第103章 誘惑

彼女は肩に掛けたバッグから、インク汚れ用のペンを取り出した。

アイボリーのニットワンピースにできた黒い染みは、こすっていくうちに大半が薄れる。近くで見ればまだ痕は残っているが、彼女にとってはそれで十分だった。

マンションの室内で、石橋結翔は海外との通話を終えたばかりだった。指先が無意識にスマホの縁をなぞる。

画面には、今朝、真理から届いたメッセージ。今夜は結月と食事をするから、帰りは少し遅くなる――そう書いてある。

視線がリビングの片隅へ落ちた。そこには真理が片づけきれずに置いた手芸の材料が残っていて、石橋結翔の目元がわずかに和らぐ。

冷えたマンションにある音といえば、エアコンの吹...

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