるかどうか、考えておくよ」
彼は私が本気だとは微塵も思っていない。だが今回は違う。私は二度と戻らない。
宏樹はドアへと歩き出し、立ち止まった。
「そういえば、いい知らせがある。美咲のおかげで大きな契約が取れたんだ。だから彼女と翔太を連れて、一ヶ月ほど旅行に行ってくる」
彼は冷たい声で私を振り返った。「家にいて、自分のしたことをよく考えるんだな。反省しろ。俺たちが戻ってくる頃には、頭が冷えていることを願うよ」
翔太がソファから飛び上がった。「やった! 一ヶ月もこいつの顔を見なくていいんだ!」
廊下に美咲が現れた。すでに旅行用の装いを整えている。彼女は翔太の手を取り、勝ち誇ったような目で私を見て微笑んだ。
宏樹がドアを開けた。「もう行くぞ。俺たちがいない間、じっくり考えるんだな」
翔太が最後にもう一度、私を振り返った。「じゃあね、お母さん!」
三人は興奮し、幸せそうに連れ立って出て行った。ドアが閉まる。
私はしばらくそこに立ち尽くし、彼らの足音が遠ざかっていくのを聞いていた。
そして、私は動いた。
寝室へ戻り、十分で荷造りを終えた。スマホを取り出し、L市行きのフライトを予約する。出発は今日の午後だ。
一時間後、私はスーツケースを引きずってドアの前にいた。最後にもう一度だけ、あのアパートを振り返る。
ここで八年暮らした。だが、これからの八年はない。
そして私は、二度と振り返ることなく歩き出した。
